永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

人としての器。

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ある取材で何軒もの飲食店を手がけるオーナーと話す機会があった。

「飲食の世界にいると、いろんなヤツが流れ着いてくるんですよ。借金を抱えていたり、お客さん相手の商売なのにコミュ障だったり。人としてどうなのよ?っていうヤツが」と、オーナー。

よその店では面接で確実に落とされるだろう。しかし、彼は手を差し伸べる。それは憐れみの気持ちからではない。

「話を聞いてみると、幼少期に親が離婚したりして、十分な愛情を注がれなかったというヤツが多いんです。だから、ヤツらの存在自体を思いきり認めてやる。そうすると、一生懸命に働くようになるんですよ。何しろ、生まれてから一度も誰かに認められたり、褒められたりしたことがないわけですから」

ところが、中には仕事に飽きてしまい、店を辞めてしまう者もあるという。そんなときも彼は決して引き留めない。それどころか、「いつでも戻ってこいよ」と言って送り出す。実際、3回も4回も出戻りを繰り返す者もいたそうだ。

1回や2回ならまだしも、3回、4回となると、私なら「どのツラ下げて来たんだ!ゴルァ!」とブチキレるだろう。そう彼に話すと、

「腹を立ててしまうのは、自分自身の問題じゃないですか」と、ひと言。

彼とは別の店のオーナーからも似たような話を聞いたことがある。それは自分の店で働いていた元従業員と1年に1回必ず飲みに行って近況を聞くというもの。万一、元従業員が仕事も何もしていなかったら、人手不足に悩んでいる知り合いに手を回してもらって仕事を斡旋したりもしているというから、これまたスゴイ。

辞め方にもいろいろあるが、ケンカして辞めた者に対しても自分から声をかけるという。これもなかなかできることではない。

「再会したときに、またケンカして別れるということもありますよ。そのときは、この野郎!と思うけど、その気持ちを抑えて1年後にまた声をかけます」とか。

今回紹介した2人のオーナーは世間からすれば紛れもなく成功者である。でも、めちゃくちゃ泥臭いというか、とても人間味がある。本当に彼らはスゴイ!私もそんな器の大きな人間になりたい。そのためにはやはり、「赦す」ことだろうな。

※写真は、少し前に食べた名古屋・日比野『フジヤマ中華そば』の「中華そば 醤油」。ほのかに甘い後味がクセになる。また食べに行きたい!

一太郎。

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1月3日に仕事用のPCをWindows 8.1から10へアップグレードした。その際、ワープロソフト「一太郎」で作成してバックアップをとってあったファイルが読み込めないという大トラブルが発生した。

バックアップしたファイルの中には、年末に書き終えた原稿があった。しかも、長文の原稿で文字数にして17字×180行。計3060文字。3日間悪戦苦闘の末にようやく書き上げて、年が明けたら編集部に送ろうと思っていた。このファイルだけは絶対に救出せねばならなかった。しかし、何度やってもPCの画面には

「ファイル形式が拡張子と一致していないため読み込めません」と、表示されるだけ。

翌1月4日は朝からPCと格闘した。Windows 7(仕事用のPCは、もともとWindows 7モデルだったらしい)にリカバリーして読み込んでみるもダメ。Windows 10をクリーンインストールしてもダメ。最新版の「一太郎2019」を購入して、そこから読み込んでもダメ。他にも考えつくすべての方法を試してみたがダメ。

PCに詳しい同業のM山が仲間内の新年会に参加した後にわが家へ立ち寄ってくれたが、彼のスキルでも原因が特定できなかった。こうなると、もうお手上げである。イチから原稿を書き直すしかない。覚悟をしていた。

だから、1月5日は〆切が目の前に迫った原稿を片っ端から片付けようと、これまた朝から晩まで書いて、書いて、書きまくった。おかげで2本の原稿を仕上げることができた。

しかし、週明けには取材が2本あり、週末にはその原稿を編集部に送らねばならない。他に広告撮影もある。と、なると、読み込めない長文原稿ともう1本の原稿の2本を書く時間がまったく足らない。それでもやらねばならない。〆切は待ってくれないのだ。最後の頼みは、「一太郎」の発売元であるジャストシステムのサポートセンターだった。

そして、今日。サポートセンターの受付開始時間は9時半。PCの時計を確認しながら、9時半になったと同時に電話をかけた。docomoもauもそうだったが、サポートセンターの電話は繋がりにくい。しかし、「一太郎」ユーザーが少ないのか、「担当者にお繋ぎいたします」というアナウンスの後、2コールほどで繋がった(笑)。

担当者に事情を話すと、問題のあるファイルをメールで送ることになった。

「少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」と、担当者。しかし、私はライターであり、ファイルの中には〆切が迫っている原稿が入っていることを伝えると、

「それでは急いで取りかからせていただきます」とのこと。本当にありがたい。

今日は昼過ぎに取材が入っていて、インタビューの最中にサポートセンターから電話があった。正直、諦めていたのだが、「可能な範囲で修復してメールで送らせていただきました」とのことだった。

仕事場に戻って確認すると、なんと、完璧な状態で修復できているではないか!全身の力が抜けた。ここ3日間は生きた心地がしなかったので無理はない。本当に、本当によかった!

思えば、「一太郎」との付き合いは、1995年からだった。編集プロダクション時代の先輩にノートPC用の「一太郎dash2」を譲ってもらってから、ずっと愛用してきた。Windows 7から8.1にアップデートしたとき、それまで使っていた「一太郎2010」が使えなくなり、「一太郎2014」を購入した。

なぜ、Wordを使わないのか。まず、かな漢字変換ソフト「ATOK」を使うと、WordのIMEがバカすぎてまったく使う気になれないのだ。それと、書式設定のしやすさ。これも「一太郎」の方が圧倒的に優れている。また、カメラマンはMacユーザーが多いが、私はWindows。これも「一太郎」が使えるからにほかならない。

私はこれからも「一太郎」を使い続ける。「一太郎」は、カメラと同様に、私の大切な道具なのだ。

ブログとオノレの人生。

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お世話になった方からいただいた年賀状に「いつもブログを見ています」と書かれていた。それも1人や2人ではない。Facebookでもつながっているが、「いいね!」とかコメントもあまりいただいたことがない方からの年賀状にもそう書いてあった。

年末に開いた旧友たちとの忘年会でも、ブログを見ていることを言われた。中には、

「いつも仕事で煮詰まったときにナガヤのブログを見るんだけど、泣きそうになったことがある。でも、なんでオレはナガヤの文章で泣かなきゃならねぇんだって泣くのをガマンした」などという失礼千万なヤカラもいた(笑)。

「ナガヤさん、ブログ、感動しました。ありがとうございます」って素直に言いなさい、Mヨシ君(笑)。

昨年の1月15日から続けているこのブログは、プロのライターが毎日更新すると、人生がどのように変わるかという実験的な意味合いもあった。いや、そう書くとカッコ良すぎるな。オノレの甘えきった、くそったれの人生を変えたいと心底思ったことからはじまったのである。

では、ブログ開設からもうすぐ1年経つが、オノレの人生は変わったのか。

ぜーんぜん変わっていない。そりゃ1年やそこらで変わらない。変わるはずがないと思っている。何しろ、フリーになって四半世紀もの間、ずっと続けてきた無駄なルーティーンが体にも心にも染みついているのだから。

1月16日以降もブログを続けるかどうかはまだ決めていない。1月15日にブログを書き終えたときのオノレの気持ちに素直に従おうと思っている。いずれにしても、オノレ自身と真っ正面から向かい合い、「内なる自分」の声を聞くという習慣は続けていく。

試練。

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1月3日のブログに書いたように、

Windows 10にアップグレードしたPCで

一太郎のファイルが読み込めない。

 

今日は朝ご飯も食べずに

あらゆる方法を試みるもダメ。

 

ブログやFacebookに寄せられたコメントも

参考にやってみたが、これもダメ。

 

すべてダメだった。

 

Windows 10をクリーンインストールして

わかったのは、OSの問題ではなく、

ファイルそのものに

不具合がある可能性が高いということ。

 

もしも、ファイルが壊れていたら、

年末に必死こいて書いた原稿を

またイチから書き直さねばならない。

 

ほかにも書かねばならない原稿が

沢山あるというのに。

取材も行かねばならないのに。

 

そう考えると、

心が、折れた。

「ポキッ!」という音が聞こえた。

 

崩れ落ちるように

ソファで横になると、

1秒で熟睡した(笑)。

 

目が覚めると、

少し冷静になることができた。

 

年明けをのんびりと過ごして、

スロースタートするつもりで

年末に脇目も振らずに

原稿を書きまくった。

 

そもそも、私には

スロースタートなどという

ゆとりのある生き方は向いていないのだ。

 

だから、万一、書き直すことになったとしても

絶対に乗り切ってやる。

もちろん、いっさい手は抜かない。

 

これは、ライターとして、

また、カメラマンとして、

ますます成長せんがために

神様に与えられた試練なのだ。

老い。

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昨日まで正月休みだったせいか、ブログのネタがまーったく浮かばない。無理矢理にヒネリ出そうとしても、まーったく出ない。ブログネタが思いつかない理由は、休みボケ以外にも思い当たるフシがある。

安定しているのだ。仕事もプライベートも。精神も身体も経済面も。そこに満足してしまっている自分がいるのである。

「安定していた方がイイじゃん」という意見もあるだろう。しかし、安定を目的に生きているわけではない。

現状に甘んじることなく、さらに前へ進むのではなかったのか。

一瞬一瞬に生きている!と実感したかったのではなかったのか。

「内なる自分」に打ち勝つためではなかったのか。

男たるもの、常に飢えた野獣であれ!と願っている半面、必要以上にエネルギーを使うことはないと考えてしまう自分もいる。

これが「老いる」ということなのだろうか。そんなもの、クソくらえ!と、以前の自分なら全力で否定していただろう。「老い」を受け入れねばと思う自分もいる。

もう一度、しっかりオノレ自身と向き合う必要があるな。

今日から仕事始めとなる。写真と文章のクオリティに対して、もっとシビアに、ストイックになること。まずはそこにとことんこだわっていこうと思う。

編集部の皆様、クライアントの皆様、本年もよろしくお願いいたします。

PCの大掃除。

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正月休み2日目は、PCと格闘。何しろ、わが家にある全3台のうち、デスクトップ1台はWin8.1、ノート2台はWin7と、すべて旧モデルなのである。とくに女房が経理の仕事で使っているノートは、かなり動きがモッサリとしていて、イライラするほど。

Win7のサポートが今年1/14までということで、当初は新聞の折り込みチラシで見た某PCショップでWin10のアップデートをしてもらおうと思って持ち込んだ。そこでウイルスのチェックをしたところ、かなり沢山のウイルスが見つかった。

ウイルスの除去とWin10のアップデートなど諸々やってもらおうとすると、6~7万円もかかることがわかった。それならWin10搭載の中古PCを買った方がマシである。しかも、店員は月額会員制のサポートをしきりに勧めてくる。こちらは、3台を5年間サポートしてもらう場合、約30万円。

アホか(笑)。店員はウイルスによる個人情報の漏洩を煽りまくってくるが、それなら、PCをリカバリー(工場から出荷した状態へ戻すこと)した上でWin10のディスクを突っ込んでアップグレードした方が手っ取り早い。それを指摘すると、さっきまで饒舌だった店員が黙った(笑)。

結局、新聞の折り込みチラシで安さや気軽さをPRしつつも、本当の狙いは月額会員制のサポートだったというわけだ。これ、PCに詳しくない人だったら、店員の話にのってしまうと思う。私自身はそんなに詳しいわけではないが、リカバリーくらいはできる。

ただ、リカバリーするだけで終わりではなく、すべてのソフトをイチから入れ直さねばならない上にいろんな設定も必要となってくるから、面倒くさい作業であることは間違いない。だから、作業は仕事をしない正月休みの日と決めていた。

朝から3台のPCと格闘し、夜にすべてアップデートとソフトのインストールを終えた。だからこうしてブログも書いている。PCもカメラと同様に私の大切な商売道具。PCが快適だと筆もすすむ!といいなぁ(笑)。

 

と、ブログを書き終えて、大事件が発生!

Win8.1で作成した「一太郎14」の文書がWin10にインストールした同じ「一太郎14」で開くことができないのだ(泣)。

どなたか対処法をご存じの方は教えてください。お願いいたします!

女房の実家へ。

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女房の実家は、義父母が亡くなってから義兄が一人で住んでいる。義父母が元気だった頃は、毎年新年の挨拶に訪れた。そこに義姉の家族も集まり、賑やかなお正月を過ごした。子供たちも祖父母と叔父、叔母からお年玉が貰えるので、楽しみにしていた。

ところが、義姉が50歳という若さで亡くなり、家族で集まる機会がなくなった。さらに、義兄が海外赴任となり、実家には主がいなくなった。そんな中、義姉の夫、私たち夫婦からすれば義兄から「お正月、実家に集まりませんか?」との連絡があった。断る理由は何一つない。でも、よく考えてみれば、私と義兄の二家族が集まるのであれば、どちらかの自宅に行けばよい。

結論から言うと、今回実家に集まること自体に意義があった。義兄は義姉だけではなく、義父母のことも愛していた。印象に残っているのは、義母の葬儀でのこと。義兄は人目をはばかることなく号泣していた。よほど義母のことが大好きだったのだろう。

義姉が亡くなり、家の主である義兄が海外赴任になった後も義兄は実家へ足を運び、部屋の空気を入れ換えたり、車のエンジンをかけたりしていたという。こんなこと、なかなかできることではない。

義兄の提案を私たちは快諾し、元旦である昨日、主のいない女房の実家に行ってきた。何をするわけでもない。おせち料理や雑煮を食べ、お互いの子どもたちにお年玉を渡す。これまでずっと女房の実家でやってきたことである。きっと、その様子を義父母と義姉は微笑みながら眺めていたと思う。すばらしいお正月を過ごすことができた。