永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

写真は自由だ。

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14歳のとき、生まれて初めて一眼レフのファインダーを覗いた。その瞬間、自分の中で何かがハジけた。世界が変わったと思った。現実の世界で感じている不自由さを解放してくれたのだった。

今もファインダーを覗いているときやシャッターを押しているときに「自由」や「生きている」と実感する。何しろ、ファインダー越しに見える世界を自由に切り取って、自分のものにできるのである。実際にはできないんだけど(笑)。

写真は自由なのだ。どこで、誰が、何を撮ろうが自由。どんな撮り方をしようが自由。自由でなければならないのだ。

写真に正解はない、とも言える。実際、私は誰にも写真を教わっていない。料理や人物を撮るライティングもすべて自己流である。テクニックに詳しい人が見たら、邪道かもしれない。何とでも言えばよい。正解はないんだから。

プロの写真家が掲げたテーマに沿って撮影した作品をネット上で批評してくれるグループがあるらしい。私の先輩のお弟子さんがそのグループに作品を出展したそうで、ボロカスに言われたというのだ。

そのテーマは「飯テロ」。このフレーズもネット上でよく目や耳にするが、お腹が空く深夜の時間帯に美味しそうな料理の写真をSNSにアップする行為を意味する。「飯」と「テロ行為」を合わせた造語だ。

「飯テロ」をテーマとした写真、と聞くと、おそらく、大半の方は美味しそうな料理の写真を想像するだろう。間違ってはいないが、それでは「飯」がテーマになってしまう。あくまでもテーマは「飯テロ」なのだ。

そこで、お弟子さんは考えた。そこでテロリストに扮した自分自身が食材を持っている写真を撮影した。普段からセルフポートレートの作品を撮っているそうで、自分のスタイルを貫いたのだ。

ところが、審査員であるプロ写真家にはウケなかった。その理由を聞いて、私は耳を疑った。それは「テーマに沿っていないから」というものだった。おそらく、美味しそうな料理写真を期待していたのだろう。何度も書くが、それならばテーマを「飯」とせねばならない。

テーマについて深く考えて、そこから連想される作品を創り出すことがプロの仕事ではないのか。そのクリエイティブな発想をそぎ取るような行為は、同じクリエイターとしてはご法度だと思う。やはり、写真は自由でなければならないのだ。

 

※写真は、自分の誕生日プレゼントとして買ったレンズ、SAMYANG AF 24mm F2.8 FEを装着したα7s。周辺光量落ちが激しい“クセ玉”だが、それが“イイ味”を出すのである。