永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

食いものの恨み。

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昨日から岡山・倉敷に出張。

忙しくなければ、美味しいものを食べたり一人旅を満喫しらいところ。今日取材を終えたら、トンボ返りせねばならない。いや、地元のネットカフェに飛び込んで、少しでも原稿を書き進めるか。いずれにせよ、せっかく倉敷に来たのに堪能できそうにない。

現在、忙しさのピークを迎えており、11/8(日)くらいまでは身動きが取れないほど忙しい。そんなときに思い出して自分を納得させているのが、編集プロダクション時代。まー、とにかく忙しかった。

週刊誌の仕事をしていたので、当たり前だが毎週〆切があった。それも、取材と撮影、原稿完成まで1日で完結させるのも珍しくはなかった。あ、それにくわえて写真の現像も取材した日の夜にやっていたな(笑)。

その日は取材だけ、原稿だけということはまずなかった。企画書も毎日書いていたし。ホッとできるのは、出張先へ向かう新幹線の中だけだった。もっと余裕を持って仕事をすることができないのか。いつもそう思いながら仕事をしていた。

そんな忙しい日々から解放されたかったからフリーとなったのだが、編プロを辞めた理由は他にもあった。

毎日馬車馬のように働くことから、“馬車馬四人衆”と呼ばれた私とムラちゃん、Kヤマちゃん、Nヨシさんと夜遅くまで仕事をしていたときのこと。社長の奥さん(経理担当)のデスクの上に無造作に、というか、ほっぽり出していた領収書を貼り付けたノートを発見した。

そこには、社長が家族と食べに行ったと思われるうなぎ屋や焼肉屋の領収書が大量に貼り付けてあったのである。

「なっ、何じゃこりゃぁぁぁ!」と、皆、松田優作的に憤慨していた。そりゃ当たり前である。こっちは夜中まで必死で働いているのに、社長はうなぎや焼肉?はぁ?ってことだ。食いものの恨みは深いのである(笑)。

それと、私が入社した当初は社長も「僕も一人のライターとして皆と一緒に頑張る」と言っていて、実際にバリバリと仕事をしていた。私はそんな社長のスタンスにとても好感を持っていた。

ところが、“馬車馬四人衆”がライター、カメラマンとして成長し、それぞれに仕事が任せられるようになると、社長は指示をするだけでライターの仕事をしなくなった。社長としてあるべき姿なのかもしれないが、私は納得がいかなかった。

そんなこんなで辞めたのである。それでも、フリーとなった今でも綱渡りのようなスケジュールにヒィヒィ言っている。編プロ時代の忙しさに比べれば屁でもないが。あのときよりはマシだと何度も言い聞かせながら今日も私は取材に行き、写真を撮り、原稿を書く。

 

※写真は倉敷の宿泊先に選んだ『グリーンリッチホテル倉敷駅前』。2019年にオープンしたばかりなのでキレイだった。