永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

人との距離感がつかめない人。

私の母親は、テレビのワイドショーを見ながら、画面に向かって頷いたり、話しかけたりしていた。凶悪な事件を起こした犯人が画面に映し出されると、罵声を浴びせたりもした。

最近気がついたのだが、私も母と同じようにテレビに向かって叫んでいることがある。やっぱり、血は争えないというわけか(笑)。

言い訳をさせていただくと、家の中という完全なプライベート空間でのことだし、テレビに映っている人に聞こえるわけでもない。誰も不快な気分にならないし、迷惑もかかっていない。

しかし、TwitterなどのSNSの投稿の中には、感情を剥き出しのままに書いたつぶやきをよく見かける。テレビと違ってリアルタイムで相手に伝わるだけではなく、それを見た人も不快な気分になる。

その辛辣な言葉を浴びせられた相手も生身の人間である。テレビのタレントさんや芸人さんと同様に、SNSの投稿はその人の一部分でしかない。当たり前だが、笑ったり、泣いたり、怒ったりする。

少し想像力を働かせればわかることだが、その部分が欠如しているのだろう。私の友人は、そういうヤカラのことを「人との距離感がつかめない人」と、呼んでいる。まったく、その通りだと思う。

実は、ここ最近、このブログにコメントを投稿した3名を投稿禁止にした。一人はこのブログの内容をまったく理解していない人。一人は変態。一人はハンドルネームをコロコロ変えるタメ口の人。

私の知人は、大晦日と元旦を除く毎日、ブログを更新し続けていた。それも5年間。更新をやめたのは、誹謗中傷のコメントが相次ぎ、心が折れてしまったからと聞いた。

私はコメントごときで心が折れたりはしない。むしろ、珍獣を眺めるスタンスで楽しく読ませてもらっている。

私は言葉を紡ぐことを生業としているから、生産性のある議論は大歓迎である。できることなら、投稿禁止なんかはしたくはない。

しかし、「人との距離感がつかめない人」、言い換えれば、こちらの言葉を理解できない人とは議論は成立しないのである。

ネットの世界であっても、最低限の礼儀は必要である。それを理解できない人とは関わりたくはない。