永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

道を拓くのは、自分。

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まずは、告知から。

11/1(日)発売の『STORY』2020年12月号「どうしても、このひと皿に会いたくて」のタコス特集にて、名古屋エリアの店の取材と撮影を担当させていただきました。是非、書店で(できればお近くの三洋堂書店で・笑)お買い求めの上、ご覧ください。

storyweb.jp

さて、先日、酒席をともにしたある方がこんなことをおっしゃった。

「会いたい人に電話をするか、しないかだ」と。例えば、「会いたい人」が総理大臣だったとする。自分のようなイチ国民と会ってくれるはずがない、と誰もが思うだろう。だから、誰も電話をしない。

しかし、電話をしたら、道が拓けるかもしれない。可能性は0%ではない。今すぐには無理だとしても1年後、いや、5年後には会えるかもしれない。

写真専門学校で講師をしていた頃、卒業制作の批評の授業に参加させてもらったことがある。そのとき、校長がある卒業生について話をしてくださった。

その卒業生は、私よりも年下なので後輩にあたるのだが、彼は在学中から矢沢永吉の大ファンだった。矢沢永吉のジャケ写を撮りたいというか、それ以前に矢沢永吉に会いたいという一心で写真を学んでいたのだろう。

卒業後も東京の大手広告スタジオに就職した。すべては矢沢永吉に会うために。そして、フリーとなり、矢沢永吉のジャケ写を撮った。

彼とはまったく面識がないが、きっと、そこに至るまでは何度も挫折したと思う。でも、諦めて別の道を歩むことよりも夢の方が勝っていたから、実現することができたのだ。

道は自分で切り拓くしかない。親が政治家や医者、弁護士だったとしても、連れて行ってくれるのはその道の入り口くらいまで。その先は自分の足で歩くしかない。昨日のブログでも書いた通り、やはり、実行するのか、それとも諦めて何もしないのか、なのだ。

かつて私は、このブログで白か黒かの二択ではなく、白よりのグレーや黒よりのグレーなどグレーの数が多ければ多いほどよい、と書いた。しかし、自分の生き方だけはグレーにはできない。ソコソコの、及第点では0点に等しい。絶対に妥協できない、してはならない部分なのだ。

せっかく、この世に生を受けたなら、せっかく、カメラマンに、ライターになったなら、自分の腕と器量でどこまで通用するか試してみたい。51歳にもなって遅いと笑うなら笑えばよい。笑う者にはこう言ってやる。

「で、今、あなたは何をしているんですか?」と。