永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

就活。

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私には2人の息子がいる。長男は今年23歳。大学院で「線虫」という虫を研究している。次男は19歳。大学で心理学を学んでいる。

これまで息子たちに「勉強しなさい」と、ただの一度も言ったことはない。私も親から言われたことがないし、親がそう言っただけで勉強するとも思えないからだ。

また、私自身が学歴について何とも思っていないことと、学歴がないことがハンデにならなかったということもあり、大学進学も「行きたきゃ行け」というスタンスだった。

それよりも「やりたいことをやれ」、「自由に生きろ」と言ってきた。「自分の力を限定するな」とも。

来年、大学院を卒業する長男は現在、就活中。

「○○○(某企業)の説明会に応募した。家から近いから」とか、「フィールドワークができなければ休みが多いところに就職しようかな」と、長男。その言葉に違和感を覚えた私は、一つだけアドバイスをした。

「コロナのような不測の事態で給料が下がることだってある。給料がいいとか、休みが多いとかではなく、自分が究極的にやりたいと思うことがやれる就職先を探しなさい。それが幸せになる道だ」と。

長男が幼い頃、おそらく、4、5歳くらいのときのこと。突然、

「大きくなったらサッカー選手になる!」と言った。当時、長男はサッカーをやったこともなければ見たこともなかったので、おそらく保育園の友達がそう言っていたのを聞いて、自分も、と思ったのだろう。

「自分の好きなことを仕事にしてもイイんだぞ。パパは写真を撮るのが好きだから、カメラマンになったんだ」と、私が話すと、長男の目がキラリと輝き、すべてを覚った表情になった。以来、小・中・高・大と一貫して、生き物(昆虫)に関わる仕事を志してきた。

勉強が得意な者は、頭の良さを生かした仕事をすればよい。スポーツが得意な者は、体を動かす仕事すればよい。写真を撮るのが好きな者は。カメラマンになればよい。文章を書くのが好きな者は、ライターや作家になればよい。実にシンプルだ。

長男よ、どうか自分の力を限定せず、「究極的にやりたいこと」にチャレンジしてほしい。給料や休みの多さで就職先を選ぶのは、その後からでもできるではないか。

Facebookで繋がっている同業の友人がこう言った。

「自分のやりたいことを仕事にして、満足できる生活を送れる人生は宝くじで高額当選したようなもんです」と。

勉強も、スポーツも苦手で、仕事にしたいと思うくらい夢中になれることもないという者もいるだろう。ちょうど次男がそんなタイプ。

次男は心が繊細でとてもやさしい。ならば、今以上に人を思いやる人になればよい。それが生きる力となり、どの仕事に就いても必ずうまくいく。

いちばん重要なのは、息子たちがどんな仕事に就くか、ではなく、どんな人へと成長して、どんな生き方をするのかである。親がそれを間違えると、仕事で過度なストレスを抱えて心の病気になったりしかねない。

今日、ふと、次男が幼い頃のことを思い出した。次男はリビングでテレビを見ながら横になっている私に「落ちたら負けね」と、よく身体の上に乗っかってきた。

私は身体を前後に揺らして、振り落とした。必死で私にしがみついているものの、次男の身体半分は床についている。

「ハイ、負け!」と私がいうと、「まだ落ちてはいない!」と、頑として負けを認めなかった。心がとても繊細でやさしい反面、負けず嫌いという一面もあるのだ。

そもそも、「負け」とは、自分が「負けた」と認めない限り、「負けていない」。オレも絶対に認めない。オレの人生は負けていない。約15年の時を経て気づかせてくれた次男に感謝である。

 

※写真は、昨朝、西表島へと旅立った長男。帰宅するのは、27日。沢山の刺激を受けてくることだろう。