永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

きしめんといもかわうどん1

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数ある「なごやめし」のなかで最も古いのが、きしめん。平打ちした麺をたまり醤油を使ったつゆにホウレン草などの青菜、煮揚げ、花がつおを盛り付けたスタイルは江戸時代の終わりから明治時代初期には確立されていたらしい。きしめんは、今も昔も大衆のために、大衆の手によって育まれてきたせいか、具体的に記録した書物がほとんど残っていないのである。

10年ほど前、一宮市で喫茶店のモーニングサービスの発祥の店を探したことがあった。市内で古くから営業している店を3日間かけて訪ね歩いてみたものの、写真や資料は見つからなかった。ある老舗喫茶店のマスターから重要な証言を得たので、それを根拠に一宮市を発祥の地とした。このように、大衆文化はきちんと記録されていないことが多い。

とくに「きしめん」という名前の由来は、さまざまな説があって、どれも定かではない。これはメディア等でもさんざん採り上げているのでご存じだと思うが、念のため以下に紹介する。

1.「雉麺」説

江戸時代、尾張藩の殿様が雉(きじ)肉入りの田舎うどんを好んで食べたことから、「雉麺」がなまって「きしめん」になったという説。きしめんに入る油揚げはその名残ともいわれる。

2.「紀州麺」説

紀州藩の殿様が尾張藩の殿様にお土産として献上した麺が「紀州麺」と呼ばれ、いつの間にかそれが転じて「きしめん」になったという説。

3.「棊子麺(けしめん)」説

「棊」とは「墓石」のこと。平たく延ばした生地を竹筒で墓石の形に抜いた、丸い墓石の形をした麺が中国から伝来し、後に平たくて細長い麺になっても名前はそのまま残ったという説。

その一方で、井原西鶴の『好色一代男』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』といった江戸時代の超メジャーな書物に「いもかわうどん」なる平打ちのうどんが出てくる。その地は尾張国(現在の名古屋)ではなく、三河国芋川(現在の刈谷市北部)。

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その場所へ行ってみると、旧街道を思わせる古い街並みが残っていた。その一角に碑を見つけた。そこには、「旧『芋川』の地 ひもかわうどん発祥の地」と書かれてあった。「ひもかわうどん」といえば、幅広麺を使った群馬県桐生地方の郷土料理。幅は狭いもので1.5cm、広いものは10cm以上になるという。群馬県は昔から小麦の産地で、桐生市では幅の広い麺のことを「ひもかわ」と呼ばれていたらしい。

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碑の下のプレートに書かれていた説明文には、

「いもかわうどん 江戸時代の東海道の紀行文にいも川うどんの記事がよくでてくる。この名物うどんは『平うどん』で、これが東に伝わって『ひもかわうどん』として現代に残り、今でも東京ではうどんのことをひもかわとよぶ。 平成14年3月 刈谷市教育委員会」と、あった。

では、いもかわうどんとは、いったいどんなモノなのか?これも残念ながら、記録が残っていないので判っていない。が、刈谷市内のうどん店の店主が独自の推理に基づいて、いもかわうどんを再現したという。(つづく)

1枚目の写真は昭和区白金の『そば処 味ご露』の「きしめん」。幅広の麺とコクのあるつゆのマッチングが最高な一杯。