最近になって気がついたことがある。
読者の皆様もご存知の通り、私は写真も撮るし、記事も書く。いつも取材現場には一人で向かう。それでも私のアイデンティティはカメラマンであるというところにあった。
いや、アイデンティティというのは大袈裟かもしれないが、まず、写真というビジュアルがあって、そこに文章を書き加えることが私の仕事だとずっと思ってきた。
編集者やクライアントに対しては、写真と文章の両方をやることが自分自身のセールスポイントとしてPRするくせに、自分の中ではメインは写真であり、文章はサブだと思っていたフシがあったのである。
実際、雑誌にモノクログラビアのニュースや情報のページがあったとき、「どんな絵が撮れるのか」が企画を通すカギとなっていた。だから、いつも写真のことばかりを考えていたのだ。
ところが、ここ数年、Webメディアで仕事をするようになり、雑誌よりも文字数の多い記事を書くようになった。思考回路も、「こういう切り口ならネタになる」とか「この人から話を聞いてみたい」という風に変わってきた。これって、完全にライター脳ではないのか。
以前の私であれば、この状況を激しく拒否していたと思う。しかし、今は違う。撮影や取材、講演という私の仕事は、まんべんなく入ってくるわけではない。年によってかなりバラツキがあるのだ。
実際、昨年は撮影が多かったし、講演ばかりしていた時期もあった。今年はたまたま文章のウェイトが大きいだけ。そう思っている。また、今の自分にとって、必要なものが、必要なときに、必要な分だけ与えられるとも。
第三者から見たとき、いったい私は何者として映るのだろうか(笑)。きっと、「何をやっているのかよくわからない人」だろう。そう思ってもらって全然OK。むしろ、それこそが私の実体だったりする。
私がめざすのは、写真家でもあり、文筆家でもあり、講演家でもある、永谷正樹ではない。写真家でも、文筆家でも、講演家でもない永谷正樹。この微妙なニュアンスの違い、わかるかなぁ。