ブログ読者の皆様はすでにご存じだと思うが、私は毎朝、コーヒーをドリップして朝食を作っている。とは言っても卵を焼いたりする程度だけどね。毎日のことだから、目玉焼きばかりだと飽きてしまうし、スクランブルエッグやゆで卵にしたり、ときにはサンドイッチを作ることもある。
何を作るのかは、その日の気分。子供たちは生活のリズムが違うので自分たちで勝手に食べているから、私が作るのは自分と女房の2人分。そう書くと、
「奥様を愛してらっしゃるんですねぇ」と言われるが、女房への愛情と朝食作りはまったく関係ない。私がきちんとした朝食を食べたいと思っているからであり、それ以上でもそれ以下でもない。
食べたいものを作る。または、食べに行く。当たり前のように見えて、実はそうではない。私はかつてお腹が空いたから作ったり、食べに行ったりしていた。お腹を満たすためだけの食事ほどつまらないものはない。
「牛丼で、いいか……」とか「コンビニでおにぎりでも買うか……」と、妥協からのスタートとなるからだ。もはやそれは食事ではなく、餌だということに気がついたのである。コラムニストの故・勝谷誠彦さんは「意味のある食事」を心がけていたという。
意味のある食事とは、まず、何を食べたいかが挙げられるだろう。そして、次は誰と食べたいか。この2つの条件を満たすことだと思う。断っておくが、牛丼やコンビニのおにぎりが悪いと言っているわけではない。食べたいと思うのであれば、食べればよい。要は自分の意思で決めるということ。
食事だけではない。意味のある、豊かな人生を送ろうとするならば、いっさい妥協しない。私はこれまでのんべんだらりと生きてきた。でも、50歳を過ぎてオノレの人生にかかわる人やもの、ことすべて意味のあるものにしたいと思うようになった。だから、まず、いちばん身近で大切な食事から取り組んでいる。
※写真は、昨日食べに行ったペルー料理店で出されたひと皿。スイーツのように見えるが、三層のいちばん下はマッシュポテトで真ん中はカニのサラダ。いちばん上は紫色のジャガイモを使ったマッシュポテト。スパイスのバランスがとても秀逸でとても美味しかった。まだまだ、世の中には旨いものがあると実感した。