永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

福田知鶴さん家で鍋パ。

f:id:nagoya-meshi:20190216092422j:plain

先日、福田知鶴さんと電話で話していたときのこと。

「今日は鶏団子鍋を食べたの。鶏団子は鶏もも肉に細かく刻んだネギとショウガ、ニンニクと卵をくわえてフワフワにして…」と、グルメレポーターゆえに、ビジュアルが浮かんでくるような話しぶり(笑)。私の頭は鶏団子鍋でいっぱいになってしまった(笑)。思わず、

「いいなぁ!食いてぇなぁ!」と、私。

「じゃ、私ん家で鍋パーティーをやろう!」と、知鶴さん。

f:id:nagoya-meshi:20190216092453j:plain

そんなワケで、仲間内に声をかけて鍋パーティーを開催することに。この日、集まったのは、知鶴さんの友達と某局の偉い人、私と腐れ縁の変態カメラマン。さらに、知鶴さんが「助っ人」としてオファーを出したのは、名古屋市南区で『名古屋クッキングスクール』を主宰する料理研究家の杉浦友祐さん。

nagoya-cooking.co.jp

杉浦さんは、料理教室の仕事を終えた後、毎晩屋台のラーメン店『おすぎ』も営んでいる。しかも、1日限定10杯。これでは儲けも何もないのだが、

「料理教室では家庭料理を中心に教えているのですが、老若男女問わず支持される味を研究する中で行き着いたのがラーメンだったんです。毎日食べても飽きない味をめざしています」とのこと。ラーメンは、商売ではなく、料理研究家としての研究だったのだ。

私は知鶴さんから情報をもらい、『まとメシ』で取材へ行った。だから、私も杉浦さんのことをよく知っている。

matomeshi.jp

f:id:nagoya-meshi:20190216093003j:plain

鍋を仕込んでいる間、お酒のアテになるようにと杉浦さんが持ってきてくれたのが手作りのだし巻き卵。

「時間がなかったので、だしの素を使っちゃいました」と、杉浦さんは言うが、これがめちゃくちゃ旨い!しっとりとした食感といい、だしの加減といい完璧。店で売られているだし巻き卵なんかは論外。そこらの寿司屋で食べるよりも旨いんじゃないかと思う。

f:id:nagoya-meshi:20190216093321j:plain

こちらは、からし菜のおひたし。このほろ苦さに酒がすすみまくり。私が飲んでいた「赤霧島」とのペアリングは最高だった。思わず、

「杉浦さん、結婚してくれ!」と、叫んでしまった(笑)。それを聞いた

知鶴さんは

「私を養子にしてぇん♡」だって(笑)。

f:id:nagoya-meshi:20190216093750j:plain

彩りのよい水菜のサラダ。ドレッシングは何だっけな。オリーブオイルと塩、コショウ、醤油、砂糖だっけ。もちろん、杉浦さんの手作りだ。もう、このサラダを食べている時点でかなり酔いがまわってイイ気分。しかも、空腹がピークに。

「ちょっと!見て!この鶏団子!」と、知鶴さんが呼んだので行ってみると、杉浦さんが鶏団子を鍋に入れていた。

f:id:nagoya-meshi:20190216094219j:plain

見よ!この鶏団子の美しさ!思わず、写真を撮ってしまった。こんなの、旨いに決まってるじゃないかぁ!ますます、お腹はペッコペコ(笑)。

f:id:nagoya-meshi:20190216094857j:plain

知鶴さん家にある鍋は、真ん中に仕切りがあり、2種類の鍋が同時に楽しめる。ってことで、もう1種類は今が旬の「鰤しゃぶ」。

f:id:nagoya-meshi:20190216095158j:plain

きんかんや鶏もも肉、ネギなどを入れて鶏団子鍋が完成。鰤しゃぶには揚げとキノコがたっぷり。

まずはハフハフしながら鶏団子を。だしが染み染みでめちゃ旨!これ、無限に食える(笑)。これだけで満腹になりたい(笑)。そんなくだらないことを話しつつ、赤霧島を飲みまくり。

f:id:nagoya-meshi:20190216095720j:plain

鍋に入れるメインの野菜は、クレソン。杉浦さんがいつも買い出しに行く店で買ったので、大量のクレソンを激安で仕入れることができたという。

f:id:nagoya-meshi:20190216100031j:plain

どれくらい大量かというと、これくらい。あ、知鶴さん、写真をお借りします(笑)。この量には私も引いたが、大人6人、子供1人ですべて平らげてしまった。それほど旨かったのである。

f:id:nagoya-meshi:20190216100350j:plain

知鶴さんもこの笑顔。って、かなり作ってるな、これ(笑)。本当は得意の「顔芸」も沢山撮ったのだが、諸々の事情で自主規制(笑)。

いやぁ、それにしても美味しかった!そして、楽しかった!知鶴さん、杉浦さん、集まった皆様、ありがとうございました!

チャーラーの旅。2

取材で岐阜・関ヶ原へ行ってきた。取材アポは14時。経費をケチって、下道で行ったので、昼食は取材先の近くで摂らねばならない。で、食べログで検索。

そこで引っかかったのが、大垣市にある『ラーメン けん』。

tabelog.com

店の付近にはなーんにもない。地元でココを知っている人か、たまたま通りかかった人しか入らないような。あ、私のようにネットで調べて来る客もいる、か。

f:id:nagoya-meshi:20190213210450j:plain

店の外観。白地に赤の「ラーメン・キョーザ」の文字にソソられる(笑)。見ただけで「ココは旨い!」と確信した。

私がこの店を選んだのは、しょうゆラーメン(または塩ラーメン)とチャーハンの「ラーメンセット」、いわゆるチャーラーがメニューにあったからだ。

店へ入ると、カウンター席の客が店のご主人と楽しそうに話していた。きっと常連客なのだろう。私が店へ入った直後に2人の客が来たが、彼らもまた店主と顔見知りのようだった。

ここは「マーボドーフ」や「酢豚」などもあり、ラーメン屋というよりは町中華。近くの客が食べていた「マーボドーフ」も気になったが、やはりここは初志貫徹。「ラーメンセット」でしょうゆラーメンをセレクト。

f:id:nagoya-meshi:20190213211643j:plain

で、まずはラーメンが目の前に運ばれた。チャーシューとメンマ、ネギのシンプルなしょうゆラーメン。あっさり系のスープは、町中華のど真ん中の味。これが旨いんだな。

何と言ったらよいのか、食べた翌日でもまた食べられるというか、飽きのこない味だ。麺との相性も良い。ふた口ほど食べたところでチャーハンの登場。それを見て驚いた。

f:id:nagoya-meshi:20190213212316j:plain

ハーフチャーハンを想像していたのだが、しっかりと1人前、いや、確実にそれ以上はある。しかも、チャーハンのてっぺんにはグリーンピース。これ、重要(笑)。具材はチャーシューとネギ、卵、そしてなんと、カニ!もう、セットのチャーハンの域を完全に超えている(笑)。

肝心な味だが、薄すぎず、濃すぎず秀逸。焦げたしょうゆの香りが鼻から抜け、レンゲが止まらなくなる。食感は、しっとり、ふっくらしていて、絶妙な炒め具合。ラーメンと交互に食べても旨い。うん、チャーラーとしては文句なし。

ただ、ボリュームがハンパない。若い頃だったらペロリと完食できただろうが、必死こいて何とか完食した。半チャーハンでは物足りないし、多すぎても困る。これからは、ちょうどよい量のチャーラーも旅の目的にしようと思う。

「大名古屋モノクローム」プロローグ

f:id:nagoya-meshi:20190214230303j:plain

PCやスマホのみならず、街中の看板やポスター、新聞の折り込みチラシなど、今、私たちが目にしている写真は、大半がデジタルカメラで撮影されたものである。かくいう私も仕事でもプライベートでもデジタルカメラを使っている。仕上がりまで早い上にフィルムを使わないのでコストも安いから、仕事を発注する側にとってもメリットが大きいのだろう。

しかし、カメラマン側からすると、3年とか5年サイクルのモデルチェンジのたびに新しいカメラを買わねばならないし、撮影後の画像処理には高性能のPCやモニターも必要となるため、かなり負担となる。

いや、そんなことはどうでもいいのだ。よい仕事をするためには必要なんだから。私が言いたいのは、世の中に出回っている写真は、何かしらの「加工」が施されているということだ。

例えば、風景写真。画像処理の際に空の色や緑の山々をより際立たせるために「彩度」を上げた写真が実に多い。やや極論になるが、それはニセモノの色なのだ。ただ、仕事でそれをクライアントから求められれば、私もやらざるを得ないが。

しかし、作品として撮影する写真は別だ。これでもかと彩度を上げたり、明るい写真と暗い写真を合成したHDRを駆使したりする写真家もプロ・アマ問わずいる。正直、スゴイ!とは思うし、デジタルカメラで撮影した写真が氾濫するこの時代のニーズもそこにあると思う。でも、私はそれと正反対のことがしたい。

このブログにもアップしているから読者の皆様もわかると思う。私はモノクロ写真にこだわりたいのである。色がなければ彩度を上げる必要もない。色がなければ、被写体そのものが面白くなければ写真として成立しない。それが写真の原点だ。50歳を目前に、もう一度写真と向かい合うには原点回帰をせねばならないのだ。

そこで「大名古屋モノクローム」である。私がレンズを通して見た、オリンピック開幕やリニア開通で変わりゆく名古屋の街の写真をこのブログに載せていこうと思っている。写真の見方や受け止め方は人それぞれなので、あえて文章は書かないが、ご了承いただきたい。

チャーラーの旅。

先日、小牧市の『ギョーザ・ラーメン 大八』へ行って以来、チャーラーにハマっている。

nagoya-meshi.hateblo.jp

これは仕事でも何でもない。質・値段ともに『大八』を凌ぐチャーラーを出す店があるのかが気になって仕方がないのである。

昔、取材する店のリサーチのため、1週間から10日ほど毎日同じものを食べていたことがあったので、連食は慣れている。ただし、身体にはすごく悪いが(笑)。

食べまくってリサーチした10数年間で体重は約20キロも増えてしまい、健康診断でメタボ認定をされてしまった。いや、そんな話はどうでもよい。とにかく、出かけた先でチャーラーを出す店があれば立ち寄るようにしているのである。

ってことで、先日、金山駅へ行ったので、駅前の長谷川ビルの地下にある『麺や 大一番』で昼食を摂ることにした。ここは町中華ではなく、ラーメン店だが、半チャーハンのセットがあるのだ。で、注文したのは、デフォルトの「中華そば」(780円)と「半チャーハン」(200円)。

f:id:nagoya-meshi:20190207190044j:plain

まずは、中華そば。澄んだスープに具材はチャーシューとゆで卵、メンマ、海苔、ネギと、まさにクラシック・スタイル。やや、醤油の角のある辛さが気になったが、十分許容範囲。

このテの中華そばは、ほぼハズレがないので安心して食べられるからいいね。でも、探すとなると意外に少ない。前に親しいラーメン店の店主に聞いたのは、澄んだスープの、いわゆる中華そばは、昼のメニューとしてはアリだが、がっつり食べたい夜は向かないという。だから中華そばを主にしている店が少ないのかもしれない。

f:id:nagoya-meshi:20190207192702j:plain

で、半チャーハン。パラパラの食感で口の中に入れると、醤油が焦げた香りが広がる。たしかに美味しかったが、油が多くて私のような中年のオヤジにはちょっとキツかった。ラーメンのスープも醤油の味が濃いので、このチャーハンを合わせると、味がケンカしてしまうのだ。チャーハンを注文するより、無料の白ご飯の方がラーメンには合うような気がする。

チャーラーの美味しさや楽しさは、チャーハンとラーメンがそれぞれ旨くてもダメで、交互に食べたときの調和にあると私は思っている。

チャーラーの旅はまだまだ続きそうだ。

死ぬまで生きなさい

f:id:nagoya-meshi:20190212203720j:plain

何年かぶりに長渕剛の曲を聴いた。高校時代はほぼ毎日聞いていたな。とくに、つき合っていた彼女にフラれたときや、将来に不安を感じていたとき、長渕剛の曲が、歌詞が本当に心に染みた。女々しくて弱っちい自分はずいぶん励まされたもんだ。

今どきの高校生や大学生は、長渕剛を聴くのだろうか。メッセージ性の強い曲は敬遠されるのかな。「アツイよ!」みたいに。実際、ウチの息子たちも聴いていないし。

今日はYouTubeで曲を聴きながら、原稿を書いていた。最近の曲はよくわからないので、私の高校時代に聴いていた80年代の曲を中心にセレクト。あまりにも懐かしすぎて、当時の思い出が走馬燈のように頭の中を駆け巡る。何度もキーボードを打つ手を止めて聴き入ってしまった。

当時好きだった曲が今聴くとあまり共感できなかったりするのが不思議だ。逆に当時あまり聴かなかった曲が今の自分の心に響いたり。

それが「He・La -He・La」という曲。

www.youtube.com

'86年リリースの『LICENSE(ライセンス)』というアルバムに収録されている曲だが、↑YouTubeで見つけた「LIVE92 JAPAN 東京ドーム」では、新たな歌詞が付けくわえられている。それがこちら。

 

山から神様が降りて来て

おいらの頭を撫でてくれた

死んだらいかんいかん

死ぬまで生きなさいと

おいらの頭を撫でてくれた

何故においらはいつも一人ぼっちなんだねと

神様に尋ねたら首を横に振った

あの世とこの世の真ん中辺りで

生きてるわけがようやく分かった

 

このニューバージョンも今まで聴いたことがなかったわけではない。でも、やられた。涙が出た。曲に共感して、心を打たれるということは、当時の、10代の頃のスピリッツはまだ衰えていないということか。

長渕剛ではないが、生きて、生きて、生きて、生きまくってやる。

顔はその人の人生そのもの。

普段は料理ばかり撮っている私だが、年に数回、仕事で地元のアイドルを撮影することがある。カメラを構えて、ファインダーを覗くと、彼女たちは瞬時に「いちばんカワイイ顔」を見せる。いや、顔だけではない。指先から足の爪先までかわいらしさを全身で表現する。

実際、彼女たちは目鼻立ちが整っているし、スタイルも良い。何しろ、自分自身が商品なんだから、ストイックに自己管理をして、いちばんカワイイ顔を見せる訓練をしているのだろう。

彼女たちの魅力を突き詰めると、「若さ」に辿り着く。若さゆえの弾けるような生命力やエネルギー。それがファンを虜にするのだ。私は今も昔もアイドルに夢中になったことはないが、その気持ちは理解できる。ただ、写真が撮りたいと思うかどうかは別だ。あ、もちろん、仕事であれば気持ちに関係なくシャッターを切るが。

先日、Facebookの友達の写真を撮る機会があった。何でも、同僚の女の子から「写真を撮らせてください」といわれたそうで、私が同行して撮り方のアドバイスをすることになったのだ。で、私も撮らせていただいた。

f:id:nagoya-meshi:20190211120935j:plain

失礼を承知の上で書くが、40代の彼女にはアイドルのような生命力やエネルギーはない。素人なので、「いちばんカワイイ顔」を見せる術もない。が、写し出されたその顔や出で立ちに、写真家としてとても魅力を感じるのだ。それは彼女の「憂い」にあるのだと思う。それはアイドルがどれだけ逆立ちしても敵わない。

彼女がこれまでどのような人生を歩んできたのかはそんなには知らない。きっと楽しいことばかりではなかったのだろうとファインダーを覗いたときに直感した。でも、決してくたびれてはいない。

f:id:nagoya-meshi:20190211121825j:plain

想像するに、惰性でその日を暮らしているのではなく、不器用ながらも、もがき苦しみながらも懸命に生きているのだ。だから、私は無加工で、しかもモノクロでありのままを撮った。彼女からすれば、もっとキレイに、若く見えるように撮ってほしかったと思うが。

楽しいばかりの人生であればそれに越したことはない。が、人生でただの一度も失敗や挫折を経験したことのない人を私は信用できない。人は悲しみを背負った分だけやさしくなれる。昨日のブログで触れた声優志望の女の子も過去に友達を傷つけてしまい、

「これからもずっと懺悔しながら生きていきます」と、友達との関係を修復できなかったことをずっと後悔していた。

「たしかに懺悔するのも大切だけど、もしも、貴女が誰かに傷つけられたら、その人を赦してあげればいいんだよ」とアドバイスをした。

人は年をとるにつれて、生きざまや生き方、考え方が顔に出る。私がグルメ取材へ行った際に、料理だけではなく、それを作った料理人にもレンズを向ける理由もそこにある。

「好き」であることは何よりも勝る

f:id:nagoya-meshi:20190210225755j:plain

ある仕事で声優志望の高校生の女の子に会った。聞いてみると、第一線で活躍している声優になるのは非常に狭き門で、だいたい志望者1000人に対して1人しかなれないという。

それを思えば、カメラマンやライターはなんてヌルいんだ。仕事を選ばず、数をこなせば何とか食っていくことができるんだから。まぁ、それが嫌だから悩みが尽きないんだけど……。

彼女の話を聞いていて、学生時代の恩師のことを思い出した。授業の中で私たち学生が撮影した写真を批評する時間があるのだが、私は恩師の話がさっぱり理解できなかった。

だから、どうすれば写真がよくなるかもわからず、もがき苦しんだ。いっそのこと写真をやめてしまおうと考えたこともあったし、何週間もカメラを触らなかったこともあった。でも、写真以外の道は考えられなかった。

月日が流れて、私は恩師から呼ばれて母校の講師となった。そして、卒業制作の批評にも参加させていただいた。恩師は並べられた作品を前にして、私の学生時代とまったく変わらず、学生たちに熱弁をふるった。かつての私と同様に、学生たちはポカーンとしていたが、そのとき、私は恩師が言いたかったことが初めて理解できた。

それを思いっきり短くまとめると、

「好きなことをとことん、もう限界というところまでやってみろ!」ということだった。写真専門学校へ入学したということは、写真が好きなはずである。その気持ち、今どきの言葉でいえば、モチベーションをいかに持続することができるか、なのだ。

実際、とくにやりたいことはなくて何となく入学した学生はどんどん辞めていった。私の同期は50人くらいいたが、今でもカメラマンとして仕事をしているのは5、6人くらいである。

私も写真が好きだからこそ今まで続けることができたと断言できる。写真が撮れるなら、いくら貧しくても構わないと思ったし、今でもその気持ちは変わらない。写真に限らず、絵でも、歌でも、演技でも、料理でも「好き」であることは何よりも勝るのだ。

さて、声優志望の彼女は、高校卒業後、声優・タレントコースのある大学へ進学するという。私なんぞがアドバイスできる立場ではないが、彼女との別れ際に

「声優・タレントコースに入学する人たちは、当たり前だけど、それが好きなんだよね。その中から夢を叶える人というのは、声優として役を演じているときに生きていることを実感するくらい好きだという人だと思うよ。オレだってファインダーを覗いて、写真を撮ってるときに、あーオレは生きてるって実感するもん」と、エールを贈った。

彼女は目を輝かせながら、頷いていた。が、それは私自身に対する戒めでもあった。仕事でもプライベートでも、あと、どれくらい写真が撮れるのかはわからない。1枚でも多くシャッターを切り、作品を残すことが私の生きる道なのである。