永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

ストレスフリー。

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ストレスにはめっぽう弱い方だと自覚している。

だからこそ、たったの5年半しか会社勤めができなかったのだ。何がストレスかって、自分のやりたくないことをやらされるのが耐えられなかった。きっと、いや、間違いなく、サラリーマンには向いていなかったのだ。

「ナガヤは甘いよ。それが仕事ってもんだ。皆、ストレスを抱えながら生きているんだよ」と、言われるかもしれない。

でも、そうおっしゃるあなたは安定した収入を捨てて、自分のやりたいことだけをする勇気がありますか?と、問いたい。

仕事の過度なストレスから心を病んでしまい、自ら命を絶ってしまう人もいる。現状の苦しさから逃れるために死を選ぶくらいなら、やめてしまえばいいのだ。

私はサラリーマンをやめたおかげでストレスフリーとなった。収入の安定よりも心の安定を選んだのだ。その選択は25年経った今でも間違っていないと思っている。

ストレスの代わりに、もっと写真や文章のクオリティを高めたいということばかり考えている。技術的な部分もまだまだ足りないし、メンタルな部分もまだまだ弱い。自分自身も自覚しているが、人としても経験値もまだまだなのだ。

にもかかわらず、努力もせず、このまま年をとって体が動かなくなる頃に後悔するような人生なんてまっぴらごめんだ。だから、“永遠の駆け出し”としてもう一度、写真と文章に、そして自分自身に向かい合っているのである。

苦しいことも多々あるけれど、それは決してストレスではない。なぜなら、苦しさを忘れるほどの楽しいことの方が多いのだ。五十路のおっさんがナニをほざいているのかと笑うなら笑え。笑っている奴にこの楽しさはわかるまい。

※写真は、昨日から宿泊しているホテルの部屋の窓から見える夜景。

それでも、生きていく。

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辛かったことや

悲しかったことが

フラッシュバックして、

胸が締め付けられる。

 

苦しみから逃れようと、

もがけばもがくほど、

オノレの汚さや

女々しさが

白日の下に晒されているようで、

余計に苦しくなる。

 

いっそのこと忘れようと、

死に物狂いで、

我武者羅に

仕事に打ち込んでも、

喉の奥に刺さった小骨のように

ずっと心に引っかかったまま。

 

苦しみや悲しみを背負うとは

こういうことなのかと

今更ながら気が付いた

オノレの馬鹿さ加減。

 

それでも

生きていかなくちゃならない。

 

苦しみをバネにして、とか

いつか見返してやる、とか

オレはそんなことできないよ。

 

逃れるのではなくて、

忘れるのではなくて、

乗り越えるのでもなくて、

すべてオノレの問題であると

受け容れる。

 

振り返りながら、

後悔しながら、

オノレの人生を走っていく。

 

それでも、いいよね?

再会。

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昨日、取材である和食店へ行ったときのこと。店内、外観、そして料理を撮影して、店のことや料理について話を聞いた。私の場合、原稿を書く上であまり関係ないことまで聞いてしまうので、取材時間が長くなることも多々ある。

 今回は取材のスタートが16時とやや遅めだったこともあり、終わったのが営業が始まるギリギリの時間になってしまった。こういう場合、かなり焦る。取材で訪れたことが逆に仕事の邪魔をしたのではないかと思い、

「本日はありがとうございました。では、また連絡させていただきます』と、店のご主人と女将さんに挨拶をして帰ろうとした。

そのとき、一組の客が入ってきた。常連っぽい客が友人を連れてきたようだ。その友人の方が私の顔を見るなり、

「ナガヤ君、だよね?」と、話しかけてきた。彼はネクタイ姿のサラリーマン風だったので、テレビ局の人か地元の出版業界の人だと思った。私がその人のことを知らなくても、私のことを知っているなんてこともよくあるのだ。

以前、ある店へ行ったとき、

「ナガヤさんの知り合いが来ましたよ」と、店のご主人に言われたことがある。しかし、聞いてみると、会ったこともなければ名前すら知らなかった。そいつは

「ナガヤさんとはマブダチなんすよー」てなことをイケシャァシャァと宣っていたらしい。ゴルァ!誰かは知らんけど、勝手に人の名前を使うなっつーの!

おっと、話が逸れた。彼は

「T木だよ、T木」と言うので、どこのT木かと訊ねたら、

「小学校と中学校が同じだった……」とのこと。

それで思い出した。同じクラスにはなったことがなかったが、たしかにいた。T木君。何年か前まで親しくしていたI田君と仲良しだったんだよな。I田君からよく話を聞いていたっけ。私は帰宅するのをやめて、T木君の隣に座って昔話に花を咲かせた。

自分も人のことを言えないが、T木君はかなり髪が薄くなっていて、明らかに私よりも年上に見えた。しかし、そう思っているのは私だけで、第三者が見たら、まさにどんぐりの背比べ。私もT木君もただのおっさんにしか見えないのだろうか。そう考えると、少し凹んだ。

でも、一つだけ言い訳をさせてくれ(笑)。私は49歳、それも50歳となる3ヶ月前にそれまでの自分に別れを告げた。生き方も変えた。前にも書いたが、「永遠の駆け出し」が私なのだ。ミテクレはどうであれ、気持ちだけは若いと思っている。

一粒で二度オイシイ。

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今回は久しぶりに名古屋めしネタを(笑)。

先日、ドラマ『孤独のグルメ』の原作者、久住昌之さんがTwitterで

と、うどんのつゆでいただく鳥取の「素ラーメン」を紹介されていた。

それを見て、私は名古屋の『長命うどん』の「和風中華」を思い出した。ほかにも姫路の「駅そば」や高知の「中日」など、似たようなものはいくつかある。

ただ、「和風中華」を紹介してもツマラナイと考えた私は、1つの丼にうどんと中華麺が入った「う中」の画像を付けてコメントした。

「う中」は、ある客がうどんと和風中華をそれぞれ1杯ずつ注文しているのを見た店主が片方を食べている間に麺が伸びてしまうと思い、一つの丼にうどんと中華麺を入れたのがはじまりだという。

そこであらためて気がついたことがある。

名古屋には、1つの器に異なる料理が盛られたメニューがやたらと多いのだ。

例えば、これ。

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400gの大盛カレーライスの隣に焼きそばと焼きうどんがそれぞれ一玉ずつ。つまり、1つの皿に3人前のメニューが盛られているのだ! いったい炭水化物の含有率はどうなってんだか(笑)。これが名古屋・平針の『店麺多房 あいうえお』の、その名も「病気ライス」(笑)。その由来は、

「賄いで食べたスタッフの『こんなに食べたら病気になっちゃう』というひと言でメニュー名が決まりました(笑)」(店長)とか。

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あと、私の行きつけのあんかけスパ専門店『めりけん堂』にもこんなメニューがある。

あんかけスパとライス、そしてエビフライ、魚フライと、これも炭水化物ワールドが炸裂(笑)。しかし、キャベツのサラダを添えることで少しだけ罪悪感を和らげてくれるのだ(笑)。これが店名を冠した「めりけん堂セット」である。

しかし、なぜ、名古屋にはこんなメニューが数多くあるのか?

一つは、名古屋人が大好きな「お得感」が味わえるからだろう。何しろ、ひと皿で2~3種類の異なるメニューが味わえるのである。 

もう一つは、地理的な理由だと私は考えている。名古屋は関東と関西の中間に位置する。それぞれの文化が流入し、本来であれば、いいとこ取りできるはずだった。ところが、東西から人やモノが行き交う東海道から名古屋城までそこそこ距離があるため、ガラパゴス的に独自の文化を形成していったのである。

だから、ひと皿に異なるメニューが入っていても、さほど違和感を感じることはない。料理が混ざり合ったらイヤとも思わない。むしろ、合理的でお得だと思ってしまう。一粒で二度オイシイ、名古屋人はこれが大好きなのだ。

ラーメン繁盛店と幸福な家庭生活。

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先日、「ラーメンプロデューサー」なる肩書きを持って、日本国内のみならず、世界を股にかけて活躍されている方を取材した。どのような店が潰れるのか。または繁盛店になるのかを訊ねたところ、彼からとても興味深い話を聞いた。

「ラーメン店の仕事というのは、単純作業の連続なんです。ただ、毎日それを繰り返しているだけでは潰れますね。その単純作業の中にいかにクリエイティブな要素を見出していくか。そこから新たなメニューやサービスが生まれたりして、店の寿命が延びていくわけです」と。

この話、ひょっとすると夫婦にも同様のことが言えるのではないか。夫婦という関係にスリリングなことやハプニングは要らない。言い換えれば、家庭生活もまた、単純作業の繰り返しであると言えるだろう。

潰れるラーメン店のように、日々の家庭生活を「こなす」というスタンスになると、かつてあれほど愛し合っていたはずの2人が互いに興味を失ってしまう。会話も事務的になったり、態度もよそよそしくなる。もはや、一緒に居るのが苦痛になり、外に幸せを求める。こうして家庭生活は破綻する。

やはり、2人で何を創り上げるかというクリエイティブな要素が重要なカギを握る。難しそうに聞こえるかもしれないが、何でもよいのだ。1日1回は必ず「ありがとう」と感謝の気持ちを表すのもよいし、たまにハグをするのもよいと思う。

一方、恋人同士の場合は、単純作業の連続ではどこか物足りなさを感じるだろう。恋というのは先を急ぐもの。いわば、創作活動の繰り返し。当然、意見が違ってぶつかったりする。関係が修復できれば絆がまた深くなる。

仮に夫婦で創作活動をし続けていたら……。そんなの、疲れるわ。たしかに私はモノを作る仕事をしているが、家庭生活において毎日毎日女房からクリエイティブな要素を求められたらブチキレるわ!それもまた家庭生活の破綻につながるだろう。

家庭生活においてのクリエイティブな要素はほんのちょっぴりでよい。むしろ、家庭生活は退屈なくらいがちょうどよい。退屈さを楽しめるようになれたら、きっと人生の達人になれる。

って、モテないくせにまるで恋愛・結婚の教祖のように偉そうなことを言っている私に「お前んとこはどうなんだ!?」というツッコミは禁止の方向で(笑)。ふと、思ったことを書いただけだから。

記念日。

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3月20日は、私たち夫婦の結婚記念日。昨年が銀婚式だったので、今年で26年を迎える。記念日当日、すっかり私は忘れていた。大阪出張だったこともあり、結婚記念日の「け」の字も出さないまま終わった。

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また、3月26日は、女房の誕生日。ちなみに今年で(以下略

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そんなわけで、お祝いをしなきゃってことで、昨日、名古屋市東区東桜にある料亭『神楽家』で食事をしてきた。

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『神楽家』は、台湾・台北に出店している『神楽家台北SOGO忠孝店』を取材したのを機に、社長の日下智恵子さんとご縁が生まれた。昨年7月にはスマホカメラの撮影講座に講師としてオファーをいただいたり、大変お世話になっている。私はずっと前から「記念日を祝うにはここ!」と、決めていた。

メイクアドバイザーの山村えり子さんとのご縁をいただいたのも実は撮影講座だった。日下社長によると、私たち以外にもここで出会ったのが縁となって一緒に仕事をしたりする人が多いという。それは日下社長の人脈の広さを物語っている。財界のサロンとして機能しているのだ。

では、私たちがいただいた料理を紹介しよう。

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前菜。左から「芹胡麻和え」、「蛍烏賊と分葱の金山寺」、空豆で作った「うぐいす豆富」。どれも食材の持ち味を生かしたやさしい味わい。

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御椀。「蛤真丈 お吸い物」。蛤の旨みと香りを凝縮させた真丈はフワフワの食感。だしをひと口味わうごとに身体へと染みわたり、幸福感に包まれる。

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造里。この日は鮮度抜群の「カンパチ」(左)と、とろけるような味わいの「マグロ」(右)。

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焼物。「金目鯛 西京焼」。手前にあるのは「伽羅蕗」(左)と「セロリの酢漬け」(右)。この日は車だったのでノンアルコールだったが、無性に日本酒が飲みたくなった。これをアテに白飯をかっ食らうのもアリだな(笑)。

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揚物。「あいなめ 卸し煮」。あいなめの天ぷらを大根おろしがたっぷり入ったつゆでいただく一品。甘さを抑えた青バナナの天ぷらも入っていた。ホクホクとした食感は芋のようだった。何よりも、だしの旨さがあいなめと青バナナの旨みを引き出していた。

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強肴。「鹿児島県産黒豚のとろける豆富鍋」。豆乳ベースのつゆに黒豚をくぐらせていただく。女房は肉が苦手である。予約の際にそれを伝えて、「鯛しゃぶ」に替えていただいた。

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食事。「しらすの炊込ご飯」と「赤出汁」、「香の物」。和食のコースで私がいちばん重要視しているのが、コースの最後に出されるご飯とお味噌汁。これが旨いか否かでその店の評価が決まる。

もちろん『神楽家』は文句なしの美味しさ。とくに赤出汁は家で作るのとはまったく違う。味の奥行きというか深さがハンパない。赤出汁に限らず、御椀や揚物、強肴などの料理も同じようにだしの美味しさが際立っていた。

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甘味。「台北店七周年記念マンゴープリン」と「アイスクリーム」、「イチゴ」。↑上の写真は、私に出されたもので、女房には↓下の写真のようにプレートに盛り付けて出してくれた。このおもてなしもすばらしい。

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日下社長、『神楽家』スタッフの皆様、心のこもった、温かいおもてなしを堪能させていただきました。ありがとうございました。また何かの記念日には利用させていただきますね。

美しさ。

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「お前が言うな!」って、笑われるかもしれないが、美しく生きたいと思っている。

「美しく生きる」とは何なのか。ルックスはハゲ、デブ、メガネの三重苦(笑)の上、ファッションにも無頓着。って、悪かったな(笑)!外見的な美しさなんてのは、とうの昔に捨ててるわっ!

では、内面的な美しさはどうか。ちっともやさしくないし、自己チュー。女々しくて、何かショックなことがあるとすぐに凹む。って、あれ?おかしいな?オレ、全然美しくないぞ(笑)。

まぁ、所詮、美しさというのは、人それぞれの主観である。学生時代によく聞いていた、ザ・ブルーハーツ『リンダリンダ』の歌詞に、

♪ドブネズミみたいに美しくなりたい

写真には写らない美しさがあるから♪

というフレーズがある。

はたしてドブネズミが美しいのか、という疑問を抱く。たしかに、ドブネズミは汚い。好きな人はいないと言ってもよいだろう。でも、それはあくまでも人間目線で考えた場合である。

ドブネズミは自分のことを汚いとは思っていないだろうし、ドブネズミはドブネズミの人生を、いや、鼠生をただ生きているだけなのだ。そこに「写真には写らない美しさ」があるのだと私は考える。

何が言いたいのか。

オノレの人生を嘘偽りなく、ありのままに生きることこそが美しく生きることではないのかと。たとえ、目を覆いたくなるほど醜い自分が現れたとしても、それもまた自分なのだと受け入れて、赦してやる。それができれば、人にもやさしくできる。そんな人生を生きたいものだ。