永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

自由。

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昨夜は、K割さんと呑み。

「オレって自由じゃないかもしれない」と、K割さん。そう感じたことがあったらしい。そもそも、いったい、自由って何だ?思わず、考えてしまった。

自由だからといって何をしてもいいというわけではない。例えば、あちこちでオンナを作って、障害者用トイレでコトを済ませたり……。って、誰だよ(笑)。

そりゃ非難されて当然だ。でも、結果的に彼はとても不自由になってしまった。じゃ、女房や世間にバレなきゃいいのか?自由でいられるのか?私はそうは思わない。隠し事があるという段階ですでに不自由ではないか。

これはK割さんにも話したことだが、サラリーマンの場合、出世すれば給料も上がるし、部下もできる。つまり、出世は自由になるためなのではないか、と。

「いや、ナガヤさん、出世していなくても自由に生きてるなぁって感じる人もいるんですよ」と、K割さん。うん、たしかにそういう人もいる。と、いうことは、自由に生きることができるというのは、生まれ持った才能みたいなものなのだろうか。

私の友人や、このブログの読者様からすれば、私、ナガヤは「自由な人」に見えるだろう。そりゃ自由を求めて会社を辞めてフリーになったわけだし、基本、好きなことしかしないから、そう見えてもおかしくはない。

しかし、当の本人は、人が思っているほど自由に生きてはいない。原稿の〆切もあるし(笑)。呑んで帰ってきてもブログを更新しなきゃいけないし(笑)。ちっとも自由じゃない。極めつけは、お金がない(笑)。まぁ、カネで自由が変えるとは思ってないけどね。

自由とは、身体も心もなーんにも縛られていない、囚われていない状態ではないだろうか。って、そんな境地に辿り着くことなんて、どう考えてもムリだ。「オレは自由に生きるぞ!」と思った時点で、自由に生きることに縛られてるのだから。わかるかなぁ。

使い古されたフレーズになるが、「自分らしく生きる」というのもいかがなものかと思う。もう、肩肘張っている時点で自分らしくもないし、全然自由じゃない。だから、私の中では自由に生きるということは、かなり難しいという結論に至っている。まぁ、それでも自由を求めてしまうんだけどね。

いったい、自由って何だ?

 

※写真はK割さんではありません(笑)。二軒目に行った名古屋・栄3丁目『ニューロマンポ』のマスター、所さん。

お車代。

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7月7日(火)のブログ「取材時の料理の代金。」のアクセス数が伸び続けている。「なぜメディアは料理の代金を払わないのか」と、twitterで問題提起をされた秋田市のカフェ店主「ふわりずむ(@fuwa_rizumu)」さんがリツイートしてくださったおかげである。

「ふわりずむ」さん、ありがとうございました。秋田へ行くことがありましたら、絶対に行きます。美味しいカレーを食べさせてください。もちろん、お金は払います(笑)。

さて、今回もみんなが大好きな(?)お金の話をしようではないか(笑)。30年近く前、編集プロダクションで働いていたときの話である。前にも書いたかもしれないが、編プロでの仕事の6~7割は風俗やキャバクラの取材・撮影だった。地元の名古屋や岐阜だけではなく、大阪や京都、神戸まで行くこともあった。

そこで撮影した写真や取材したデータを『週刊実話』や『週刊大衆』、『週刊アサヒ芸能』など実話系と呼ばれる雑誌に送っていたのだ。当たり前の話だが、週刊誌は毎週〆切がある。それゆえに関西方面には頻繁に足を運んだ。

入社してまだ間もない頃、私は初めて大阪の風俗店を取材した。とはいえ、名古屋や岐阜ではすでに何度も取材していたので、インタビューの内容や撮影もまったく同じ。取材を終えて店長に挨拶をして帰ろうとしたそのとき、「ありがとうございました」とお礼を言われて、封筒を手渡された。

次の現場へ行くために地下鉄の駅へ向かいながら封筒の中身を見ると、なんと、1万円札が3枚入っていた。私は意味が解らず、出張から会社へ戻ったときにその経緯を社長に話した。

「今回は知らなかったから仕方がないけど、今後同じようなことがあったら絶対に受け取ってはいけない。週刊誌の場合、大きな事件や事故があったら、風俗記事は真っ先にカットされるんだ。お金を払ったのに、載っていないとなると大問題になってしまうから」と、社長。

私が受け取った3万円は、風俗業界の悪しき慣習である「お車代」。撮影してくれた感謝の気持ちもあるにはあるが、それよりも「また取材に来てください」というワイロ的な意味合いの方が大きい。つまり、カメラマンを囲って、優先的に掲載してもらえるようにするためだ。

社長の言ったことも納得できるし、昔からそういったシガラミを持つのが大嫌いな私はそれ以降、受け取らなくなった。社長はこんなことも言っていた。

「受け取っていたカメラマンで今、業界に残っているヤツはいない」と。そりゃそうである。例えば、大阪で5軒の店の女の子を撮影したとする。1軒あたり3万円の「お車代」が出たとしたら、計15万円。週イチのペースで撮影に行っていたら、60万円!さらには写真を送った出版社からも原稿料が出る。笑いが止まらないだろう。

しかし、社長の言った通り、90年代に風俗業界で名を馳せたカメラマンはほとんど残っていない。地元名古屋で「先生」と呼ばれていた超有名カメラマンはフィリピンパブの雇われ店長をしていると聞いた。やはり、そんなもんなのである。

実際、「お車代」を喜んで受け取っていたカメラマンもいた。が、「お車代」は、領収書の要らない、いわば裏ガネ。そのカメラマンは、せっせと裏ガネを貯めて、それを原資に事業拡大するため、個人事業だったのを法人化した。それがいけなかった。国税に入られた挙げ句、追徴課税で目玉が飛び出るほどのお金をもって行かれたのである。

そもそも、『週刊実話』や『週刊大衆』、『週刊アサヒ芸能』のカメラマンとして仕事をしているのであって、取材先からお金を貰ってしまったら、雑誌の看板にドロを塗るだけではなく、その店専属のカメラマンになってしまう。

カメラマン・ライターと取材先は対等の関係ーーー。私の中に根強くある、その意識は編プロ時代に養われたものなのである。

お仕事をください!

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私の仕事の中で、もっとも効率がよいのは広告撮影である。現場へ行って撮影して、帰宅後に画像処理をしてギガファイル便で送ったり、Googleドライブにアップロードすれば仕事が終わるのだ。

一方、メディアの仕事は現場へ行って話も聞かねばならないし、原稿も書かねばならない。しかも、ここだけの話、ギャラも安い(笑)。それだけではとても生活できないほど。でも、いちばんやりがいを感じている仕事であるのは間違いない。

いちばん嬉しいのは、取材したお店から、広告撮影のオファーをいただくこと。今、広告撮影のお仕事をいただいているクライアント様は、すべて取材が縁だった。掲載された写真をえらく気に入ってくださり、「ウチのメニューを撮ってもらえませんか?」とご依頼されるのがパターン。

いわば、これが私のビジネスモデルなのである。ビジネスモデルという言葉を使ってみたかっただけだけどね(笑)。でも、メニューは季節ごとに替わるし、全メニューをリニューアルすることもある。撮影は1回こっきりではなく、オファーをいただいたら長い付き合いとなる。

私は『食べログ』や『ぐるなび』、『ヒトサラ』などグルメサイトの仕事をしたことがないのでよくわからないが、おそらく、広告代理店から派遣されたカメラマンが撮影するのだろう。ひょっとしたら、撮影のときに初めて店を訪ねることだってあるかもしれない。

しかし、私の場合は違う。事前に取材をしているので、店のコンセプトや名物料理だけではなく、客層、価格帯も熟知した上で撮影をする。実はこれ、スゴイことなのである。要するに、店が望む写真を撮ることができるのだ。

実は、少し前に取材した店から撮影のオファーをいただいた。本当に嬉しいし、ありがたい。取材という行為は、その人が生きてきた人生や店が歩んできた歴史を垣間見ることだと私は思っている。

さらに仕事で絡むというのは、私という存在がその人の人生にも、店の歴史にも影響を与えると捉えている。傍観者からキャストになる、とでも言うべきか。絶対にその方が楽しい。

あ、もちろん、このブログや私のHP、SNSで見た写真がきっかけで撮影をお願いしたい、というオファーも大歓迎です。私にお仕事をください!

取材時の料理の代金。

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「なぜメディアは料理の代金を払わないのか」

秋田市のカフェ店主がtwitterに投稿し、反響を呼んだことはまだ記憶に新しい。雑誌とウェブメディアの仕事をしている私としては、見過ごすことはできない。

結論から言うと、支払うのが当たり前である。私は『おとなの週末』の初代担当編集のアサイ師匠からそう教わったし、その通りだと思っている。理由は2つ。

1つは、取材・撮影のためとはいえ、客に出すものとまったく同じ料理を作っていただくわけである。その対価を支払うのは当たり前だ。取材するライターがその料理を食べるか食べないかはいっさい関係ない。

twitterのコメントに、

「テレビや新聞は取材させてもらってる意識が強く、雑誌等は宣伝してやってる意識が強いからだと思います」

というものがあった。私はただの一度も「宣伝してやっている」と思ったことがない。飲食店を取材する時間帯は、ランチが終わってからディナーが始まるまでのアイドルタイム。本来であれば、休憩をとったり仕込みをしたりする時間である。それをわざわざ取材のために空けていただくのだ。これは本当に感謝しかない。その気持ちを表すためにも代金は支払うのが当たり前なのである。

もう1つは、取材する側とされる側の間に、貸し・借りの関係を作ってはならないから。これもグルメ取材を始めたばかりの頃にアサイ師匠から口を酸っぱくして言われた。

代金を支払わなければ、それが負い目となり、提灯記事を書く結果となる。が、取材する側とされる側が対等の立場であれば、自分の思ったことを、ありのまま書くことができる。たとえ辛口の表現になっても、代金を払っている以上、お店側も文句を言いにくい。まぁ、美味しいと思った店を取材するのだから、悪口を書くことはないが。

以上の理由から、取材時に用意していただいた料理の代金は支払うのが当たり前だと私は考える。とはいえ、例外もある。これも2つ。

1つは、代金を支払うと申し出たときに「要らない」と言われたとき。ただ、料理の代金は、ライター個人が支払うものだと思っていて、遠慮して「要らない」とおっしゃる方も多い。「会社に経費として請求しますから」と言うと、だいたい受け取ってもらえるが、それでも「要らない」と言われたら、厚意に甘えさせていただく。

もう1つ。ウェブメディアの大半は経費が出ない。ガソリン代も駐車場代もすべてギャラの中に含まれている。そのギャラが高額であれば何の問題もないが(笑)、高速道路を使わず、下道で現場に向かっても、都心の高いコインパーキングに駐車したら、残るのは、まさにスズメの涙ほどのギャラ。その中から料理の代金まで支払うと、赤字になってしまうのだ。

その場合、取材のアポを取る際に、あらかじめ経費が出ないため、料理の代金を支払うことができない旨を伝える。さらに、その代わり、取材時に撮影した写真を提供することも話す。何なら、撮ってほしい料理があれば、それもご用意ください、と。だいたいのお店は、その条件を飲んでくれる。と、いうか、「その方がありがたい」と大変喜んでくれる。

同業者からすれば、バカなことをしていると思われるかもしれない。でも、私が撮った写真をメニューブックやPOP、SNSで使っていただき、どんどん繁栄すればよいのだ。その儲けたお金で私にメニュー撮影のオファーを出すかもしれない(笑)。遠回りだが、それでよいのだ。

取材力を、極める。

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随分と長いこと文章を書くのが嫌いだった。毎日ブログを書いていれば好きになるだろうと思っていた。それでも、なかなか好きにはなれず、表現力やボキャブラリーの貧困さがコンプレックスになっていた。

転機が訪れたのは、一昨日。『東洋経済オンライン』の原稿を書いているとき、不思議なことにとても楽しく感じたのだ。自分なりに理由を考えてみると、原稿を書く前段階となる取材に辿り着いた。

取材もめちゃくちゃ楽しかったのである。私の専門であるグルメ取材ではなく、ある商品の開発秘話についての話。作る人も、売る人も、使う人も、皆が喜ぶ商品だと私自身がとても感動したのだ。

書いているうちに、その感動が再び蘇ってきて、最後までノリノリでスラスラと書くことができたのである。こんなことは1年に何回もあるわけではない。

文章だけで食っている人からすれば、鼻で笑われそうだが、やはり、よい原稿を書くには取材力がモノを言うのだ。フリーとなって四半世紀経つが、あらためてそこに気がついた。

いや、取材力、というのは違うかもしれないな。取材時にどれだけ相手に感情移入して、自分自身の心を動かすことができるか、である。ただ、それでいて相手を冷静に見る第三者目線も必要になる。それがないと、ただの提灯記事になってしまうからだ。

ご存じかもしれないが、私の屋号は『取材屋』である。もともと屋号として使っていたわけではなく、肩書きとして考えたものである。もちろん、その由来は写真も文章も両方やるからだ。わかりやすいでしょ?

『取材屋』という屋号で本当に良かった。文章力や撮影のテクニックを身につけるよりも、私の場合はもっと取材力を磨かねばならなかったのだ。ほんと、今さらそんな基本的なことに気がつくなんて情けないことこの上ないが、これから自分のめざす方向が見えてきた気がする。

極めるのだ。取材を。そして、取材を通じて、頑張っている人を応援したい。もしも、その人が人生に悲観していたら、寄り添い、励ましたい。自分の使命はそこにあるのではないかと思っている。だから、極めてやる。取材を。

好きなことを好きなだけやって好きに生きたい。

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ふと、思った。このブログを読んでくださる読者様はいったい、どんな人なのか、と。

毎日のアクセス数はだいたい200人前後。うちFacebookからは毎日50人くらい。Twitterからは10人から15人。ということは、約135人はSNSでもつながっていない、まったくの見ず知らずの人ということになる。って、誰だよ(笑)!こんな独りよがりブログを見ているやつぁ(笑)!? たまにはコメントをくれ(笑)!

そんな中、拙ブログの読者様が7月25日開催の『メイク&フォト』イベントを申し込んでくださった。いや、正しくは、Facebookの友達の友達で、私が撮った写真に興味を持ち、ブログも読むようになったという。

ブログを読んでいるのは、むっさーい、アブラギッシュな中年野郎(笑)だと思っていただけに喜びはひとしおである。ただ、このブログを読んでいるということは、間違いなく変態、もとい、ユニークな方だと思うが(笑)。

さて、私は会社や組織に属さない、いわゆるフリーランスである。その特権として、これまですべてのことを好きか嫌いかで決めてきた。その仕事が、その人が好きだから仕事を請ける、みたいな。フリーになってまで嫌いな仕事を請ける必要はないし、嫌いな人と仕事をする必要もない。

経済的な損失を被ることなんて屁でもない。それよりもストレスを抱えながら仕事をする方が地獄だ。そんなの、まっぴらごめんである。「好きなことを仕事にしている」、とよく言われるが、写真や文章が好きなのは当然のことで、仕事の内容や一緒に仕事をする人が好きということも含めてのことだ。

それにしても、「好き」という感情はヤヤコシイというか、厄介である。「嫌い」と表裏一体ゆえに、何かの拍子に「好き」から「嫌い」になることだって多々ある。写真専門学校の同級生だって、もともとは写真が好きでカメラマンを志し、入学したのだと思う。私もその一人だ。

しかし、50人も同級生がいて、私の知る範囲で5人しかカメラマンになっていない。写真について学ぶうちに、あれだけ好きだった写真が嫌いになったから、カメラマンへの夢を断念したのだろう。

学生時代、私はシャッターを押すことに恐怖を感じたことはあったが、嫌いにはなれなかった。だからこそ、今の自分があると思っている。先日、ブログで紹介した名古屋料理界の重鎮も、

「長く仕事を続けてこられたのはさ、やっぱり料理を作ることが、お客さんに食べてもらうことが好きだからなんだよ」とおっしゃったが、まったく同感である。

好きだからこそ、もっと上手くなりたいと思う。好きだからこそ、一生懸命になれる。人生を懸けられるほど好きな仕事だから、好きなことを、好きな人と取り組みたいのだ。カネなんて、どうでもいい。好きなことを好きなだけやって好きに生きたい。ただ、それだけなのだ。

一人旅。

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3ヶ月ぶりの出張。

向かったのは、

奈良・生駒。

 

泊まってもよかったが、

〆切が迫った

原稿を抱えているので、

日帰りにした。

 

いつものように

カーステレオからは

宇多田ヒカル。

 

一人なので、

遠慮なく大音量にして

宇多田ヒカルの歌唱力と

声量に浸りながら

ハンドルを握る。

 

すごく、

心地良い時間。

これが出張の、

いや、

一人旅の醍醐味。

 

時折、

歌詞が心に刺さり、

いろんな思いが去来する。

 

あの頃も、

あのときも、

BGMは、宇多田ヒカル。

 

思わず、

ハンドルを握る手に

力が入る。

 

「お前は、

何者だ?」

 

「お前は、

生きたいように

生きているか?」

 

「お前は、

現状に満足してないか?」

 

「お前は、

これからどう生きるのか?」

 

自分と向き合い、

自問自答を繰り返すも、

答えは出せぬまま。

 

でも、

生きるしかない。

いや、

生きて、生きて、

生きまくってやる。

 

オノレの生き様が

そのまま

自問自答の答えとなる。

 

そこに気がついたのも、

一人旅の醍醐味。