人生とは学校のようなもので、仏教で説く生、老、病、死の4つの苦難をはじめ、人生において巻き起こるさまざまな苦悩やトラブルは学校に例えると進級試験。それらをクリアすることで魂が磨かれて、次の人生、すなわち来世は魂のステージが上がる。
そんな考えを持っていた。いや、今もその思いは強い。進級試験のようなものだから、必ず答えはあると。
しかし、生きていれば、誰かを傷つけ、誰かから傷つけられる。2度と顔を見たくない、許せない相手もいるし、どうしても納得がいかない理不尽なことだって多々ある。そりゃ許せないよりは許した方がハッピーだろうし、理不尽なことも立ち位置次第で善にも悪にもなることもわかっている。うん。頭ではね。
でも、でも、やっぱり許せないヤツはいるし、断じて納得がいかないことだってあるではないか。「時が解決する。忘れろ」と言う人もいるけど、私は絶対に忘れない。忘れるものかとさえ思う。
いや、憎しみや恨みの心を持ち続けるということではなくて。それはそれでシンドイからね。解決ではないかもしれないけど、再び同じ過ちを繰り返さないためだ。あのときの苦しみや悲しみは忘れない。忘れちゃいけない。
そう考えると、許せない相手の存在やどうしても納得がいかない理不尽な出来事も私にとっては必要だったのかもしれないとほんの少しだけ思う。
魂のステージの低い私はそれが精一杯。仕方ないよね。