永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

クリスマス。

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クリスマスである。バブル真っ盛りの頃は、クリスマスイブには赤坂プリンスホテル、通称“赤プリ”で泊まるのがステイタスとされていた。名古屋の場合は、ヒルトンか名古屋観光あたりだったと思う。ちなみに当時はマリオットはまだ開業していなかった。↑写真は赤プリ跡に建つ『赤坂プリンス クラシックハウス』。

今思うと、本当にくだらない。クリスマスの過ごし方をメディアが煽りまくり、人々は思いきりそこに乗っかっていたわけである。クリスマスに限らず、ファッションも、カルチャーも、ライフスタイルも。当時のメディアはかなり影響力があったと思う。ただ、クリスマスに関しては……セックスがしてぇだけじゃねぇかって(笑)。

バブル全盛期の頃、私は高校生か専門学校生。ゆえに、彼女がいたとしても栄あたりに出かけて食事するくらい。でも、それがメチャクチャ羨ましかった。高校時代、女子の友達は沢山いた。でも、それ止まり。いちばん彼女がほしい時期の高校2年生のときはロンリークリスマス。クリスマスイブの夜、同じく彼女がいなかった友人のA藤の家でヤケ酒をあおることにした。

メロンフィズと三ツ矢サイダー、つまみにカラムーチョを持って訪ねると、A藤は下町のナポレオン、いいちこを用意していた。今頃、クラスのアイツとアイツは……なんて考えただけで腹が立った。なぜ、オレには彼女がいなくて、クリスマスイブにA藤なんかと酒を飲んでいるんだ、と。楽しくも何ともないので酒がすすみまくる(笑)。

チキショーとか言いながら飲んでいると、A藤の親父さんがウイスキーのボトルを片手にやってきた。

「お前ら、これも飲め」と、親父さん。今では問題になるかもしれないが、当時はこんなにもユルかったのである。メロンフィズにいいちこ、ウイスキーと飲みまくり、その後は……覚えていない(笑)。ただ、翌年からは私にも彼女ができた。以来、ロンリークリスマスはない。

結婚して子どもが生まれると、クリスマスは子どものためのものとなる。チキンやケーキを食べて過ごす。イブの夜には枕元にプレゼントを置く。翌朝、それを見つけた子供たちの嬉しそうな顔を私は一生忘れない。

さて、月日は流れて、現在、長男は22歳で次男は18歳。そりゃもうクリスマスは家族と過ごすことはない。2人とも彼女とデートだそうですよ、ええ。女房と2人でチキンやケーキを食ったって面白くも何ともない。というか、2人きりで過ごしたクリスマスが昔すぎてどうすればよいのかわからない(笑)。女房もフルタイムで働いているし。

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ってことで食事には行った。ただし、フレンチやイタリアンなんて洒落た店ではない。行きつけのあんかけスパの店である(笑)。よーく見ると、あんかけスパがクリスマスカラーに見え……ないか(笑)。何なんだ、このスペシャル感のなさは(笑)。まぁ、こんなクリスマスがあってもいいではないか。

考える時間。

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ブログを書き続けて気がついたことがある。

それは、ブログを書くという行為よりも、何を書こうかと考えている時間の方が重要であるということ。

日記的な内容は極力控えようと思っているので、今日起こった出来事を振り返ることもない。何を書こうかと考えたときに、フッと心に浮かんだことを書き綴っているのである。書きながら深く考え込んでしまい、まったく筆がすすまないこともある。また、書いている途中に考えがまとまらなくなって、すべて消去したこともある。

それまで夜はダラダラとテレビを見て、眠たくなったら寝る、みたいな生活をしていた。テレビを見ながらスナック菓子や菓子パンなどを間食することもあったので身体にも相当悪かったと思う。今はほとんど間食もしないし、テレビ自体もそんなに見なくなってしまった。

毎晩22時くらいから仕事の手を休めてブログに没頭する。オノレと向かい合い、「お前はこのままでよいのか!?」と自問自答する時間でもあり、誰にも邪魔されない貴重なひととき。今年、50歳を迎え、東京のメディア関係者に「ナゴヤにナガヤあり」と言わしめるという目標もこの時間があったからこそ生まれた。

前にブログを約1年続けてみたものの、オノレの人生は変わらなかったと書いた。たしかに目に見える形では変わっていないかもしれない。しかし、人間としての成長は間違いなくあったと思っている。

来年1月15日以降、このブログを続けていくかどうかはまだ決めていない。でも、ものごとを深く考える時間は私にとって必要なようだ。

※写真は、昨日の昼に原稿書きの気分転換に作ったカレーピラフ。ハンバーグもご飯も一昨日の残り物。具材は、たまたま冷蔵庫にあった玉ネギとピーマン、ベーコンを入れた。美味しかった♪

見る。

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写真とは、写し手の見たものを

「切り取る」作業である。

 

わかりやすく言えば、

自分が見ているものに

「窓枠」をはめるような行為だ。

 

どの部分に「窓枠」をはめるか?

そんなことを考えているときは、

自分でも驚くほど冷静になっている。

 

いや、冷酷と言ってもよいかもしれない。

いわば血が通っていない機械。

まるでカメラのようにものを見て、

シャッターを切る。

 

だからこそ、

目を背けたくなるような

悲惨な事件や事故の現場でも

冷静にシャッターを押せるのだろう。

 

事件や事故でなくても、

例えば、美しい景色を見る。

カメラを持っていなくても、

アングルや構図を考えて、

頭の中でシャッターを切る。

 

人と話しているときも同じ。

話に耳を傾けつつも、

頭の中でつい、

撮影のシミュレーションをしてしまう。

 

専門学校時代、恩師が授業で

「『見る』ことにかけては、

ヤクザにも負けない」

と言っていた。

当時はさっぱり意味がわからなかったが、

今、少しだけわかるような気がする。

 

しかし、「見る」とは言っても、

前に書いたとおり、

「窓枠」をはめて「見る」から

目の前で現実に起こっていることを

どこかリアルに感じられない自分がいる。

 

カメラマンのサガと言えばそうであるが、

人としては大きな欠陥かもしれない。

私の美学。

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今日、ツイッター経由でキー局の某番組スタッフの方から連絡があった。久しぶりにキー局からの出演オファーかと思いきや、

「番組が選んだメニューを、『名古屋めし評論家であるナガヤさんが太鼓判!』というカタチで紹介したいんです」とのこと。

早い話が“名前貸し”である。まぁ、こちらでリサーチしたり、コメントをしたりする必要はなさそうなので快諾したが。

そういえば、最近はほとんどテレビに出ていない。というか、まーったく声がかからない。私自身もテレビや講演の方に気持ちが向いておらず、今は私の原点である写真と文章に力を入れようと思っているから、仕方がないといえば仕方がない。

ただ、名前を売るにはやはりテレビが強い。メイク×撮影イベントがレギュラー化したら、自分でプレスリリースを書いてテレビに売り込もうと思っている。

メイク×撮影の面白さは、まず、キレイにメイクした姿を写真というカタチで残せることが挙げられる。これは当然のことだ。実はそれ以外にも沢山ある。

これはメイク担当の山村えり子さんから聞いた話だが、「40代や50代の方の中には20代や30代のときからメイク法が変わっていない方が多い」という。

歳を重ねればシワもできるし、肌もたるんでくる。その状態で若いときのメイクをするからどうしても違和感が出るのだ。シワやたるみを隠す“若作り”ではなく、自然に見せつつも、眉やアイライン、唇とポイントをしっかりおさえることで“若見え”させるのが山村流メイク術なのだ。

しかも、それをフォトスタジオと同じような空間、芸能人や有名人でしか立ち入ることができなかったシチュエーションで撮影するのだ。この非日常的な体験もまたメイク×撮影イベントの醍醐味なのである。

テレビ局の皆様、このメイク×撮影イベントを仕掛ける私と山村えり子さん、そして、イベントに参加する人たちを是非、取材してください。

さて、ここからは余談。私は自分のことをまったくオシャレだとは思っていない。でも、これは以前にブログに書いたが、TPOに合わせて着ていく服を選んでいる。フレンチやイタリアンなどのレストランや少しかしこまった和食店ではやはりジャケットくらいは羽織っていく。

服を買うのはもっぱらGUかユニクロだが、自ら選んだものを買うのも私のこだわりだ。服選びの基準は若者とおじさんのボーダー(笑)。同世代の中には、女房が買ってくるものを黙って着る人もいるもんな。それは絶対に嫌だ。多少大げさに言うと、「美学」ということになると思う。生きる上で美学を持つこと。それだけで人生はもっと楽しくなると思うんだ。

存続。

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今年1月15日から、このブログを毎日更新してきた。

もう、ブログを書くことは生活の一部になっていて、苦になることはなくなった。考えてみれば、文章を書くことがキライだった私にとっては大きな進歩である。相変わらず、仕事で原稿を書く作業は困難を極めているが(笑)。まぁ、ブログはテメェの好き勝手に書けばよいという気楽さが私の性分に合っているのだろう。

で、今年も残りあとわずかになってきた。もちろん、1年間は毎日更新すると決めているので、来年の1月15日までは何が何でも書く。

問題は、1月16日以降である。このブログをどうするのかはまだ何も決めていない。現在、一日平均約300人の方がブログを訪れてくださっている。この読者様のために、また2年目も続けていきたいという気持ちもある。

また、仕事やプライベートでお目にかかった方から、

「ブログ、いつも見てますよ」と言われると、恥ずかしいけど、正直嬉しい。そう考えると、存続させるのがよいのだろう。

そもそも、ブログを毎日書こうと思ったのは、プロのライターが毎日ブログを更新したら、どうなるかという実験的な意味合いもあった。できれば、人生を変えたかった。カメラマンとしても、ライターとしても、一人の男としても、ひと回りもふた回りも大きく成長したかった。

でも、冒頭でも書いたように、ブログを書くことが苦にならなくなっただけ。それを私は「大きな進歩」と評したが、撤回する。進歩ではなく、プロであれば書けて当たり前なのである。だから、50歳にしてライターとしてのスタートラインに立つことができたということだ。遅っ!

それにしても、人生はなかなか変わらない。

1月16日以降、このブログをどうするか。選択肢は以下の4つになる。

1.従来通り、2年目も毎日更新する。

2.気が向いたときにだけ書く。

3.スッパリと辞めてしまう。

4.別テーマのブログを開設する。

読者様はどのように思うだろうか?ご意見をお聞かせください。

向き合う。

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写真は、名古屋市緑区『花ごころ 緑苑』の「和楽膳」。どれも丁寧に作られていて、ひと口味わうごとに心が和む。

料理を通じて、味のみならず料理長や店を切り盛りする伊藤嘉美さん、お母さんの人柄までも伝わってくる。

これって、スゴイことだと思う。私も自分が撮った写真から、書いた文章から

「あっ、これはナガヤの写真(文章)だ!」って伝わるだろうか。

カメラマンであれば、ライターであれば、誰でもできるレベルでしかやれていないし、表現の引き出しがあまりにも少なすぎる。

まず、私の技術的な部分の至らなさが原因だろう。ただ、それは何百枚、何千枚、何万枚と撮って、書いていくうちにクリアできると思っている。

いちばん大きな原因は、私自身の考え方や生き方にある。それを変えない限り、私の写真や文章はいつまで経っても変わらない。

考えてみれば、シャッターの、キーボードのひと押しが自分の運命を決める。それは紛れもない事実。もちろん、私はプロとして、限られた時間と場所でベストを尽くしているつもりだ。

しかし、まだまだできることはあるし、もっともっと被写体や取材相手に向き合い、誠を尽くすべきだと思う。

オノレの運命を握っている撮影や執筆がルーティンになってはいけないのである。被写体や取材相手に向き合う姿勢が写真や文章には顕著に現れるのだ。

ナガヤにしか撮れない写真と ナガヤにしか書けない文章。

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いかん。

年末ということもあり、

仕事がソコソコ入っている。

それに安心してしまっている自分がいる。

 

もちろん、仕事のオファーをいただけるのは、

ありがたいことであるし、

自分を必要としてくれている人がいると思うだけで嬉しい。

 

しかし、

お前はそれだけでいいのか!?

お前が求めていたのは安定だったのか!?

だとしたら、

カメラマンなんて、ライターなんて、

やめちまえ!

 

そんな声が聞こえて、我に返った。

 

心地良いBGMのように、

さらっと流れていく写真ではなく、

たった一枚で多くのことを語り、

心をえぐられるような写真。

 

読みやすさや説明的ではなく、

書き手の熱量が伝わり、

人々の心を打つ文章。

 

そんなナガヤにしか撮れない写真と

ナガヤにしか書けない文章で、

東京のメディア関係者に

「ナゴヤにナガヤあり」と言わしめる。

 

それ以外、私は何も要らない。