永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

役得。

今日は金融系コンサルの会報誌の取材。企業のトップに会社の沿革や経営理念、方針、会社の強みなどを聞くという、フードライターの私にまったく似つかわしくない仕事(笑)。編集担当とは古い付き合いだが、よくもまぁ、この私にオファーを出したもんだ(笑)。

しかし、会社の歩みとは、社長の人生そのものだったりする。皆、仕事が軌道に乗るまで血の滲むような努力をしているし、何度もピンチを乗り越えている。そんな話を聞くのはとても楽しい。

今日お目にかかった某社の社長は自らを「グリス」とおっしゃった。つまり、社員がやり甲斐を持って働くことができるように潤滑油の働きをするのが社長である、と。

私が法人化を考えたはじめたときにこの仕事が与えられたのは偶然ではないと思う。人生に無駄なものは一つもないのだ。

あ、私は法人化したとしても、従業員を雇うことは1ミリも考えていない。っていうか、雇えるわけがない(笑)。

だから取材を通して学ぶのは、マネジメントなどという大それたものではなく、経営者としての心得みたいなものになる。人によっては金を払ってでも聞きたい話をタダどころかお金までもらって聞くことができるのである。

役得以外の何物でもない。思いっきり活用させていただこう。

4年。

先週の金曜日から毎日原稿を書いている。書き続けていると、フレーズがどんどん浮かぶから不思議だ。これがライターズ・ハイというヤツだろうか(笑)。

私の場合、カメラマンでもあるので、この状態は長くは続かない。撮影の仕事が終わってから、ライターの仕事に切り替えるときはかなりのパワーが要るのだ。

さて、実は今日、あることに気がついた。ブログを毎日書くようになって丸4年が経っていたのだ。

何をやっても長続きしない私が、である。リアルに面識がある人は驚いていると思う。

厳密にいえば、2019年は1月15日からはじまったので記事数は357。翌2020年は1月16日から25日まで休んだので記事数は359。2021年と2022年は1日も休んでいない。

毎日更新できるのは、コロナ禍で飲みに行くことがほとんどなくなったのも大きいと思う。少し寂しい気もするが仕方がない。

でも、ブログを続けてきたことは、私の人生に大きな影響を与えた。その日一日を振り返ることができるし、これからのことも考えられるようになった。きっと、ブログをやっていなかったら、流されるまま生きていただろう。

何も考えず、ネットやテレビを見ていれば時間は過ぎるし、別に何かを考えなくても済む。そして、いざ何か決断を迫られたときに場当たり的な判断をしてしまう。それによって人生が狂ってしまうかもしれない。

本当にブログを続けていてよかったと思う。まだブログで人生が変わった!とは言えないけど、あと1年、5年続けていれば何かが変わるかもしれない。

読者の皆様、これからもよろしくお願いいたします。

修羅。

このところ、イイ感じで仕事が進んでいる。予定通りというか、余裕があるというか。

しかし、それではダメなのだ。自分のできる範囲内でやっていては何の成長もない。限界ギリギリのところか、少し超えたくらいの「修羅場」こそが自分の居場所だと思わねばならない。

法人化をめざすのも「修羅場」を求めてのこと。その名の通り、修羅にならなければ起業したものの、潰してしまうのは目に見えている。

これまでマイペースをよしとしてきたが、仕事との向き合い方を今一度考えねばならない時期にきているのだろう。

私はライターの端くれでもあるので、まずは経営理念と経営方針を文章にまとめてみようと思う。おっと、その前に社名だな。まだ公にはできないが、一応考えている。

社名もその由来や経営理念、経営方針すべてをブログで公開するので、しばしお待ちを。

フォトブック。2

次男に贈るフォトブックが完成した。

ページをめくるたびに心がほっこりとする。

それもまた次男が生まれてきてくれたからこそ。

フォトブックは全96ページ。

その一部を公開する。

学生服姿で映っているのは、次男が小学5年生のとき。

「おばあちゃんに制服姿を見せたい」と、長男の制服を着て入院中の母を見舞ったときの1コマである。

母の病状について次男には何も話していなかったが、再来年の中学校入学式には間に合わないと察知していたのだろう。

母はその2ヶ月後に亡くなった。

次男のやさしさに胸が熱くなったことを今でもハッキリと覚えている。

心を豊かにするには。

心を豊かにする、ということをずっと考えている。

いちばん手っ取り早く心を豊かにするには、

美味しいものを食べることだ。

心が波立つのは、お腹が空いているときである。

別に高級なものでなくても構わない。

自分が美味しいと思うものをお腹一杯食べるのだ。

自分で作っても良いし、外へ食べに行っても良い。

食べ物には「美味しいものを食べて喜んでもらいたい」

という作った人の愛念が込められている。

また、料理に使う食材にもそれを育てた人の愛念が込められている。

味を通して人々の愛念を感じ取るだけで心が豊かになる。

私は食べ物の写真や文章を通じて人々の心を豊かにしたい。

鈴木邦男さん。

民族派団体の一水会の創設者で作家の鈴木邦男さんが亡くなった。

以前は精力的に本の執筆や講演会、テレビ出演などをこなしてらっしゃったのに、ここ数年はまったく目にすることがなかったので、お身体を悪くされたのだろうと心配していた。

鈴木邦男さんは、私の人生に多大なる影響を与えた一人である。

黒歴史として永遠に封印しておきたいほど恥ずかしいことだが、その昔、私は極右思想の持ち主だった。ほんの一例を挙げると、中国やロシア、北朝鮮の脅威から国を守るには、憲法を改正して自衛隊を国軍とし、核の開発や保有も持さないと考えていた。

前にも書いたと思うが、当時は熱心に日本会議系の団体が主催する講演会に参加していた。櫻井よしこや金美齢、田母神俊雄、竹田恒泰、そして安倍晋三元首相。彼らの民主党政権批判が最高に心地良く、話を聞くたびに胸のすく思いがした。

しかし、安倍さんの講演会での質疑応答で参加者の一人がヘイトまがいの演説をし、周りの誰もそれを止めることなく、逆に拍手をしていたのを見てから講演会には行かなくなった。あれが保守とは思いたくなかった。

そんなときに手にしたのが鈴木邦男さんの本だった。鈴木邦男さんは、右派の論客として紹介されるが、左派の人たちとも交流があった。若い頃はともかく、鈴木邦男さんの中で右や左という概念はすでに超越していたのかもしれない。

鈴木邦男さんは、アベ政治も批判していた。反原発も掲げていたので、日本会議の息がかかった自称保守の人たちは鈴木邦男さんのことを裏切り者だと思っていたのかもしれない。しかし、鈴木邦男さんの意見に真っ向から反論する自称保守の人は見たことがない。

鈴木邦男さんは言論の自由を何よりも重視していて、意見が異なる相手に対しても敬意を払っていた。だからこそ、左派の人たちからも一目置かれるのだろう。私は鈴木邦男さんの本を片っ端から読み漁り、そのおかげでマトモな感覚を取り戻すことができた。

写真は2014年10月13日に名古屋市内で開催された「鈴木邦男名古屋塾」での1コマである。この日は台風で、大雨が降る中、会場の名古屋市教育館へ向かった。時間よりも少し前に到着すると、会場内に鈴木邦男さんがいらっしゃった。

周りに人がいなかったので、名刺を渡して挨拶をさせていただいた。ご著書を読んでいることや、私も鈴木邦男さんと同様に若い頃、谷口雅春先生の『生命の實相』や『限りなく日本を愛す』、『私の日本憲法論』などを読んで勉強したことを話すと、

「君は僕の後輩じゃないか!」と、とても喜んでくださった。

「鈴木邦男名古屋塾」は、台風の影響で20人にも満たなかった。急遽、会場のレイアウトを円座に替えてはじまった。会場に集まった顔ぶれもまた凄かった。極右から極左までバラエティに富んでいた(笑)。これは「鈴木邦男名古屋塾」に限らず、鈴木邦男さんの講演会ではよくあることらしい。

もう鈴木邦男さんの話が聞けなくなったり、本が読めなくなったりすると思うと寂しくてたまらない。でも、私のように影響を受けた者が子や孫に語り、伝えていけばよいのだ。

鈴木邦男さんとの出会いに感謝し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。感謝合掌。

場違い。

今日は、編集者の亀松太郎さんが主宰するオンラインサロン「あしたメディア研究会」のイベントにゲストとして登壇させていただいた。

他のゲストや参加者は、メディアの第一線で活躍されてらっしゃる方ばかりで、私のような木っ端ライターは完全に場違いだと思った。

そもそも私は自分をジャーナリストと思ったことがないし、ジャーナリズムとかメディアリテラシーなんて小難しいこともわからない、ただの雑文書きだ。

おまけに26歳からフリーランスで仕事をしているので、世間ズレも甚だしいし、協調性も社会性もない。早い話がクズ野郎だ。

一つだけ言えるのは、時代が変わり、紙からネットへと媒体が変わっても、ライターであれば、人の心に響く文章を書けば良いし、カメラマンであれば人の心に響く写真を撮ればよい。極論をいえば、書き手も、撮り手も、そいつ自身が面白いか面白くないか。それだけでしょ。

イベントのフリートークでは、世代間ギャップの話題になったが、そんなものは私の若い頃にもザラにあったので、今始まったことではない。

そもそも、ジジイの昔は良かった的な話は、ジジイ自身のアイデンティティを守るため、というかマウントを取りたいだけなので聞き流せば良いのだ。

たしかにこの多様化した価値観の中でマネジメント能力を求められる組織の役職者には同情する部分もある。でも、デキる者は放っておいてもデキるし、デキない者はどんなアプローチをしてもデキない。それは今始まったことではない。

10人いたら10通りの受け止め方をする。それは間違いない。こっちの言うことを100%理解するのは絶対に不可能なので、60%、つまり半分以上理解したらOKだと思うべきだろう。

一方、半分以下しか理解できない者は「向いていない」ということになる。冷たいと思われるかもしれないけど、それをわからせてやることも組織においては必要だと思うのだが。ま、私はフリーランスなので関係ないけど。

フリーランスの、いや、私の場合、物事のあらゆる判断基準は簡単明瞭。好きか嫌いか、だけ。これは法人化したとしても変わらないと思う。いや、変えてはならない。