永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

おや?また覆面取材ですか?

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これまで何百軒、いや、何千軒の店に取材へ行った。それをきっかけにプライベートでも食べに行くようになった店もある。名古屋市北区清水の『天ぷら かき揚げ 光村』もその一つ。

www.tp-mitsumura.com

初めて訪れたのは、おそらく15年ほど前。『おとなの週末』の取材が縁となった。『おとなの週末』は、客に扮したライターが店へ行く、いわゆる“覆面取材”で本当に美味しかった店だけを紹介するのが編集方針。ここにも覆面取材で訪れた。

食べ歩いた中でも群を抜いて美味しかったので、取材を申し込んだところ、快諾。名物の「かき揚げ丼」の写真が誌面を飾った。

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「かき揚げ丼」のかき揚げは、10尾分の海老と三つ葉のみとシンプル。油は、江戸前らしく最高級のごま油とサラダ油をブレンド。絶妙な火加減で、海老の甘みとプリプリとした食感を引き出している。

初めて食べたとき、大きくて食べ応えがあるにもかかわらず、まったくしつこくないことに驚いた。これは、しっかりと油切りをしているからにほかならない。当たり前だと思うだろうが、意外とできていない店が多いのだ。これもいろんな店を食べ歩いたことでわかった。

丼つゆにも特徴があり、千葉・銚子産の醤油をベースとした甘辛い味付け。これがご飯とかき揚げを見事に一体化させるのだ。細かい話になるが、ご飯の炊き加減も、しじみ入りの赤だしも、キュウリと大根のぬか漬けも完璧。これで1300円(2019年5月現在)は絶対に安い。

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あー、思い出しただけでまた食べたくなってきた。『おとなの週末』に掲載された後も同じように食べたくなって店へ行った。すると、出迎えてくださった代表の水谷之俊さん(写真)は、

「おや?また覆面取材ですか?」と、疑いまくり(笑)。もちろん、私は否定したが、なかなか信じてもらえない(笑)。まぁ、実際、その後も別のメニューをチェックするため覆面取材に行ったこともあるので仕方がないが(笑)。

プライベートで訪れても取材ではないのかと疑われることは、フードライターである私にとっては最高のおもてなしである。むしろ、私の顔を見て、眉をひそめることがあってもよいと思う。何を書かれるかわかったものではないんだから。

こんな取材でのエピソードも、これからブログに書いていこうと思う。

チャーラーの旅。11

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長年の謎が解けた。

その謎とは、「チャーラーの旅。」3で紹介した、小牧市『ニーヨン』のお昼のサービスセットである。

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Aの「ラーメン+炒飯」(580円)とBの「ラーメン(味噌・塩・醤油)+炒飯」(680円)の違いはどこにあるか、かれこれ20年くらい謎だった。

ラーメンを味噌か塩を選択すれば、違いははっきりする。しかし、醤油を選んだら、580円のAセットと同じになるのではないかと。

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ちなみに↑これがAセットのラーメン。チャーシューとメンマ、ネギがのった、どこから見てもベーシックな醤油ラーメン。 Bセットの醤油ラーメンとは、いったいどんなものなのだろう。ずっと疑問を抱きつつも、つい、Bセットよりも100円安いAセットを注文していたのである。

「チャーラーの旅。」のネタにもなるし(笑)、今回はBセットを注文してみた。

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これがBセットの醤油ラーメン。違いは一目瞭然だ。炒めた野菜がどっさりのっているのである。スープにも野菜の旨みが染み出していて、ほんのりと甘い。何よりも、野菜がたっぷりなので、身体にも良い。野菜不足の五十路のおっさんには

しかし、チャーラーのラーメンとしては、何か、こう、高級すぎるのだ(笑)。それだけ、ここが太っ腹なサービスを実施しているということにほかならないが……。

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ちなみに、炒飯はAセットと同じ。チャーシューではなく、ハムを使っていて、パラパラの食感。これはかなり完成度が高い。

チャーラーにおけるラーメンは、シンプルな方が私は好み。それがわかっただけでもヨシとしよう。

チャーラーの旅。は、まだまだ続く。

ブログ再開から約4ヵ月。

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ブログを再開させてから、約4ヵ月が経った。ライターとしてのスキルアップを図るため、毎日更新を心がけているのだが、これが実はかなり大変な作業なのである。仕事で疲れていたり、原稿の〆切間際になると、とてもブログを書く時間も気力もなくなるのだ。

そもそも、ブログのネタになるような、スリリングな日常を送っているわけではない。第一、五十路のおっさんの日常を書き綴ったところで誰が興味を持って読んでくださるというのか(笑)。

だから、ブログの記事は時間を見つけては書いていて、常時4~5本をストックしている。皆様もお分かりだと思うが、説教くさい、「お前が言うな」的な内容の記事がストック分だ。

この場合、考えて書くというよりは、コトバが降ってくるのである。それも突然。外出中の場合、すぐさまスマホでブログの作成画面を開いて、ばーっと書く。帰宅後に読みやすいように多少手直しする。そして、文章に合うような写真を選んで、記事を仕上げる。

あ、写真も必ず1枚は載せることを心がけている。こちらも、ある程度はストックしているが、かなり底をついてきた。と、いうことは、否が応にも撮らねばならない。いや、この状況は、むしろありがたい。作品を撮るという機会をいただいているわけだから。

約4ヵ月経って、前よりも文章を書くことが少しだけ楽しいと思えるようになった。何よりも、拙ブログをご覧くださる皆様の反応がアクセス数というカタチになって見えるのがありがたい。

それと、もう一つ。右側の「人気ブログランキング」のバナー(※)をクリックしてくださる方も多く、「地域情報・名古屋市」のカテゴリーにおいて、1位にランクされている(2019年5月2日現在)。これは本当にありがたいと思っている。毎日更新する原動力にもなっている。どうか皆様、拙ブログをご覧になりましたら、「人気ブログランキング」のバナーをポチッとお願いいたします。

※スマホでご覧の方は、「人気ブログランキング」のバナーは出てきません。お手数をおかけしますが、ページ最下部にある「PC版」をタップして、PC画面での閲覧モードに切り替えてください。

拙ブログは、あまりにも主観というか、独善的でもあるので、とても人様のお役に立っているとは思えない。ハナッから役立つ情報を届ける気もないのだが(笑)。

それでも、ごくたまに「とても勉強になります!」とか、「モノクロ写真を楽しみにしてます」という感想を耳にする。こんなくだらないブログに影響される人は、間違いなく変態である。それもかなり重症の(笑)。

拙ブログは、役立つ情報がない代わりに私が取材する飲食店のように、何となく心がほっこりしたり、心が豊かになることをめざしている。いわば、“癒やし系”のブログだ。ナニ? キモイって!? ほっとけ(笑)。

生命の炎。

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人は、何も持たず、たった独りでこの世に生まれる。

人は、何も持たず、たった独りでこの世を去る。

生命は、蝋燭に灯る炎のようなもの。

生命の炎は、必ず消えるときが来る。

そう意識したとき、

今日という当たり前の日が、

もう二度と訪れない、かけがえのない一日となる。

愚痴らず、人を羨まず、

ただ、ただ、オノレの生命の炎を燃やす。

そこに、人は集まってくる。

そこに、幸せがある。

生命の炎が燃え尽きる最期の日まで、

私は生きる。

「令和」を歴史に残るすばらしい時代にしようぜ。

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平成最後の日となった昨日、とある寿司店へ取材に行った。そして、写真にある2種類の「うに」を食べさせていただいた。

左の軍艦巻きは、口に入れた瞬間、濃厚な旨みが爆発する。海苔の風味も相まって、口の中でいつまでも余韻が残る。それで酒が呑めるほどだ。

一方、左の握りは、どこまでも上品で繊細。うには口の中の体温で溶け出し、シャリの一粒一粒に絡み合う。

もう、鳥肌が立つほど旨い!全身の細胞が喜び、サンバを踊っているようだ。眉間にシワを寄せて、唸ってしまった。その様子を見ていた大将はスイッチが入ってしまったようで、取材とは関係のない中トロまで握っていただいた(笑)。

これ!これなのだ!ライター冥利に尽きるというのは。良い記事を作るというのは、ライターだけの仕事ではない。ライターの知的好奇心に共感した取材相手との共同作業なのである。今回の取材であらためて実感するとともに、良い記事が書けると確信した。

さて、新時代の幕が開いた。平成から令和へ元号が変わることについて、TwitterやFacebookなどで「天皇が退位して、新天皇が即位するだけの話」という書き込みを目にした。確かにその通りだ。何も変わらない。もっと言えば、お正月を迎えるのも、ただ単に12月31日から1月1日へと時間が進んだだけだ。それも間違いではない。

しかし、元号は、古くから培われてきた日本人の知恵を感じるのである。それは、生きていく中で何かと「節目」をつけたがること。一区切りすることで、古い自分から新しい自分へ生まれ変わるような気分になるのである。

お正月もその一つであるし、人によっては毎月1日に神社へお詣りに行くこともあるだろう。日本人にはその機会を沢山与えられているのだ。つまり、節目を迎えるごとに自分の心次第で新たに生まれ変わることができるのである。それって、すばらしいことだと思うのだが、いかがだろう?

昨日のブログでも書いたが、私にとって平成は、青年と壮年という人生でもっとも楽しい時期を過ごした時代である。令和は、壮年、中年、高齢、老齢…と人生の総決算となることは間違いない。

新時代、令和も私は自分自身がワクワクするような人生を生きていく。そして、自分と縁がある人、あった人が幸せになってくれれば、そんなサイコーなことはない。皆で令和を歴史に残るミラクルピースの、すばらしい時代にしようではないか。

平成最後の日。

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平成が、終わる。

生まれたのは昭和だけど、

社会に出たのは平成。

結婚したのも平成。

会社を辞めてフリーになったのも平成。

親になったのも平成。

親の死を見送ったのも平成。

50歳を迎えたのも平成。

つまり、青年期、壮年期という、

人生でもっとも楽しい時期を過ごしたのは、

平成の時代だったのだ。

ここ2、3日、テレビでは平成の時代を振り返るとともに

今上陛下のご足跡を特集している。

東日本大震災の被災者に膝をついて向き合う

陛下のお姿を拝するたびに

先の大戦の激戦地へ赴き、慰霊の祈りを捧げる

陛下のお姿を拝するたびに

涙が出てくる。

昨年12月23日に85歳のお誕生日を迎えられた陛下は、

「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」

と、おっしゃった。

平成の時代に自由を謳歌できたのは、

陛下の「祈り」があったからだ。

平成最後の今日は、

今上陛下に感謝を捧げる日である。

天皇陛下、ありがとうございます。