永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

肩書き。1

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ネットのアンケートなどで、自分の職業を選択する項目がある。そこには、公務員や会社員、パートタイマー、自営業など大雑把に区分されている。その場合、自営業にチェックすることが多い。また、美容院やマッサージ店などで雑談しているときに職業を訊ねられたときも、自営業と答えている。

それらの店には、混み合わない平日の真っ昼間に行くことがあるので、美容師さんやマッサージ師さんからすれば「ナニをやっている人だろう」と思うのも無理はない。自営業と答えるものの、店をを営んでいるわけではないので、いつも違和感を感じている。

正しくは、自由業なのだが、あまり世間的に認知されていない(と思っている)ので、自由業と答えてしまうと、具体的にナニを生業としているのかも説明せねばならない。それも面倒くさい。だから自営業と答えるのがベターなのだ。

自由業は社会的地位も低い。実際、12年前に家を購入する際、ギャラの振込先として利用している三○U○J銀行からは、「保証金を4倍用意したら検討する」と言われた。私がどこの出版社と取引しているか知っての上での回答がそれだったのだ。しかも、保証金を4倍用意したら「貸す」のではなく、「検討する」。ブチキレて電話をたたき切ったことを覚えている。

余談になるが、半年ほど前に自宅で仕事をしているときに、三○U○J銀行から電話があり、こともあろうか「住宅ローンの借り換えをしませんか?」とノタマりやがった。すぐさま、12年前のことを思い出した私は、「その住宅ローンの融資をお願いしたのに断ったのはお前んとこの銀行だろ!」とまくし立てた。

数秒間沈黙があり、電話の主の「しまったぁ……」という気持ちが伝わってきた。「申し訳ございません」と謝りまくった。もともと悪いイメージしかなかった三○U○J銀行は私の中で完全に地に落ちた。

しかも、その住宅ローン担当(?)の行員はよほど使えないヤツだったのか、翌日にもまったく同じ内容で電話をかけてきやがった。もう、怒りを通り越して呆れるしかなかった。「あのなぁ……。昨日もウチに電話をかけてきただろ?」と私が言うと、「あっ!」と小さな声が聞こえた。思い出したようだ。私がブチキレる前に謝りまくった。

話が逸れた。三○U○J銀行から融資を断られたとき、いかに自由業に社会的信用がないのかを実感した。まぁ、冷静に考えてみれば、私も同業者には絶対にお金を貸したくはないもんな(笑)。

では、逆に社会的信用がある職業は何だろうか。明日のブログに書こうと思う。

デキる編集者。

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ブログの読者様はご存じの通り、私は文章を書くのが苦手である。そのため、〆切日よりも早く編集担当に送ることを心がけている。仮に編集者からダメ出しされても書き直す時間を確保するためである。とはいえ、この仕事を20年以上やってきて、書き直したことは数えるくらいしかない。

そんな中、先日送った原稿が編集担当からメールで書き直しを指示された。実は私も書きながら、これでよいのか?という迷いがあった。しかし、読者にわかりやすく伝えることを第一に考えて、このままいこうという結論に達したのだった。

編集担当のメールには、私が迷っていた部分について的確なアドバイスも書かれていた。さらに電話で話すと、編集担当の考えがより理解できた。正直、助かった。同時に、やはり、雑誌は現場のライター、カメラマンと編集者で作り上げるものであると今さらながら実感した。

原稿の書き直しは、ほぼ丸一日かかった。しかし、最初に送った原稿よりも読みやすく、そして面白くなったと思う。だから、書き直しに要した時間はまったく無駄だとは思わない。むしろ、編集者からヒントをもらって問題を解いているような感覚になり、私にとっては珍しく(?)楽しく原稿が書けた。

さらに嬉しかったのは、原稿を送ってから、編集担当から「さらによくなりました!」とメールをもらったこと。迷いながら書いた原稿はツマラナイに決まっているのに「さらに」って。五十路になっても褒められたり、認められたりするのがウレシイのである。おそらく、ライターやカメラマンは皆そうだと思う。

きちんと原稿を読んでくれる。きちんと写真を見てくれる。当たり前のことかもしれないが、それがありがたい。世の中には、私の書いたものや撮ったものではなく、それ以外の部分で私を評価する人がいる。例えば、名古屋めしの専門家としてテレビに出たことや大学で非常勤講師だったこと、ブログランキングで1位をキープしていること。

たしかにそれはありがたいことではあるが、私にとってはオマケの部分にすぎない。正直、どうでもいい。テレビに出るのも、大学で講義をするのも、ブログランキング1位なのも、まず、私の文章や写真があってのものではないか。それを面白いとかツマラナイとか、まったく評価してくれない人と一緒に仕事することはできない。

味覚の奥にある料理人の心。

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「ミシュランの星付き」とか、「食べログの評価が」、「高級食材の○○を使った」、「予約が取れない」など、昔と違って今は飲食店の情報をたやすく入手することができる。その情報を基に、先入観を持って食べるから美味しく感じる部分もあると思う。つまり、料理だけでなく、情報をも食っているのである。って、私もフードライターとしてさんざん煽りまくっている立場なのだが。

私はこれまで記事の中で「旨い!」、「美味しい!」という気持ちをストレートに書いてきた。むしろ、それをヨシとしてきた。しかし、「旨い!」、「美味しい!」って何だろう。あらためて考えてみた。

もちろん、食材やだし、調味料などが味を左右するのは間違いない。糖度や塩分濃度、イノシン酸やグルタミン酸の含有量を厳密に計算した上で作っても、そりゃ旨いだろう。しかし、そこに心を揺さぶられるような感動はあるのかというと、話が変わってくる。

「旨い!」、「美味しい!」と感じる味覚の奥にある作り手の心が伝わり、共鳴し合うから、そこに感動が生まれるのである。作り手の心とは、客を喜ばせたいという気持ちに尽きる。振り返ってみると、私はそんな料理を沢山食べてきた。気持ちが落ち込んだときでも心が豊かになったこともある。料理にはそんな力もあるのだと驚いたことを今も覚えている。

今年1月に亡くなった渥美仁規シェフは、かつ丼が旨い麺類食堂や老夫婦が営むお好み焼き店にも足を運んでは「ここが旨いんだ!」とFacebookに投稿していた。自身の店とのあまりにも大きなギャップに驚きながら、私はそれを見ていた。

これはあくまでも想像だが、渥美シェフ、いや、仁さんは「旨い!」、「美味しい!」と感じる味覚の奥にある作り手の心に迫りたかったのではないだろうか。そこに高級フレンチだろうが、場末の居酒屋だろうが店のジャンルは関係ないのだ。そう考えると、料理人というのは何とすばらしい仕事なんだろう。

私も写真や文章で人々の心を揺さぶることができたら……。いや、まだまだだな。カメラマンやライターとしてよりも、まずは人として、男としてもっと、もっと、もっと成長しなければ。嬉しいことや楽しいことだけでなく、悲哀や苦悩までも成長の糧にしたい。そのためには逃げてはダメだ。真っ正面から向かい合わねばならないのだ。

※写真は、名古屋市緑区『花ごころ 緑苑』の「和楽膳」(昼2000円・夜2200円)。高級食材を使っているわけではないが、一品一品から作り手の心が伝わる料理だった。

ライターの一分。

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雑誌やネットメディアのライターやカメラマンは、

どこを向いて仕事をしているのか。

それは言うまでもなく、読者である。

読者の目線で見たり、

読者の目線で聞いたりしたことを

読者の目線に合わせて書く。

当たり前の話だ。

一方、「提灯記事」という言葉がある。

あらためて意味を調べてみると、

「特定の個人や団体などについて、事実よりも良く見えるように誇張して書いた、新聞や雑誌の記事。見かけは普通の記事だが、内実は広告・宣伝であるものをいう。金銭の授受をともなうことが多い。」

と、ある。

ビジネスと割り切って、提灯記事を書く同業者もいるだろう。

それは否定しない。

でも、私はやらない。

いくらカネを積まれても、やらない。

ましてや、オノレの主戦場としている(していた)媒体の名前を出して、提灯記事を書くことなんざぁ、愚の骨頂である。

大手メディア記者が書く提灯記事と、

現役アイドルが出演するアダルトビデオ。

同列に思えてしまうのはなぜだろうか。

私は、提灯記事を書かない。

それが私の、ライターの一分である。

場外乱闘。

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私の屋号は、『取材屋』。もともと、屋号ではなく、肩書きとしてそう名乗っていた。フリーカメラマン兼ライターという肩書きは長すぎてカッコ悪いと思っていたのだ。

自分で言うのもアレだが、『取材屋』というネーミングは、屋号にしろ、肩書きにしろ、秀逸だと思っている。取材先で名刺を出すと、「ほぉ、取材屋ですか!」と、よく言われる。それが会話の糸口になるのだ。

取材の仕事は、23歳のときに転職した編集プロダクションではじめた。その前は広告制作会社でカメラマン兼営業として働いていた。バブル期ということもあり、これまで外部に発注していた制作を社内でやることになり、私以外にもデザイナーとコピーライターが同期で入社した。

制作していたのは主に会社案内。当然、専門学校を出たばかりの私に撮影のスキルは皆無。しかも、当時はデジタルではなく、フィルム。社屋の外観くらいは撮れるものの、ストロボの使い方すら知らないのである。社内や表紙のイメージなどは本を参考に、見よう見まねで撮影していた。もっと本格的に写真を学びたいとは思ったが、すぐに辞めてしまっては世間的に信用を失うと思っていた。結局、その広告制作会社では3年間働いた。

23歳になり、将来のことを考えると不安でたまらなくなった。何しろ、3年も出遅れているのである。もう一度、原点に戻るつもりで、フォトスタジオに入社してイチから写真を勉強し直そうと思った。就職情報誌に掲載されているスタジオに片っ端から履歴書を送った。

ところが、すべて不合格。そりゃ無理もない。専門学校を卒業したばかりの、まだ手垢の付いていない20歳と、よそで働いていた23歳をどちらを採るか。私が経営者なら間違いなく前者を採る。しかし、もしも、この時点でどこかのスタジオに就職していたら、私の人生は今とかなり変わっていたかもしれない。

4、5社くらいから不合格を突きつけられ、目の前が真っ暗になった。自分の存在さえも否定されたような気がした。この状況を何とかせねばならない。来る日も来る日も就職情報誌を読み漁っていた。

そこで見つけたのが、ある編集プロダクションの求人広告だった。業務内容に「週刊誌・月刊誌に記事と写真を提供」とあり、興味を持った。このブログで何度も書いているように、白いものでもクライアントが黒と言えば黒になってしまう広告業界に嫌気も差していたのだ。すぐに履歴書を送り、面接を受けた。

ところが結果は不合格。またもや目の前が真っ暗になった。スタジオも自分を必要としていない。出版の世界も要らないといわれたら、自分はどうすれば良いのか。まさに八方塞がりの状態だった。いっそのこと、一般企業に就職することも頭を過ぎったが、やっぱり夢を諦めきれなかった。

ある日、再び就職情報誌のページを開くと、私が不合格になった編集プロダクションの求人広告が載っていた。そのとき、「もう一度、履歴書を送ってみよう!」と思った。それだけ切羽詰まっていたし、もう後がなかったのだ。ダメ元、という発想もなかった。絶対にここで働きたかった。

信じられないことに、再び面接をしてくれた。が、前回と違って募集していたのはカメラマンではなく、ライターだった。そんなことも確認しないまま履歴書を送っていたのである。面接時に

「君のお気に入りの店を800字くらいで紹介記事を書いてください」と言われ、友達が通っていたレストランバーへ行き、マスターに話を聞いて原稿を仕上げた。その内容はとっくに忘れてしまったが、書き出しは今でも覚えている。

「男なら隠れ家にしたい店の一つくらい持っていたいものである」だった(笑)。23歳の小僧がナニ言ってんだか(笑)。しかし、その一文がよいと言われて、私は採用されたのである。

不採用になった会社に再び履歴書を送るというのは、常識ではあり得ない。また、一度不採用と決めた者を採用するのも常識ではあり得ない。私も編集プロダクションも非常識だからこそ、波長が合ったのだろう。いや、場外乱闘で勝利をおさめた感覚だな。うん、いいよね。場外乱闘。目的を達成するには、何も正攻法でなくてもよいのだ。

それと、今思えば、23歳で目の前が真っ暗になるなんて笑ってしまう。やり直しは何歳になっても、何度でもできるのだと今は断言できる。現に50歳となった今でも私はやりたいことが沢山あるし、仮にそれが実現しなかったら来世でもチャレンジしてやろうと思っている。

悩むのは、本気で生きている証。

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人は悩んだとき、その問題が大きければ大きいほど根本的な解決を避ける。病気の治療で例えるなら、対症療法ってやつだ。また、「仕方がない」と諦めたり、酒を飲んだり旨いものを食ったりして気を紛らわすのも、解決にはつながらないとはいえ、選択肢の一つといえよう。

根本的な解決、根治療法となると副作用も大きい。抗がん剤のように、激しい痛みを覚悟せねばならないから、逃げ出したくなるのだ。ヘタをすると、その苦しさのあまり死んだ方がマシとさえ思ってしまう。

たしかに、生きるということは本当に面倒くさい。問題から目を背け、うっちゃらかすことができればどんなにラクか。でも、それは生ける屍だ。次から次へと問題が起こるのは、そして悩むのは、懸命に、本気で生きている証なのだ。

だから、私はどんなに苦しくても根治療法を選びたい。この人生は学校のようなもので、目の前に現れている問題や困難は、いわば宿題だ。学校の宿題をサボりまくった私がこんなことを言っても説得力がないのを承知の上で言う。クリアすべき課題を残したままあの世に行くのは御免だ。

何よりも、“内なる自分”から「お前はよく頑張った!」と褒めてもらいたい。幸せな人生とはそういうものだと思っている。

カッコイイわけがない。

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私のような木っ端ライターの雑文ブログでも、ときどき感想をくださる読者様もいる。しかも、女性(嬉)。Facebookやインスタで「いいね!」をしてくださる方は男性ばかりだし、身勝手なことばかり書いているから、ブログの読者様の大半は男性だと勝手に思っている。

私を男性目線、ツレの立場から見ると、自分で言うのもアレだが(笑)、面白くてイイ奴なのである。しかし、女性目線、とくに女房からすれば、真逆。家のことは何もやらないわ、勝手に写真を撮ってSNSにアップするわ、ワガママは言いまくるわ、マクラはクサイわで挙げたらキリがない。ついでに言うと、稼ぎも少ない。

夫として自信がまったくない私が女性の読者様からお褒めの言葉をいただいたら困惑するに決まってるじゃないかぁ(笑)。そんな私に愛想を尽かさず、四半世紀も一緒にいる女房はいったい、何なのか(笑)。ドMのボランティア、いや、のび太としずかちゃんの関係と言ってよいだろう(笑)。

感想をくださった読者様は、私のことを誤解しておられる。きっと、ピュアな方なのだろう。どうも、私が自信を持って仕事に取り組んでいると錯覚しておられるようなのだ。頼むから、美化しないでくれぇ(笑)。

実際はまったく逆なのである。自信がないから、毎日こうやってブログを書いているのだ。しかも、文章はちーっとも上達しない。書けば書くほどコンプレックスが大きくなる始末。いっそのことやめてしまえばラクになるのかもしれない。そう思ったことは一度や二度ではない。ほぼ毎日。生粋の怠け者なのである。

では、なぜ毎日書き続けるのか。今現在のオノレの心を整理するのと、私が亡くなった後、女房や子供、友人たちがこのブログを見て、「ナガヤはこんなこと考えていたんだ」と偲んでいただくためだ。

それともう一つ。もっと、もっと、オノレの人生を変えたいのだ。50歳を迎えた今、それが困難であることくらい承知の上だ。でも、変わる可能性はゼロじゃない。だとしたら、黙って指をくわえているだけではチャンスは訪れない。毎日くだらないことでもよいから、ヘタクソでもよいから、オノレの存在を伝える必要があると思っている。だから、書く。書き続ける。

ひな壇の後ろの方にいて、スタジオ内で何かあるたびに大げさにリアクションする、いわゆる“ガヤ芸人”と同じだ。しかも、若手ではない。50歳のおっさん。往生際が悪いと私自身が思うのだから、見ている方はもっと呆れていることだろう。そんなの、カッコイイわけがない。

凹まず、愚痴らず、オノレの運命を受け容れて、黙々と仕事をこなす方がどれだけカッコイイか。でも、こんな泥臭い生き方しかできない。そりゃ読者様は野郎、いや、男性ばかりだわな(笑)。そりゃモテないわー(笑)。