だいぶ以前に中学時代の同級生からK文ちゃんという写真専門学校に通う学生を紹介してもらい、現場を見せてあげたことがあった。
こちらもバタバタしていて、1回こっきりになっていたが、少し前に連絡をとってみた。
現在、彼女は2年生。就活の話題を振ってみると、内定をもらったという。ただし、写真の業界ではなく、一般企業で。
「作品を撮るには、時間とお金がかかるんです」というようなことをK文ちゃんは言ったと思う。K文ちゃんはK文ちゃんの人生があるから、好きにすればよい。
ただ、アシスタント未経験の私からすれば、若いうちにプロの下で技術を学んだ方がよい。下積み時代に得た技術は、食っていくためだけではなく、作品を撮るにしても生かされる。
表現の引き出しになるのだ。引き出しが多ければ多いほど、ただ単にキレイとかカッコイイという形容詞だけで終わらない写真になる。それをK文ちゃんはどのように考えているのだろう。
私は学生時代、仕事で撮影する写真を小馬鹿にしていた。そんなもの、写真を学んでいれば誰でも撮れる、と。しかし、現実は違った。写真専門学校で学んだことは何も役に立たなかった。
写真を学んでいれば誰でも撮れるような写真を撮っていたら、それはプロではないのである。そこに気がついた。そして、若い頃にアシスタントを経験しなかったことを死ぬほど悔やんだ。
明日、名古屋駅で撮影がある。そこにはK文ちゃんも来ることになっているので、話をしようと思っている。