永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

感想。

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先日、関西大学総合情報学部のリモート授業を行ったことはブログに書いたと思う。編集者の亀松太郎さんに受講した学生から寄せられた感想を送っていただいた。

いちばん多かったのは、編集プロダクションを辞めてフリーになった理由についてのことだった。

当時、10時出勤でエンドレス。ほとんどその日のうちに帰ったことがなかった。しかも、結婚もしていて、女房と家で話ができるのは日曜日だけだった。だから、休みがほしくて会社を辞めた。そんな話をした。

「休みがほしいというのが会社を辞める理由だったことに驚きました」という感想を抱いた学生が沢山いたのだ。

なぜ、驚くのか私にはさーっぱりわからない。仕事だから休みがなくても仕方がないというのか。

たしかに私は「休みがほしくて」会社を辞めた。では、フリーとなった今、休みはあるのかというと、ほとんどない。GWもずっと仕事をしていたし、今月は1日も休んではいない。

とはいえ、女房と話したり、昼寝をしたりする時間はある。サボってネットを見たりもできる。

当時、休みがほしいと思ったのは、「面白い企画は、遊びから生まれる」と考えていたからであって、仕事を完全にオフにして女房と過ごしたりすることは考えていなかった。

編プロ時代は、とにかく決められた本数の企画を出すことや〆切に間に合うように原稿を書くことに追われて息つく暇もなかった。心を失くして、機械的に作業をしなければ、とてもこなすことができなかった。

当然、写真や文章のクオリティは落ちる。何よりも読者に楽しい時間を過ごしていただくために雑誌があるのに、原稿を書いている本人が感情を殺してマシンのように仕事をしているという矛盾に納得がいかなかった。だから、辞めた。

当時、私は26歳。もちろん、不安はあった。でも、やるしかなかった。50歳を過ぎても、その不安は拭いきれていない。フリーになったばかりの頃は、30歳までに芽が出なかったら別の道を探そうとも思っていたが、今はやり直せない年令になってしまった。

やるしかないのだ。とくに今年は、私自身のターニングポイントとなる年であると考えている。「お前は何者だ?」、「お前は何をやりたいのか?」と自問自答を繰り返しながら、やるしかないのだ。

 

※写真は、昨日撮影した丼ものや麺類。やっぱり撮影は楽しい♪