永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

鈴木邦男さん。

民族派団体の一水会の創設者で作家の鈴木邦男さんが亡くなった。

以前は精力的に本の執筆や講演会、テレビ出演などをこなしてらっしゃったのに、ここ数年はまったく目にすることがなかったので、お身体を悪くされたのだろうと心配していた。

鈴木邦男さんは、私の人生に多大なる影響を与えた一人である。

黒歴史として永遠に封印しておきたいほど恥ずかしいことだが、その昔、私は極右思想の持ち主だった。ほんの一例を挙げると、中国やロシア、北朝鮮の脅威から国を守るには、憲法を改正して自衛隊を国軍とし、核の開発や保有も持さないと考えていた。

前にも書いたと思うが、当時は熱心に日本会議系の団体が主催する講演会に参加していた。櫻井よしこや金美齢、田母神俊雄、竹田恒泰、そして安倍晋三元首相。彼らの民主党政権批判が最高に心地良く、話を聞くたびに胸のすく思いがした。

しかし、安倍さんの講演会での質疑応答で参加者の一人がヘイトまがいの演説をし、周りの誰もそれを止めることなく、逆に拍手をしていたのを見てから講演会には行かなくなった。あれが保守とは思いたくなかった。

そんなときに手にしたのが鈴木邦男さんの本だった。鈴木邦男さんは、右派の論客として紹介されるが、左派の人たちとも交流があった。若い頃はともかく、鈴木邦男さんの中で右や左という概念はすでに超越していたのかもしれない。

鈴木邦男さんは、アベ政治も批判していた。反原発も掲げていたので、日本会議の息がかかった自称保守の人たちは鈴木邦男さんのことを裏切り者だと思っていたのかもしれない。しかし、鈴木邦男さんの意見に真っ向から反論する自称保守の人は見たことがない。

鈴木邦男さんは言論の自由を何よりも重視していて、意見が異なる相手に対しても敬意を払っていた。だからこそ、左派の人たちからも一目置かれるのだろう。私は鈴木邦男さんの本を片っ端から読み漁り、そのおかげでマトモな感覚を取り戻すことができた。

写真は2014年10月13日に名古屋市内で開催された「鈴木邦男名古屋塾」での1コマである。この日は台風で、大雨が降る中、会場の名古屋市教育館へ向かった。時間よりも少し前に到着すると、会場内に鈴木邦男さんがいらっしゃった。

周りに人がいなかったので、名刺を渡して挨拶をさせていただいた。ご著書を読んでいることや、私も鈴木邦男さんと同様に若い頃、谷口雅春先生の『生命の實相』や『限りなく日本を愛す』、『私の日本憲法論』などを読んで勉強したことを話すと、

「君は僕の後輩じゃないか!」と、とても喜んでくださった。

「鈴木邦男名古屋塾」は、台風の影響で20人にも満たなかった。急遽、会場のレイアウトを円座に替えてはじまった。会場に集まった顔ぶれもまた凄かった。極右から極左までバラエティに富んでいた(笑)。これは「鈴木邦男名古屋塾」に限らず、鈴木邦男さんの講演会ではよくあることらしい。

もう鈴木邦男さんの話が聞けなくなったり、本が読めなくなったりすると思うと寂しくてたまらない。でも、私のように影響を受けた者が子や孫に語り、伝えていけばよいのだ。

鈴木邦男さんとの出会いに感謝し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。感謝合掌。