永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

名古屋めし。4(新編)

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昨日から大阪出張。茨城市内のホテルでこのブログを書いている。

さて、料理を作るというのは、とてもアナログな作業だと思う。私は毎朝コーヒーをペーパードリップで淹れる。コーヒー豆はいつも同じ分量なのに、毎日味が違う。とくに急いでいるときやイライラしているときに淹れたコーヒーは大抵不味い。

一方、のんびりとゆとりを持って、「美味しくなぁれ♡」と念じながら淹れると、やはり美味しく感じる。コーヒーですらここまで味が変わるので、複雑な工程を経て作られる料理となると、もっと味に差が出ると思う。

同じ料理でも、ファストフードやファミレスのようにセントラルキッチンで作られるものもある。その場合、味に差が出てはいけない。いかにバラツキを出さずに均一化させるかが問われる。

前置きが長くなった。Twitterにも書いたことが本題である。

 かつては私も「名古屋めし」を全国にPRしようと、さんざんメディアで煽ってきた。それと、「名古屋めし」に食わせてもらっているのだから、悪口は書けないという気持ちもあった。

というか、Twitterに書いたとおり、「名古屋めし」であれば、全肯定していた。それが名古屋愛だと想っていた。今はそんな自分を心の底から恥じている。

今はフードライターという立ち位置で「名古屋めし」ではなく、例えば、きしめんや味噌煮込みうどんを麺料理として、味噌かつをとんかつとして捉えている。そうするとと、まったく違った見方ができる。

Twitterで書いた通り、業務用の関西風のつゆに平打ち麺を入れただけできしめんとして提供していたり、冷凍食品のとんかつに業務用の味噌ダレをかけただけで味噌かつとして出している店も実際に遭遇したことがある。

私の中で、それはきしめんではないし、味噌かつでもない。しかし、「名古屋めし」としてカテゴライズされるかもしれない。それがまったく解せない。

きしめんは単なる平打ち麺ではないし、味噌かつだってただ単に味噌ダレがかかったとんかつではない。それらは、1+1=2のように誰もが答えがわかる味。こだわりを持ってそれらを作っている店は食べるまで味がわからない。1+1=∞となるのだ。

「名古屋めし」と銘打っただけで売れる時代は終わった。これからはセントラルキッチンでは出せない本物の味が求められる時代が必ず来る。誰かに怒られたり、抗議をされたりしたとしても、私は言いたいことを言わせてもらう。それが名古屋の食文化のレベルアップに繋がると信じて。