永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

お互い様。

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東日本大震災のとき、

「絆」というコトバが

至るところで聞かれた。

 

絆。

 

東京と違って、

名古屋は東北出身者は少ない。

 

震災直後の電力不足による

計画停電もなく、

明らかに東京とは温度差があった。

 

それでも、地震や津波で

家族を亡くした人や

家を無くした人、

仕事を失った人に

思いを寄せていた。

 

日本人同士の絆を信じて、

苦しみや悲しみを

ともに乗り越えよう、と。

 

震災から9年が経った今、

コロナウィルスの感染が

世界規模で拡大している。

 

もちろん、

感染そのものも怖いが、

経済的な損失を恐れるあまり、

世の中全体が閉塞感に包まれている。

 

自分だけが生き残ろう。

自分だけは損失を回避しよう。

 

閉塞感の原因は、そんな利己的な考え方が

蔓延しているからではないか。

 

9年前には

絆を信じて乗り越えよう、

と言っていたのに。

 

今こそ日本人同士の絆の強さを

試されているのではないか。

 

一介のカメラマンであり、

ライターである私が世の中のために

何ができるかはわからない。

 

でも、1つだけ決めたことがある。

 

ウィルスは地震や台風などのように

局地的なものではなく、

誰もが感染する恐れがあるし、

経済的な損失も

誰もが少なからず負っている。

 

「お互い様」だ。

 

辛いのも、苦しいのもお互い様。

 

私は人にやさしくしようと思う。

 

シンプルだけど、そうする。

 

みんな、頑張って

この危機を乗り越えよう、ね。

 

※写真は、近日オープン予定の某カフェのチーズケーキ。撮影終了後、カフェのスタッフの皆さんや出入りする業者さんたちとともにいただいた。ともに汗を流したみんなで食べるから余計に美味しいのだ。

キレイゴト。

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お前の言っていることは、

キレイゴトばかりだ。

もっと現実を見ろ。

世の中、そんなに甘くない。

 

これまで何人に言われたかわからない。

 

そんなことは

ハナっからわかっている。

 

現実は辛いことばかりということも、

世の中は厳しいということも、

全部わかっている上で、

キレイゴトを言っている。

 

だって、

嘆いたり、

文句を言ったり、

人のせいにしたりするのは

誰でもできるじゃないか。

 

愚痴ったところで

誰も幸せになれないし、

何よりも

自分自身が救われない。

 

辛い中で、

苦しい中で、

悲しい中で、

善いことを、

喜びを見つける。

 

実は、その方が難しい。

 

でも、

夢や希望が持てる。

周りの人にも

夢や希望を与える。

 

人は、

夢や希望がなければ

生きていけないのだ。

 

だから私は、

キレイゴトを言い続けてやる。

 

これからも。

いつまでも。

意味のある食事。

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ブログ読者の皆様はすでにご存じだと思うが、私は毎朝、コーヒーをドリップして朝食を作っている。とは言っても卵を焼いたりする程度だけどね。毎日のことだから、目玉焼きばかりだと飽きてしまうし、スクランブルエッグやゆで卵にしたり、ときにはサンドイッチを作ることもある。

何を作るのかは、その日の気分。子供たちは生活のリズムが違うので自分たちで勝手に食べているから、私が作るのは自分と女房の2人分。そう書くと、

「奥様を愛してらっしゃるんですねぇ」と言われるが、女房への愛情と朝食作りはまったく関係ない。私がきちんとした朝食を食べたいと思っているからであり、それ以上でもそれ以下でもない。

食べたいものを作る。または、食べに行く。当たり前のように見えて、実はそうではない。私はかつてお腹が空いたから作ったり、食べに行ったりしていた。お腹を満たすためだけの食事ほどつまらないものはない。

「牛丼で、いいか……」とか「コンビニでおにぎりでも買うか……」と、妥協からのスタートとなるからだ。もはやそれは食事ではなく、餌だということに気がついたのである。コラムニストの故・勝谷誠彦さんは「意味のある食事」を心がけていたという。

意味のある食事とは、まず、何を食べたいかが挙げられるだろう。そして、次は誰と食べたいか。この2つの条件を満たすことだと思う。断っておくが、牛丼やコンビニのおにぎりが悪いと言っているわけではない。食べたいと思うのであれば、食べればよい。要は自分の意思で決めるということ。

食事だけではない。意味のある、豊かな人生を送ろうとするならば、いっさい妥協しない。私はこれまでのんべんだらりと生きてきた。でも、50歳を過ぎてオノレの人生にかかわる人やもの、ことすべて意味のあるものにしたいと思うようになった。だから、まず、いちばん身近で大切な食事から取り組んでいる。

 

※写真は、昨日食べに行ったペルー料理店で出されたひと皿。スイーツのように見えるが、三層のいちばん下はマッシュポテトで真ん中はカニのサラダ。いちばん上は紫色のジャガイモを使ったマッシュポテト。スパイスのバランスがとても秀逸でとても美味しかった。まだまだ、世の中には旨いものがあると実感した。

おっさんの本気。

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「年齢とともに仕事の量も増えていくものだと思ってた」

そう話すのは、写真専門学校の同期、ミサキだ。

nagoya-meshi.hateblo.jp

私も、そう思っていた。実際、雑誌やネットなどのメディアの場合、融通が利かない(と思われている?)年寄りよりも、才能のある若手を起用するイメージがある。50歳になる前、私はどう太刀打ちすればよいのか悩んでいたことがあった。そんなとき、私が講師を務めた撮影講座に来てくれた方が

「私は何十枚、何百枚撮って、イイと思う写真が1枚あるかないか。でも、ナガヤさんは一発で決めるでしょ。それがキャリアというものよ」と、励ましてくださった。この言葉は説得力があり、今でも支えられている。T橋さん、ありがとうございました。

では、今後、どのようにすれば仕事が増えていくのか。さらには、質の高い仕事を得ることができるのか。それについて語り合った。

あ、この日は仕事の現場がミサキの家の近くで、1ヶ月ほど前に財布を忘れて取材に出てしまい、ミサキに借りた駐車場代を返すために会いに行ったのだ。ちなみに借金の利息はドトールのコーヒー(笑)。

ミサキはこう続けた。

「インスタで知名度を上げて……」

いやいや、“インスタグラファー”なんてのもいるから。にしても、“インスタグラファー”ってナンだ!? 読者モデル的な、プロではない素人に毛が生えたような存在なのか?ギャラ代わりにクオカードとかを貰ってるのかな(笑)。

いずれにしても、50歳のおっさんが今さらインスタはないと思う、まじで。私はミサキにこう言った。

「向こうから頭を下げて仕事を依頼されるような存在をめざせばいい」

これは、50歳を迎える前からずっと私が思っていたことである。あ、「頭を下げて」は言い過ぎかもしれないな。とにかく自分のファンを一人でも多く作ること。そのために私は毎日ブログを書いているし、SNSにも投稿している。もちろん、日々の仕事も誠心誠意を尽くして取り組むのは言うまでもない。それしかないのだ。

さて、いかにすれば仕事の質、量ともに充実したものになるのか。最後にもう一つ。精神論っぽくなるが、絶対に夢を諦めないことだ。私は絶対に諦めない。もう、あとがないおっさんの本気はむちゃくちゃ怖いんだぞ(笑)。若いヤツラ、かかってきなさい。

奥村真史さん。

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最近、ありがたいことに、私を指名してお仕事をいただく機会が増えた。奥村真史さんもその一人だ。

出会いは……もう、10年くらい前になるのかな。奥村さんはグルメ情報誌『おとなの週末』の熱心な読者で、私のクレジット(名前)をFacebookでわざわざ検索して、メッセージをいただいたのがきっかけだった。

ネット記事のクレジットを見て、メッセージをいただくことは少なくはない。もちろん、それはとても嬉しいことだが、雑誌を買っていただいた感謝の気持ちも加わるから、その嬉しさといったらハンパない。だから、いったいどんな人だろうと思い、会ってみたくなった。

『おとなの週末』は、覆面取材、つまり、客として店に足を運び、本当に美味しかった店だけを紹介するのが編集方針である。私は彼を覆面取材に連れて行ったこともある。当時、覆面取材は毎月のルーティーン。ゆえに私は仕事の一つとして捉えていたが、奥村さんにとっては相当に嬉しかったようで、今でもその話をするほど。そりゃ一読者だったのが、記事の制作にかかわることができたのだから嬉しいか。

今日、ブログに書くことを承諾していただこうと、奥村さんに電話をすると、意外な話を聞いた。彼は以前、広告代理店に勤めていて、目にする文章がすべて「提灯記事」だったこともあり、ヤラセ・忖度なしの『おとなの週末』がとても魅力的に見えたようだ(笑)。私も訪れて残念な思いをした店にはチクッと文句を書いていたもんなァ。

前置きが長くなった。奥村さんは当時、広告代理店で働いていて、何度かお仕事をいただいた。広告なので雑誌の仕事とは多少勝手が違うものの、とても楽しくできたことを今でも覚えている。

4年ほど前に奥村さんは転職して、ある施設の広報担当となった。それを聞いて、もう、お仕事をいただくこともないんだろうな……と思っていた。ところが、今回撮影の仕事をいただいたのである。

奥村さんがすばらしいのは、友達なのに「友達価格」を一切求めないことだ。いや、それが当たり前なんだけど。きちんとプロとして扱ってくれるというか、敬意を表してくださるのである。俄然、やる気が出るのは言うまでもない。

昨日は午前中にサクサクッと仕事を終わらせて、奥村さんに地元の有名店『手打ちうどん やまだ』へ連れて行ってもらった。ここは「天ころうどん」が名物らしく、昨日のように気温20度超えの日にはぴったり。

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↑これが「天ころうどん(大盛)」。もっちり食感の手打ち麺にやや甘めのつゆと生卵を絡めていただくとめちゃくちゃ旨い。揚げたての天ぷらもかなりレベルが高くて大満足だった。

クライアントがカメラマンなり、ライターに仕事のオファーを出すとき、基準となるものはいったい何か。もちろん、技術力であるのは言うまでもない。ただ、プロと名乗る以上は、一定レベルの技術を持っているのは当たり前である。

私の場合、それ以外に、いや、技術力が最低ラインなので、キャラクターでカバーしている(笑)。「ナガヤは喋りが面白い」を理由にオファーをいただいても全然問題ない。っていうか、むしろ嬉しい。それこそがブランディングだと思うのだ。

奥村さん、昨日はありがとうございました。また、旨いものを食べに行きましょうね♪

飯自爆テロ。

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この土日は、ずっと仕事場に籠もって原稿書き。私の本業であるグルメ記事なので、あまり苦にならなかった。って、成長したな、私も(笑)。ライターと名乗る者が文章がキライってのもいかがなものかと思うし、それをアケスケにブログに書くという神経もどうかしてるぜ(笑)。

さて、グルメ記事は、店の雰囲気や店主の人柄、そして何よりも料理の味を思い出して書くから、困ることも多々ある。味の伝わり方や心の動きなど描写をリアルに再現すればするほど、フラッシュバックが起こる。その結果、腹が減るのである(笑)。

夜中に書いていたりしたら、もう大変。しかも文章だけでなく写真まであるから、飯テロならぬ、飯自爆テロ(笑)に悩まされることとなる。家族が寝静まった夜、一人PCの前で悶絶する中年男を想像してみてほしい。アダルト動画を見ての悶絶ならまだ許されるかもしれないが(笑)、自分の文章と写真で腹が減って悶絶って、変態ぢゃないか!これまたどうかしてるぜ(笑)。

しかも、悶絶するだけでは終わらない地獄はまだ続く。例えば、旨いラーメンの記事を書く中でフラッシュバックを起こして腹が減る。しかし、食べようにも夜中だから店は開いていないし、仮に開いていたとしてもそこへ行く時間的な余裕はない。

そこで、ガマンして、ガマンして、翌日の昼に家にあるインスタント麺で妥協することにする。当たり前だが、記事に出てくるラーメンとはまったく別物。これじゃガマンした意味がない。

それがストレスになっていく。本物を食べなければ解消することができない。でも、原稿に追われて食べに行けない。これを地獄と言わずして何というのか。「なんだそりゃ!?」という声というか、ツッコミが読者の皆様から聞こえてきそうだが、私もそう思う(笑)。

われながらバカな仕事だな、ほんとに。あー、腹減ってきた(笑)。

 

※写真は最近取材した某店のラーメン(どの店かわかっていても言わないで・笑)。今、いちばんコレが食べたい(笑)。

日常の美。

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「最後にご主人の写真も2、3枚撮らせてください」と、私は取材終わりにいつもお店のご主人のポートレートを撮らせていただいている。

「えっ!?じゃ、新しい割烹着に着替えるわ」と、慌てて取りに行くご主人を私は制止する。割烹着についた一つ一つの染みもまた私にとってはステキに見えるので、そのままでよいのだ。

ごくありふれた日常の、ありのままの姿。それがステキでカッコイイ人に私はレンズを向けたい。誰だって、キレイな服を着て、髪をセットして、メイクまですれば、そこそこ「絵」になる。しかし、それは作られた、かりそめの美しさであって、その人自身の美しさではない。

もちろん、モデルやタレント、役者となれば話は別だ。彼らは自身の美しさを表現するのが仕事。そのためにストイックな日々を送っているのだと思う。やはり、一般人では太刀打ちできないだろう。

でも、私は市井の人にレンズを向けたい。市井の人ほどステキでカッコイイ人はいないとさえ思っている。ときとして、ポーズさえ不要。立っているだけでよい。そのままでよい。その人からにじみ出る生命力というか、美しさ、存在感といったものをカメラに収めたい。

そんな人々と接していると、自分もまた日常を美しく生きたいと強く願うようになった。そのためには、一日をのんべんだらりと暮らすのではなく、この一日はもう二度と戻ってこないとオノレ自身に言い聞かせて懸命に生きるのである。

命を使うのである。幸いにも命はどれだけ使っても減ることはない。むしろ、使えば使うほど力が増す。懸命に生きている様が、生命力がにじみ出ることで美しさとなる。

そう信じて、今日も私は現場でレンズを向け、仕事場でPCのキーボードを叩く。

 

※写真は愛知県豊橋市『中華定食 弥栄』の店主、佐藤要さん。この写真、気に入っているものの、紹介した『Yahoo!ライフマガジン』で使えなかったので、このブログに掲載した。佐藤さん、ありがとうございました!↓記事はコチラ

lifemagazine.yahoo.co.jp