永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

モヤモヤ。

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心がモヤモヤすることがある。

 

それは、

オノレがオノレ自身に

納得していないということを

教えてくれる、いわば黄信号。

 

そのまま進もうか、

それとも止まろうかと

迷っているうちに

赤信号に変わって

事故に遭うかもしれない。

 

運良く間に合ったとしても、

まわり道をしたり、

寄り道をしていたのでは、

心はモヤモヤしたまま。

 

やはり、一度立ち止まるのだ。

 

オノレ自身と対峙して、

お前はどうしたいんだ!?

って、自問自答を繰り返す。

 

オノレ自身を納得させるには、

嘘をつかないことだ。

オノレ自身に対しても

他人に対しても。

 

オノレに嘘ばかりついているから、

オノレ自身が納得しないのだ。

 

どこまでも、正直に生きろ。

とことん、誠を尽くせ。

 

心を覆っていた霧は必ず、晴れる。

「永谷正樹」を仕事にする。

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私は写真を撮り、文章を書く。普通はカメラマンとライターが2人で取材へ行くのだが、私はいつも1人。

少し前まではそれがコンプレックスだった。

なぜなら、私が写真を撮っている間、ライターだけで食っている人は一生懸命文章を書いているだろうし、私が文章を書いている間、写真を生業としている人は一生懸命撮影しているわけである。

1日は24時間しかない。1年は365日しかない。単純に考えて、私は彼らの半分しか仕事をしていない。どう頑張っても彼らのスキルに追いつくことは不可能なのだ。

写真と文章が両方できるから、経費も一人分ですむという理由で仕事を依頼されることは嬉しいし、ありがたいと思っている。フリーとなったときにそれを私のウリにしようと思っていたし、実際にそうしてきた。

でも、その反面で「便利屋」じゃねぇかという思いもあった。私にしかできない仕事ではなくて、誰でもいいんでしょ、みたいな。

今思えば、めちゃくちゃヒネくれてるな。あ、今はそんな気持ちは微塵もないし、私だから、私にしかできないからオファーをいただいていると感謝してますから。

なぜ、コンプレックスを乗り越えることができたのかを説明すると長くなるので端折って言う。

カメラマンである私も、ライターである私も、セミナー講師である私も、テレビなどのメディアでコメントする私も、私であることに変わりはない。カメラマンやライターという肩書きではなく、「永谷正樹」を仕事にしようという結論に至ったのだ。

詳しくは↓6年前に私が書いていて挫折したブログをご覧いただきたい。

shuzaiya.cocolog-nifty.com

ライターだけで、写真だけで食っている人たちには今も敵わないと思っている。でも、毎日ブログを書き続け、毎日写真を撮り続ければひょっとしたら……追いつくかもしれない。いや、こんな駄文では無理か(笑)。追いつくことはないけど、せめて距離を縮めたいとは思っている。

癒やしと救い。

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癒やし。

 

観葉植物を飾ったり、

熱帯魚を飼ったり、

水族館へ行ったり、

美術館へ行ったり

音楽を聴いたり、

美味しいものを食べたり、

お酒を飲んだり、

温泉に浸かったり、

マッサージへ行ったり。

 

それで実際に癒やされて、

明日からシャキッと

リフレッシュできればよい。

 

でも、癒やしは、

どこまでも、癒やし。

 

時が経つとともに、

また癒やしを求めてしまう。

その繰り返し。

 

この虚しさは何なんだ。

 

本当に人々が求めているのは、

癒やしなんかではない。

 

救い、だ。

 

どうしたら、救われるのか?

 

考えたって、

どうにもならないから

癒やしというコトバで

誤魔化しているように思えてならない。

 

オレは、救われたい。

 

そのためには、

オノレの人生と

しっかりと向き合い、

生き方を変えるほかはない。

ナガヤ流ハムエッグトーストの作り方。

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拙ブログの読者様は、私が毎朝、朝食を作っていることはご存じだろう。

当初は、というか今でもトーストと目玉焼き程度の、誰でもできるような簡単なものが多いが、Facebookに載せるとやたらと評判が良い。

「目玉焼きの焼き加減が最高♡」とか、「ウインナーの並び方がカワイイ♡」いうマニアックなコメントも寄せられる。

50歳のおっさんをつかまえてカワイイ♡って何なんだ!?とは思いつつも、お調子者の私は、気をよくしていろいろアレンジするようになった。

で、この前はハムエッグトーストを作った。これが今まで作った朝食の中でも最高に旨い一品になった。独り占めするのももったいないし、本当に簡単にできるので、作り方を伝授しよう。

 

【ナガヤ流ハムエッグトーストの作り方】

1.目玉焼きを焼く。フライパンが熱くなったらいちばん弱い火加減にして、落ち着いたところで卵を割ってのせる。蓋をして4~5分くらいが私好みの焼き加減。

2.目玉焼きを焼いている間にパンにカラシを塗り、その上にハム2枚をのせる。さらにマヨネーズをかける。

2.パンを焼く。マヨネーズが溶けるくらい。わが家のオーブントースターの出力は800W。普段は2分半ほどだが、今回は3分強。マヨネーズが溶けるまで長めの時間で焼く。

3.焼き上がったパンに目玉焼きをのせて完成。

 

マヨネーズは味付けだけでなく、接着剤の役目となり、目玉焼きもハムもズレないのがポイント。

あと、カラシは必須。ハムはもともと豚肉なので、マスタードとの相性は抜群。味のアクセントにもなるから、嫌いでなければ是非。

ハムエッグとトーストを食べても同じ味になると思うだろう。ところが、そうではない。おにぎりと同様に、味の調和というか一体感が生まれるのである。単純な料理ではあるが、それが面白い。

今日やることを考えながら、朝食を作る。そして、完成した朝食は女房との会話のネタにもなる。この、毎朝のルーティーンはこれからも続くだろう。

凡人以下クズ未満。

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ライターは人と会うのが仕事である。そして、人の人生や生き様を垣間見て、それを文字にする。いうなれば、その人の物語における語り部やストーリーテラーである。そこに私自身もやり甲斐を感じている。

私が仕事で会う人は、雑誌なり、ネットなりのメディアに登場するような人である。だから、世間一般とは異なる世界観や並外れた特技や技能を持っている、いわゆる「異能の人」だ。

私の場合、主に美味しい料理を作る人が取材対象者であるが、やはり、いい意味で変わった人が多い。私は愛を込めて彼らのことを「変態」と呼ばせていただいている(笑)。だから、私のFacebookの友人も変態だらけ(笑)。

「お前こそ変態だ!」と聞こえてきそうだが(笑)、冷静になって考えてほしい。異能の人の話を聞き、世間一般の人が理解できるような文章で表現するのが私の仕事なのである。

そのためには何よりも私自身が世間一般の常識を熟知していなければならないのである。いわば、アブノーマルの世界とノーマルの世界との橋渡し役が私なのである。クドクドと回りくどい言い方をしているが、私は凡人であるということが言いたかったのだ。 

いや、凡人は褒めすぎだな。それ以下。適当な言葉が見つからないが、それ以下。んー……。凡人以下クズ未満といったところか。クズと言い切ってしまってもイイけど、クズと結婚した女房やクズの子として生まれた息子たちが不憫だからクズ未満。

異能の人が意に介さないような、しょーもないことで凹むし、悩む。努力すれば報われるかもしれないのに、怠ける。本当にみっともないったらありゃしない。

ときどき、このブログで書いている格言めいたことに共感してくださる方もいらっしゃる。決してそれは誰かへのメッセージとして書いたものではない。私自身への戒めとして書いているだけだ。ちょうど居酒屋のオヤジが便所に相田みつをの作品を飾っているのと同じように。

 凡人以下クズ未満の私でも、報われたい、浮かび上がりたいという気持ちだけはある。だから、足掻く。みっともないけど、足掻く。

史上最強の中華屋ラーメン。

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原稿書きの仕事が続くと、お昼くらいは外へ出たくなる。そこで、『食べログ』で以前からチェックしていた店へと車を走らせた。

目当ての店は、名古屋市西区中小田井にある『中華 蒼天(そうてん)』。

tabelog.com

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昔ながらの町中華というよりは、今どきのスタイリッシュな店構え。

『食べログ』の事前チェックによると、ここの「ラーメンランチ」は、醤油ラーメンと小鉢、白ご飯のセットだが、追加料金で白ご飯を炒飯に変更することができるとあったのだ。つまり、チャーラーだ。

店内に入ると、8割方席が埋まっていた。幸いなことにカウンターが空いていたので、そちらへ案内された。よし、ここまで順調だ。ところが、メニューを見て驚愕。「ラーメンランチ」はあるものの、メニューの欄外に

「白ご飯から炒飯への変更は諸事情により中止しました」とあるではないか!もう、テンションはダダ下がり……。仕方がないので、「ラーメンランチ」を注文することに。チャーラーの旅。でも何でもない。これではフツーのランチではないか。

7、8分ほど待って料理が運ばれた。まずはその内容から紹介しよう。

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これが、醤油ラーメン。チャーシューとメンマ、ネギのシンプルな一杯。中華屋のラーメン、それもランチだからこんなものだろう。

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これが小鉢。内容は日替わりのようだ。この日は油淋鶏。

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で、白ご飯。大盛は無料とのことだったので、遠慮なく大盛に。

しかし、ラーメンは見たところ、おかず的ポテンシャルは低そう。と、いうことは油淋鶏のみでこの大盛ご飯を片付けねばならないのか……。「大盛無料」というフレーズに対する私の弱さが露呈してしまった(笑)。

もう、この時点で炒飯は食べられないわ、ご飯の量は失敗するわで完全に戦意喪失。って、何の戦いだ(笑)。ところが、予想もしていなかったことがこの後に起こった。

中華屋の、それもランチのラーメンと高を括っていた醤油ラーメンが旨すぎるのである!とくにスープ。だしの奥深さといい、醤油の風味、バランスといい、どれをとっても完璧。もちろん、麺との相性も最高だった。

前にも書いた通り、具はチャーシューとメンマ、ネギのみだが、これ以上何も要らないと思うほど。ここにモヤシやコーンが入っていたら台無しになる。もう、これだけで完成された形なのである。

これまで数多くのチャーラーを食べ歩いた私が断言する。ここの醤油ラーメンは、中華屋のラーメンにおいて間違いなくトップクラスである、と。そうなると、どうしても炒飯が食べたい。この醤油ラーメンと炒飯が合体したら、いったいどんな世界が目の前に広がるのだろう。

こうなれば、夜に行くしかない。近々行こうと思っているので、報告を待つべし。

人生は原稿書きのようなもの。

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先日、このブログをご覧になっている方から、

「ナガヤさんは人生を楽しんでらっしゃる」と、言われた。

そのように受け止めてくれるのは本当にありがたいというか、嬉しいというか複雑な心境。これだけはハッキリ言っておきたい。

決して、楽しんでなんていない。そんな余裕もない。むしろ、苦しい。いや、正確に言えば、楽しくなるかもしれないという可能性に懸けているのである。

それも、50歳のおっさんが。若いヤツらからすれば、悪あがきにしか見えないだろう。だから、足掻いて、足掻いて、足掻きまくってやろうと。何も失うものがないおっさんの本気はコワイんだぞ(笑)。

今月の三連休は、すべて原稿書きに終わった。フードライターの私にとってはジャンル外の原稿だけに、かなり悪戦苦闘した。同じ文字数でもグルメ記事であれば、半日くらいで書き上げたと思う。いや、それは言いすぎだ。しっかりと丸一日はかかるな。

書きながら思った。私の人生はこの原稿書きのようだと。書いている最中は、苦しくて苦しくて逃げ出したくなる。実際、3日間で何度Facebookに逃げたり、ソファでごろ寝したことか。 

でも、書かなきゃ終わらない。一切の誘惑を断ち切って、パソコンの前に向かい、やっと書き上げたのである。さすがにそのときは何とも言えない爽快感というか、解放感に満たされる。それを感じたいがために原稿を書いていると言っても過言ではない。ひょっとしたら、私はドMかもしれない(笑)。

どうでもイイが、写真を撮っているときは、仮に被写体が料理であっても、心の中で「オラ!オラ!オラァ!」と叫んでいる。だから、ドSという面もある。って、ほんと、どうでもイイ話だな(笑)。

毎日ブログを書いているにもかかわらず、仕事で書く文章となると、まるで自信が持てない。こんなの、楽しいわけがない。苦しくて、辛い。でも、毎日書いているうちに楽しくなるかもしれない。

人生だってそう。原稿書きのように毎日苦しくて辛いことばかり。でも、ただ目標も目的もなく、漫然と生きるのではなく、ちょっとだけ真剣に、もとい、怠け癖のある私の場合は思いきり真剣に、だな。思いきり真剣に生きていれば、楽しくなるかもしれない。

そりゃ、ずっとスイッチがオンだと疲れてしまう。今と同じペースで仕事ができるのもあと10年足らずと思っているから、終わりが見えているから、スイッチが入りっぱなしでも大丈夫なのである。

原稿書きで例えると、今は書いている最中。書き上げたときのような解放感や爽快感は、オノレの命が燃え尽きるときに感じるかもしれない。感じたいからこそ、原稿を書くためにパソコンに向かい合うように、オノレ自身に向かい合っているのである。決して楽しい作業ではない。