永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

記録と記憶。

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料理人が腕をふるった料理は、

味覚のみならず、

視覚や嗅覚、聴覚、触覚と

五感で感じる究極の芸術である。

私はそう思っている。

 

では、写真とはいったい何なのか?

  

愛する人を写した写真には、

2人で過ごした日々、

楽しかったことも

苦しかったことも

そこに写っている。

 

街を歩いて写した写真には、

そのときの心境、

喜びや悲しみも

そこに写っている。

 

料理を写した写真には、

その味や温もり、音のほかに

料理を一緒に楽しんだ人との思い出も

そこに写っている。

 

無機質なカメラの

シャッターを押せば、

レンズの前にあるものが写る。

 

それと同時に

ファインダーを覗き、

シャッターを押す

人間そのものも写ってしまう。

 

印画紙に焼き付けられた、

モニターに映し出された

人や場所、ものは、

記録であり、

記憶でもあるのだ。

 

願わくば、

たった一枚の写真から、

多くのことを感じてもらえる

厚みのある人間に

私はなりたい。

品格を、磨く。

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「ナガヤさんは超大物のライターということにしてありますから、クライアントの前ではそれっぽく振る舞ってください」

ある飲食店の広告の仕事に携わっていたとき、発注元にそう言われたことがある。いや、冗談じゃなくてマジで。そりゃたしかに、私は大物ではないけどさ。だからといって、昨日今日ライターになったばかりの小物とも思ってねぇわ。

『吉野家』の牛丼に例えるなら、あ、最近ラインナップにくわわった「超特盛」が超大物ね。超特盛→特盛→大盛→アタマの大盛→並盛→小盛という順番とした場合、せいぜい並盛か、良くてアタマの大盛くらいであることくらい私だって自覚してらぁな。

www.yoshinoya.com

っていうか、そもそも大物ライターの所作って何なんだよ!? 

「昨日、チャンネーとギロッポンのシースー行っちゃってさぁ、そのチャンネーのパイオツがカイデーで♪」なんて、今どき使わないギョーカイ用語をまくし立てればイイのか!?

※そもそも出版の世界ではギョーカイ用語なんて使いません(笑)。

まぁ、そのクライアントのことは大好きだったけど、発注元がバカすぎるゆえに、その仕事から手を引いて発注元とは縁を切ったんだけどね。

あと、過去にはこんなオファーもあった。それも、Facebookで友達にもなっていない人から。

「ナガヤさんに撮影をお願いする予算がないので、撮り方を教えてください」って。

いやいや、それは違うでしょ。たしかに私は飲食店向けにスマホを使っての撮影講座を開催しているけど、それはSNSに日替わりで載せる写真のことであって、

「グランドメニューはお見合い写真のようなものですから、そこは私たちのようなプロにお任せください」って講座の中で必ず伝えているのである。

そもそも、なんで、時間もお金もかけて必死で培ってきたノウハウを教えなくちゃならないんだ?なぁ? アタマおかしくないか? なぁ?←『世界の果てまでイッテQ』のロッチ中岡っぽく(笑)。

で、つくづく思ったのが、

 

 

 

ナメられてんな、オレ。って。

 

 

 

それでこう思ったのよ。もっとオレ自身がこの世界で超有名になって、それこそ大物ライターになれば、こんな風にナメられずに済むんじゃないかって。

くだらないことを要求されたら、

「うるせぇ!この野郎!」って、一喝すればいいんだもん。

それを福田ちづるさんに相談したことがある。

nagoya-meshi.hateblo.jp

「(呆れ顔で)あんたねぇ……。そんな……。力で押さえつけてまったら、余計に恨みを買ってまうがね。あんたの考えは間違っとらんのだで、冷静に、理路整然と相手に話せばいいんだてぇ」と、ちづるさん。

名古屋弁を使って多少脚色してあるが(笑)、このようなことをおっしゃったと思う。ちづるさんは超大物タレントだけど、たしかに横柄な態度はとってないわ。そのおかげでブチキレていた私も冷静になることができた。

力、というか、権力を手にしたら豹変する人もいる。まるで自分がにでもなったかのように。どこかの国の総理大臣も然り。そりゃ周りの人間が自分にひれ伏して、忖度しまくってくれたら、偉くなった気分になる。で、この座を奪われてなるもんか!ってなことを考えるわな。

前出のバカすぎる発注先も同じ。仕事のオファーを出した自分がマウントを取ったと思ってやがる。そりゃこっちは仕事をいただいている立場だから、上から目線でこられても従うよ。でも、その前提として、リスペクトできる相手だから従うわけで。バカすぎる相手にはムリでしょ。バカが伝染(うつ)るだけでしょ。

しかし、幸いなことに福田ちづるさんをはじめ、私が大好きな人たちは皆、少しも偉ぶっていない。むしろ謙虚。自分には1円のトクにもならないのに、人のために骨を折ってくださるような、生き方の手本になるような人がいっぱいいる。

私はライターとしての格付けを並盛かアタマの大盛であると自己分析したが、これを撤回する。もう、そんなのはどうでもいい。ライターとしての格よりも、人としての品格を磨かねばならないということに気がついたのだ。パイオツがカイデーとか下品なことばかり書いているので、もう手遅れかもしれないが。

僕の「幸福論」。

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HDDにある過去に書いた原稿を探していたら、懐かしい文章を見つけた。今からちょうど4年前、大学で講師をしていた頃に書いたものだ。2015年11月29日、この日は最後の授業。私は学生たちに以下の文章を贈った。

ちなみに私が担当していたのは、雑誌や新聞などの紙媒体について学ぶ「出版メディア論」だったが、まったく関係ないことを書いている(笑)。しかし、私が学生たちへ本当に伝えたかったことかもしれない。

それを私も忘れたくはない。だから、このブログにも遺しておこうと思う。

 

 

僕の「幸福論」

─最後の講義を前に思うこと─

 

 たった5回の講義で諸君に何を伝えられるのだろう。2回、3回と講義を続けるなかでもずっと、そう思っていた。が、40歳を過ぎても未だに己の生き方を模索している最中の僕が人様にものを教えることなんておこがましいことかもしれない。

 この世に生を享けて46年。思えば、迷いと失敗、挫折のくり返しだった。今では考えられないと思うが、幼少期の僕は身体が弱かった。風邪を引くとなかなか治らず、こじらせて肺炎に罹り、小学校4年と5年に入院を余儀なくされた。勉強も遅れ、ずっと劣等感を抱いていた。弱かった僕は、弱肉強食の世の中を恨んだ。

 26歳でフリーとなったものの、世間知らずゆえに失敗は数知れず。編集者にダメ出しされ、取材先に頭を下げて再撮影をさせてもらったことも一度や二度ではない。そのたびに劣等感にさいなまれた。写真を誰からも教わらなかった僕に師匠はいない。弟子入りして写真のイロハを学んだ仲間と比べれば、僕の技術は低い。己の、カメラマンとしての力量不足を認めたくなくて、師匠がいないことを言い訳にしていた。カメラマンなのに文章を書くのも、下手くそな写真をカバーするための手段だったのかもしれない。

 その考えが間違いであったと気が付いたのは、ほんの数年前。カメラマンの僕。ライターの僕。大学非常勤講師・セミナー講師の僕。イベント・商品企画アドバイザーの僕…。それぞれの立場で出会う人々は、僕のことを専門家として認めた上で接してくださる。とりわけ、僕を見捨てなかった編集者にはいくら感謝しても足りないほどだ。どんな立場であれ、僕は僕である。己の人生はすべて己自身が選択し、決めてきたのは紛れもない事実なのだ。だから、弟子入りしなかったのも、僕が決めたことだ。それを言い訳にしていたとは、何と情けないことか。

  人は誰しも幸福になりたいと願っている。では、何を以て幸福とするのか。大金を稼ぐこと?たしかに所得の高低は、その人の持つ技術力や営業力を多くの人々が認めているという目安にはなる。また、やりたくない仕事であっても、家族のために、大切な人のために1円でも多く稼ごうと一生懸命働いている人もいる。おそらく、世の中の大半の人がそうだろう。僕は彼らを尊敬しているし、とてもカッコイイと思う。

 僕も家族はかけがえのないものだと思っているし、大袈裟でも何でもなく子供は己の生命よりも大切な存在である。が、僕は高所得と幸福がイコールで結ばれるとは思えないのだ。そもそも利益を追い求めるのであれば、カメラマンやライターを生業にはしない。

  先日、愛知県内の100名を超える料理人が一堂に会するパーティーに招待された。和食や中華、フレンチ、イタリアンというジャンルを超えて酒を酌み交わす彼らの姿を自らの意思で撮影した。超広角レンズを使って全員で記念写真を撮影し、パーティーは幕を閉じた。カメラのモニターに撮影した写真を映して、主催者の料理人に見せると、

「ありがとう!本当にありがとう!」と、ハグをしてくれた。僕は人生をかけて、彼らの料理に対する熱い思いを写真と文章でサポートさせていただこうと思った。そこに利益云々はまったく関係ない。

  また、数ヶ月前にはこんなこともあった。定期的にメニュー撮影の仕事をいただいている取引先で税務上のミスがあり、僕にとっては大きな金額を税務署に納めねばならなくなったのだ。僕は納得がいかず、経理の担当者に噛みついた。その最中のある日、電話が鳴った。出てみると、その取引先に僕を紹介した、ある社長が連絡をくださったのだ。

「金なら俺が払う。だから永谷はこれまで通り仕事をしてくれ!」

  そのひと言で僕は目が覚めた。ここで社長の恩に報わねば、僕は一生後悔すると思い、取引先からの提示をすべて受け入れた。結果的にすべてが丸く収まり、今もメニュー撮影の仕事をいただいている。

 フリーとなって20年。金脈は未だ手に入れてはいないが、何ものにも代えがたい人脈という財産を得た。これからも多くの人々との出会いがあると思うと、僕の人生は幸せなものだったといえる。不足を嘆けばきりがない。すでに与えられていることを見つめ、実感し、感謝する。それが僕の「幸福論」である。

 最後に、拙い僕の講義に付き合ってくれた諸君、本当にありがとう。5回の講義を通じて多くのことを学んだのは、実は僕の方だったと思っている。諸君との出会いもまた僕の財産である。次回は仕事の現場で再会したいと切に願う。

 

平成27年11月29日

名古屋文理大学 情報メディア学科

「出版メディア論」非常勤講師 永谷 正樹

家族旅行。

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一昨日、仕事場でテレビを観ながら原稿を書いていたときのこと。フジテレビ『ザ・ノンフィクション』をやっていた。この番組、名古屋ではO.A.されていない。が、たまに日曜日の昼過ぎとかに再放送されることがあり、何度か見たことがある。たしか、北九州連続監禁殺人事件の加害者の「息子」を追っていたと思う。

ドキュメンタリー番組といえば、TBS『情熱大陸』も人気だが、テイストがまったく違う。『情熱大陸』がFacebook的だとしたら、『ザ・ノンフィクション』はTwitter的。そこには深~い闇が、ある(笑)。

一昨日の『ザ・ノンフィクション』では、ビッグダディの元嫁の美奈子と夫、8人(!)の子どもの一家10人の生活ぶりに密着していた。

www.fujitv.co.jp

スポットを当てられたのは、長男の星音(しおん)と長女の乃愛琉(のえる)。思春期の上、美奈子が再婚した元プロレスラーの佐々木義人と微妙な距離感があるのだ。まぁ、当たり前っちゃ当たり前なのだが。

2人とも高校を中退。乃愛流は契約社員として働くが、義人との距離は微妙なまま。一方、星音は働かず、部屋に引き籠もってゲーム三昧。アルバイトをはじめるもすぐに辞めてしまう。そんな子供たちとの溝を埋めるべく、義人は家族全員のキャンプ旅行を企画するというもの。

もう、ビッグダディの手法(?)そのまんま(笑)。まぁ、それはともかくとして、見ていて無性に家族で旅行へ行きたくなった。最後に行ったのはいつだろう?覚えていないくらいなので、かなり前のことなのだろう。

最近では旅行どころか、家族全員が揃って食事することも少なくなっている。このまま息子たちが就職や結婚をしたら、もう家族全員で過ごす機会がなくなってしまうのではないだろうか。そう思うと、急に寂しくなってきた。

現在、長男は大学4年で来年からは大学院(2年間)へすすむ。次男は大学1年生で卒業するのは3年後。ということは、2年以内にどこかへ旅行がしたい。国内よりもやっぱり海外だよな。その頃は次男も酒が飲める歳になっているだろうから、男3人で飲みながらとことん語り合いたい。彼らにとって一生忘れない思い出を作ってやりたい。

で、今日、長男と次男に提案してみたところ、2人とも返事はOK。きっと、NGだったら思いきり凹んでたな(笑)。今月から旅行貯金、はじめるかぁ。

自分らしく。

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自分らしく生きる───。

Facebookのイベントページ(主に講演会やセミナー)でこのフレーズをよく見かける。また、本屋に行けば、そんなタイトルの本も山ほどある。

「自分らしく生きる」をテーマとした講演会に参加したり、つい、本を手に取ってしまう人は、「自分らしく生きていない」ということになるのだろうか。考えてみてほしい。「自分らしく生きていない」と思う自分も自分に変わりはないのだ。

あと、「輝く自分になる!」という講演会やセミナーもよく見かける。

輝くって何だよ!? しかも、内面的というか、メンタル的な部分の話かと思いきや、「めざせ!月収100万円」的な商売の話だったりするから、ますます意味が分からない。

ははーん、カネさえあれば輝けるって考えているのね。そりゃたしかにカネにモノを言わせて、高級な服や時計、アクセサリーを買って思いっきり着飾れば……。って、違うだろ。これも「自分らしく生きる」と同じで、「輝いていない自分」も自分には変わりはない。

では、「自分らしく生きる」ことや「輝く自分」を私は否定しているのかといえば、そうではない。自分らしく生きたきゃ生きればよいし、輝く自分になりたきゃなればいいと思っている。

ただ、それらを利用して集客したり、モノを買わせたりすることに違和感を覚えるのである。なんか、こう、ネガティブ思考の人がポジティブ思考になる!みたいな、どこかムリヤリ感もあるし、言い方が悪いけどバカっぽい。

だから、「自分らしく生きる」ことや「輝く自分」を勧められたら、私はこう答える。「うるせぇ!」って。

そもそも、「自分らしく生きる」ことを他人から勧められて実行した時点で「自分らしく」ではなく、「ソイツっぽく」ってことになりゃしないか?

それに、「輝く」ったって、輝きの種類もいろいろあるだろうよ。きっと、太陽やダイヤモンドのような輝きをイメージさせたいんだろうけどさ、いぶし銀のような輝きもあるじゃないか。

仮に、自分らしく生きていなくても、自分は輝いていないと思っていても心配すんな。

誰からも勧められることなく、押しつけられることもなく、自らが「自分らしく生きたい!」って思った時点で自分らしく生きていると思うし、「輝きたい!」って思った瞬間から輝いているのだ。ましてや、月収100万円なんて、まーーーーーったく関係ない。そう思わないか?

コストカットの先にあるもの。

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私の家は決して裕福ではなかったが、母はお米だけは妥協しなかった。魚沼産とまではいかないまでも、いつも新潟県産のお米を買ってきた。幼い頃から毎日美味しいお米を食べていると、逆に不味いお米の味がよくわかるようになった。

例えば、カレーや丼ものなど、おかずとご飯が一つになっているものは顕著にあらわれた。フードライターとして、和食店を食べ歩いたとき、「もっと、ご飯が美味しければ……」と思ったことは1度や2度ではない。お米の存在を軽視して、コスト優先で考えている店は意外と多いのである。本当に残念なことだ。

ごはんソムリエの資格を持つ友人から、一般人もお米を選ぶ基準がやはりコストであることを聞いた。産地やブランドではなく、たまたま特売品だったものを買うということである。

一方、米農家さんからも興味深い話を聞いたことがある。それは、大手外食チェーンが国産米に外国産米をミックスしていて、その比率を少ーしずつ変えているらしいということ。当然、外国産米の方がコストが安い。しかし、急に切り替えてしまうと気付かれてしまう可能性もある。少ーしずつ変えていくことで、その味に慣れさせてしまうのだ。お米にこだわっていない人はまったく気付かないと思う。

お米に限らず、コストを優先する考え方には私は賛成できない。誰も得をしないからだ。そもそも、コストカットするところを間違えているのではないだろうか? 飲食店、とくに和食を扱う店でコストカットでお米を安いものに替えるなんてことは私に言わせりゃ狂気の沙汰。自分で自分の首を絞めているようなものだ。

それと同様に、人件費をコストとして捉え、企業が非正規雇用を増やしてしまったことに、この国の悲劇があるように思えてならない。以前、大学で講師をしていたとき、

「夢は内定をもらうことです」と言った学生がいた。将来のある若者にそんなことを言わせてしまう世の中にしたのは誰か?これは右や左といった思想はまったく関係ない。いったい、誰なんだ!?私を含めたすべての大人たちであることは間違いない。

「仕事なんて選ばなければいくらでもある!」、「今どきの若い者は根性が足らん!」という人の中には、バブルを経験し、退職金をガッポリもらい、年金も満額受給している大人もいる。所詮は他人事なのだ。あまりの無責任さに腹が立つよりも悲しくなってくる。

女房からこんな話も聞いた。すでに辞めてしまったが、次男がある店でレジ打ちのアルバイトを始めたばかりの頃の話だ。まだ仕事に慣れず、レジ前に行列を作ってしまった次男。待された客(次男によると、50~60代の女性)が支払いを終えたときに「今までで最低のレジ!」と言い放って去って行ったという。

「私なら、自分の子どもと同じくらいの子がミスをしたとしても、応援したくなるけどなぁ」と、 女房。

そりゃたしかに待たせてしまった次男も悪い。しかし、次男のバイト先は超高級店ではなく激安店。ゆえに大勢の客が訪れるため、混雑時には行列ができるのも仕方がないし、客側もそのリスクを負うべきではないのか。いや、それよりも暴言を吐かれた次男の気持ちを大の大人が思いやることができないのか。

今、目の前で怒っていることに対して心地良いか否かで判断しているだけなのだ。人件費をカットして目の前の利益を出しても、それはかりそめであり、未来には何も繋がらないのと同じだ。「美しい国」が空々しく聞こえてならない。

チャーラーの旅。29

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ちょっと更新が滞っている「チャーラーの旅。」。いつもは町中華を中心に情報をお届けしているが、今回はラーメン専門店。

このブログで昔ながらの中華そばが好みであることを何度も書いている私。しかし、たまにはコッテリ系も食べたくなる。というか、コッテリ系を一括りにしたら店の人に叱られるわな。正しくは、名古屋市西区中小田井にある『キムラーメン』が恋しくなることがある。

tabelog.com

不思議なことに、ここのラーメンは食べた後にまったく胃もたれしないのである。和歌山ラーメンや家系ラーメンを食べると必ずなるのに。しかも、自分自身でもクサイとわかる謎のゲップ(笑)が止まらなくなる。以前、女房の前で謎のゲップが出てしまい、それが匂ったようで

「ちょっとぉーっ! ナニ食べてきたの!?」とキレられたことがある。そりゃキレるわな。うん。オレなら確実にキレるわ。

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さて、これがいつも注文する「キムラーメン  しょうゆ」。見た目からかなりコッテリしているのがわかるだろう。しかし、食べてみると、ほのかな甘みとしょうゆのコクを感じるスープと、それに負けない弾力のある極太麺が旨い。コッテリ系といっても、千差万別なのだ。

特筆すべきは、ここのチャーシュー、通称“くるくるチャーシュー”。とてもやわらかくて、口の中でとろける。これを麺と一緒に食べるのがたまらないのだ。うーん、思い出しただけで、また食べたくなってきた(笑)。

チャーハンだが、店のメニューにはない。昼は150円で白ご飯とおかずの食べ放題をやっていて、たまに(週イチとかのペースは不明)炊飯器に入ったチャーハンが出るのである。

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それがこれ。この日は早い時間帯に行ったので、炊飯器にチャーハンがたっぷりと入っていたので、大きめのご飯茶碗いっぱいによそった。量にして巷のチャーハン並盛くらいはあったと思う。それと、ザーサイとキャベツの浅漬けものせた。これが150円と考えると、めちゃくちゃ安い。

初めて見たときは、作り置きのチャーハンなんて……。と、思ったが、実際に食べてみると、これがかなり旨いのだ。しっかりとスパイスや調味料がきいているだけではなく、複雑な味わい。具はチャーシューとハム、ネギ、玉子?いたってシンプルなのに、なぜこんな味になるのだろう。

もう、どちらかというと、ラーメンよりもこのチャーハンを目当てに店へ行っていると言っても過言ではないくらい(笑)。本当はおかわりしたかったが(笑)、私と同じようにチャーハンを目当てに来る客に悪いと思って遠慮した。また行こうっと♪