永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

不便を、楽しむ。

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相変わらず、原稿を書く合間にカメラを触っている。電源を入れて、ファインダーを覗いて、ピントを合わせる。それだけで楽しい。

ピントを合わせるという作業は、30年以上も前からカメラのシャッターを半押しするだけでよくなった。いわゆる、AF(オートフォーカス)という今では当たり前となった機能である。

私の学生時代にAFが搭載されたカメラとAFレンズが発売された。当時は精度が今ひとつで、手で合わせた方が早かった。そんなわけで私はAFを信じられず、キヤノンの古いMF(マニュアルフォーカス)のカメラを使い続けた。

AFのカメラを使う同級生はなぜか格下に見られているような雰囲気もあった。それは専門学校の先生の「これからは人間がカメラに使われる時代が来るかもしれない」というひと言が影響していたのかもしれない。

私がAFのカメラを購入したのは、フリーになってから。と、いうことは26年前か。その頃は精度も上がっていて、明らかに手で合わせるよりも早くなった。今は人物の顔をカメラが認識して、瞳にピントが合うように設定することができる。

しかも、人物が動いても、ずっと瞳にピントを合わせ続ける。私がソニーのミラーレスカメラを使っているのは、この機能が他社と比べてとても優れているからである。まぁ、今はキヤノンやニコンのカメラにも瞳AFが搭載されているが。

カメラは時代とともに便利になりすぎた。写真を生業とする者にとって、失敗は少なくなるし、撮影時間も短くなるので結構なことである。しかし、写真1枚の重み、というのか、シャッターを切る緊張感のようなものが薄れたように思う。

先日、貼り革でカスタマイズしたα7sには、最新型のAFレンズよりもオールドレンズがよく似合う。前にも書いたが、Carl Zeiss Tessar 45/2.8というレンズを付けている。ピントリングを回してピントを合わせるという、昔は当たり前だった作業が本当に楽しい。

ここ2、3日、仕事が終わってからヤフオクでお値打ちなオールドレンズを探すのが日課になっている。なかなか程度の良いものが見つからない。MFのレンズは今でも販売されていて、どれも高い。でも、そのレンズでしか撮れない絵もある。本気でMFのレンズで遊ぶのなら、新品を買うのもありだな。あえて不便を楽しみたい。