永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

疎遠。

小学校6年生の夏休み、毎日一緒に遊んでいたセージ君という友達がいた。それまで特別に仲が良かったのかというとそうでもなかった。なぜ、一緒に遊ぶようになったのかは全然覚えていない。

セージ君の父親は会社を経営している、と聞いていた。家も私の自宅とはまったく違い、居間には座り心地の良いソファがでーんと鎮座していた。あまりにも毎日行くので、セージ君のご両親やお姉さんにもよくしてもらった。

発売されたばかりのオモチャやゲームも沢山あり、私は毎日思いきり遊んだ。その持ち主であるセージ君はさんざん遊んでいるので楽しくなさそうだったが。でも、何日か経つと、それも飽きてしまった。

あまりにも退屈だったので、友達の家にいたずら電話をしたりして過ごした。なぜ、そういう流れになったのかはよく覚えていない。「もしもし……」と電話に出ると「カメよ」と言って電話を切った。今思うと、バカなことをしていた。

夏休みが終わると、なぜか一緒に遊ばなくなった。教室にいても話をすることもなくなった。小学校を卒業して同じ中学校に入学したが、一度も遊んだ記憶がない。別にケンカしたわけでもないのに、なぜ遊ばなくなったのかまったく憶えていない。

中学校2年生の夏休みは同じ部活のハマジマ君、通称“ハマ”と毎日のように遊んだ。ハマの家は教育熱心で宿題をしなければ遊ばせてくれなかった。だから、私もハマの家で一緒に宿題を片付けた。

鮮明に覚えているのは、自由課題でスケボーを作ったこと。板切れをスケボーの形にカット。そして、紙ヤスリでキレイに磨き、仕上げにニスも塗った。車輪はホームセンターで売っていた台車用のものを取り付けた。むちゃくちゃ簡単な作りだったが、私たちはそのスケボーで思いきり遊んだ。

ところが、またまた夏休みが終わると、一緒に遊ばなくなった。部活で顔を合わせるし、話もする。しかし、なぜか遊ぶことはなくなった。セージ君と同様に、別にケンカしたわけでもない。ハマはその後、地元の進学校へ入学した。そこで猛勉強をしたのだと思う。人づてに地元の大学の薬学部へ進学したという話を聞いた。

人生において、多くの人々が自分の前を通り過ぎていく。疎遠になった人も、そのときの自分にとっては必要だったことは間違いない。濃密な時間を共に過ごしているときは疎遠になるなんて考えもしない。でも、疎遠になる人は、なる。きっと、お互いがお互いのことを必要としなくなったのだろう。

疎遠にならなかった私の親友はこう言った。

「この年になると人間関係ができちゃっているから、もう新しい友だちとかは別に要らない」と。その考えも理解できないことはないが、まだそこまで割り切れない自分がいる。