永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

十三回忌法要。

今日は父母の十三回忌法要。私の家族4人と姉、東京の兄夫婦、大口町で暮らす兄の8人が集まった。前に集まったのはいつだったか覚えていないくらい久しぶり。

本当は十三回忌の法要をやったとしても、私達家族だけでいいやと思っていた。しかし、昨年だったか東京の兄が「親父とお袋の十三回忌をやってくれよ」と言ってくれたおかげで兄弟が集まることができた。

さぞかし父母も喜んでいることだろう。私の父と母はバツイチ同士で結婚して、姉と私を授かった。東京の兄は腹違いの兄で、大口町の兄は父親違いの兄。

兄たちは複雑な気持ちもあっただろうが、私のことを弟として可愛がってくれた。だからこそ、こうして足を運んでくれたのだ。兄たちには感謝している。

いちばん大変だったのは、準備や掃除を一生懸命やっていた女房だ。ナガヤ家の嫁として恥ずかしい思いはしたくなかったのだろう。本当にお疲れ様。ありがとうと言いたい。

法事が終わって、皆で向かったのはお気に入りのうなぎ屋『蓬春』。姉も兄たちもその美味しさを絶賛していた。高校時代の同級生で大将の近間君にもずいぶんと無理を言った。本当にありがとう。

さて、明日からまた仕事!と言いたいところだけど、少し疲れた。ちょっとだけ身体を休めようと思う。女房も休みだしね。十三回忌法要の準備を頑張った女房に感謝の気持を込めて女房孝行をしようと思う。

暫定1位。

今週はやたらと長く感じた。それは月曜日から木曜日までずっと早起きだったからだろう。まったく、普段どれだけグータラな生活を送っているんだ、私は。

22日(月)に松江市と境港市、出雲市へ行ったとき、沢山歩いたこともあって、脚の疲れがなかなかとれなかった。寝ても疲れがとれるどころか、疲労は蓄積するばかり。これはもうマッサージに行くしかないレベル。

いつもの岩倉市『Sugar+K』のオーナー、山中志津香さんにお願いしようと、22日(月)の夜の時点でそう思った。今月は誕生月なので20%割引になるのでもともと行こうとは思っていた。

ところが、ネット予約を試みるも希望する日時が合わず、今日になってしまったのだ。

いつものように施術台の上でうつ伏せになってマッサージがスタート。もう、押されるところすべてが痛い。完全に「痛い>心地良い」だが、ここで力を緩めてしまうと、ただのリラクゼーションのマッサージになってしまう。

私は求めているのは、そんな生半可なものではなく、その場で疲れがとれる即効性のマッサージ。そのために強揉みは必須なのである。

正直、揉み返しはハンパない。それはマッサージが終わった直後から起こり、明日いっぱいくらいまで続く。しかし、揉み返しが消えると同時に自分の体がまるで別物のように軽くなるのだ。

おっと、マッサージに話を戻そう。肩から首、腰、脚とすべてグイグイと強揉みをしてもらったが、いちばん堪えたのは脚。やはり、疲れてがちがちになっていたようだ。と、ここで志津香さんから気になる話を耳にした。

強揉みをリクエストしている客は私以外にもう一人いて、私よりもガチガチらしく、私は勝手に「強揉み師匠」と呼んでいた。ところが、

「ここのところずっと来ていないんですよ」と、志津香さん。と、いうことは私が強揉み師匠の暫定1位ということになる(笑)。

あっという間に90分のマッサージが終わった。あまりにもガチガチすぎて背面しかできないのはいつものこと。20%割引なので120分にすればよかったと少し後悔。

帰宅して夕飯を摂ったら眠たくなってきた。今夜はゆっくりとお風呂に浸かって早めに休もうと思う。

志津香さん、強揉みしてくれたおかげでとてもラクになりました。ありがとうございました♪

GWの予定。

いよいよGW。今日、次男が彼女を連れて帰郷した。彼女は今夜泊まって、明日帰るらしい。で、明日は長男が帰ってくる。

明後日は父母の十三回忌があり、姉や兄2人も来てくれる。法事が終わったら、お気に入りの鰻屋で食事をすることになっている。

私のGWの予定はこれくらい。4月29日(月祝)から5月2日(木)まではフツーに仕事だし。女房が3日(金祝)から6日(振替休日)まで休みなので、それに合わせて休もうとは思っているが。

しかし、なーんの予定も入っていない。こんな円安の時期に海外へ行くなんて人はよほどの金持ちなのだろう。まぁ、私のGWはアマプラやTVerで動画三昧だろうな。

ちなみに息子たちは1日までいるらしい。旨いもんでも食いに行きますかぁ。

 

※写真は少し前に撮影したきしめん。そういえば最近食べていないことに気がついた。GWが明けたら食べに行こうかな。

55歳になりました。

今日は私の誕生日。55歳になった。55歳だからゴーゴー!なんて元気はない。

50歳になる前は50代になるのが嫌でたまらず、必死で抗おうとしていた。

しかし、50代も半ばになると、若い頃と気持ちは変わらなくても肉体的な衰えは隠せない。世の中の50代が今ひとつ元気がないように見えるのはそのためだろう。

これまでの人生で後ろを振り返ることはなかった。それは55歳になった今も変わらないが、プライベートでは2人の息子たちが自立して、思い出すのは息子たちが幼かった頃の楽しかった思い出ばかり。オレ、思いっきり後ろを振り返っているじゃないか(笑)。

でも、青臭いと言われようが仕事においては前だけを向いてめざすべき道を歩もうと思っている。大人になった息子たちには私がダメな大人であることはすでにバレているかもしれないけど、ウソをつき続けようと思っている。息子たちにとってカッコイイ大人であり続けたいのだ。

今日は私の誕生日であるとともに、株式会社つむぐの設立記念日でもある。法人化して1年が経ったというわけだ。

とはいえ、基本的に個人事業主の頃とほとんど変わっていない。地域活性化やセールスプロモーション、イベント企画など法人ならではの仕事はまだまだだが、「地域活性化の仕事がしたい」とあちこちで言っているうちにチャンスが巡ってきた。

まずは、来月某食品メーカーの集まりの中で行われる「ローカルフードのこれから」をテーマとした講演会。

ここでは名古屋めしに対する私の思いや、これまで取材したローカルフードの成功事例、ローカルフードの課題、そして解決方法などを話す予定。せっかくなのでローカルフードに対して弊社ができることを思いっきりPRしようと思っている。

それともう一つ。6月中旬から始まるイベント。こちらでは公式アンバサダーに就任し、あらゆる機会に広くイベントを告知、PRすることになっている。このイベントに関しては、情報が解禁になったらすぐにブログで告知するので楽しみにしていただきたい。

やはり、思考を具現化するには、コトバに出すこと。それを思い知らされた。

55歳になっても全力で走り続けます。皆様、これからもよろしくお願いいたします。

 

※写真は、今夜、誕生日のお祝いで女房と食べに行った『ステーキ宮』のハンバーグステーキ。

プロ同士の競演。

久しぶりにフレンチの撮影だった。あ、広告撮影ではなく、webメディアの取材だったんだけどね。

気合を入れて、紙媒体と同じ機材を使って、同じライティングで撮影した。webメディアなので、それこそiPhoneで撮影しても問題はない。前にも書いたけど、iPhoneだろうがミラーレスだろうがギャラは同じだから。

でも、プロの料理人がプロの料理を作るわけで、プロのカメラマンとしてはプロの技術で応えるのが礼儀だと思うのだ。それに何よりも撮っている私自身が楽しいし。

シェフと話をするのも楽しい。シェフが変態……いや、もとい(笑)。こだわりがあればあるほど楽しい。楽しすぎる。

今日取材したシェフはジビエに造詣が深く、イノシシやシカは言うまでもなく、クマやハクビシンまでも自ら捌いて調理するという。

「ハクビシンは、カタくて」と、シェフ。ハクビシンってカタイんだ。知らなかった。っていうか、それ以前にハクビシンを食うという発想はなかったな。

私が撮影した写真をシェフに見せると、とても喜んでくださった。きっと、私は最大限のドヤ顔になっていたと思う(笑)。でも、その瞬間がたまらなく好き。

料理写真は、プロの料理人とプロのカメラマンの競演によって成立するのである。

為セバ成ル。カケル

今日から島根県松江市へ出張。仕事を終えてから、ホテルにチェックイン。少し休んでから夕食を摂るためにJR松江駅へ向かった。

どこかに美味しい店はないかと調べようと思ってスマホを見ると、着信履歴が残っていた。以前に取材でお世話になった飲食店のご主人、Kさんからだった。

Kさんの店には名物がある。それはKさんが長年にわたって研究し、試作と試食を繰り返しながら、やっと完成させたものだった。私はその名物が気に入って、いろんなメディアで紹介させてもらった。

前にKさんから連絡があったのは、コロナ前だった。その名物を工場で作って、今以上に多くの人々に知ってもらえるようにするという話だった。これまでのKさんの努力が報われたような気がして、私も嬉しくなった。

ところが、しばらくして再び連絡があり、売り上げ金を未払のまま工場の社長が逃げてしまい、大きな損害を被ったという話を聞いた。私はどうすることもできず、ただ話を聞くことしかできなかった。

そして、今日。Kさんは名物を工場で作るということが諦められず、一緒にやってくれそうな人を紹介してほしいという相談だった。

一介のフードライターである私にそんなコネがあるはずもないことはKさんもわかっていたと思う。しかし、切羽詰まっていて、縁のある人に片っ端から連絡をしていたのかもしれない。

話を聞いてみると、コロナ収束後も平日は客足が伸びず、今は朝9時から夕方5時まで運転手のような仕事をして生計を立てているという。店は夜の営業だけとはいえ、夕方5時まで働いていたら、仕込みも満足にできないし、料理人としての技術も発揮できないではないか。

誰かと組んで名物を工場で作るにしても、今の状況では多少無理な条件を出されたらKさんは飲んでしまいかねない。それは結果的に本業である料理人としての自分自身をも安売りすることになる。

今、Kさんがやるべきことは店を繁盛させて、こちらからではなく向こうから「名物をウチで作らせてください」と言わせることではないのか。

変えるのは環境ではなく、Kさん自身の気持ちの方ではないのか。そのお手伝いであれば、私は喜んでさせていただくと話した。

Kさんは私よりも2、3歳年上だったと思うが、生意気なことを言ってしまった。でも、それが私自身の本音。Kさんに伝わったかどうかわからないが、料理人として再起をかけるというのであれば、私は協力を惜しまない。

松江駅で1時間くらいKさんと電話で話をしたら、さすがに腹が減ってたまらなくなった。この際、もうどこでも構わないと思い、駅構内にある小洒落たラーメン店に飛び込んだ。

席に案内されてからメニューに書いてある店名を見て驚いた。その名も『らあ麺ダイニング 為セバ成ル。カケル』。

Kさん、為せば成るのだ。料理人として再起をかけるのだ。

Kさん、頑張れぇ!!!