永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

あけましておめでとうございます。

f:id:nagoya-meshi:20200101012446j:plain

新年あけましておめでとうございます。

 

令和2年の幕が開いた。

 

今年、私は50歳から51歳になる。

 

50歳というのは、

40代の名残というか、

50代に対して

抵抗したい気持ちがある。

 

しかし、51歳になれば、

本格的に50代へと突入する。

いくら未練があっても、

後戻りすることはできない。

当たり前だ。

 

現実から目を逸らさず、

真正面から向き合うしかない。

  

今年は、私がこのブログで

ダラダラと思いを語るよりも、

雑誌に掲載された、

ネットに公開された記事から

私の存在を多くの人々に知らしめたい。

 

昨年末、ある編集者から、

「愛を持って取材、撮影している」

というありがたすぎるお言葉と

新年からの連載をいただいた。

 

年明けからトップギアである。

 

今年はとにかく

写真と文章のクオリティに

とことんこだわっていく。

 

オレには、もう、後がないのだ!

追い詰められた五十路の底力、

刮目して見よ!

 

皆様、本年もよろしくお願いいたします。

本年も大変お世話になりました。

f:id:nagoya-meshi:20191230230657j:plain

今日は一滴も飲んでいないからご安心を(笑)。

印刷し終えた年賀状をポストに投函してきた。友人や同業の仲間、一度でもお仕事をいただいたり、無理なスケジュールにもかかわらず取材を受けてくださったりした、私とご縁のある方は名簿にしてあり、その数は千名近く。

本来であれば、すべての人々に送りたいところだが、そこから絞って、絞って、絞り倒して二百数十名の方に発送した。来年はフリーとなって25周年。こんなにも多くの人々に支えられてきたのだと思った。

一人、一人のお名前を拝見していると、一緒にお仕事をさせていただいた当時の思い出が蘇る。とくに20代、30代の頃にお世話になった編集者は、出世されてすでに雑誌編集の現場にいない方がほとんど。実に感慨深いものがある。

私も担当編集も若かった。電話でやりとりする中で大爆笑したことがそのまま企画になったり、チカラワザで記事にしたこともあった。クオリティよりもインパクト、感動よりも面白さを優先していたような気がする。

それを否定するつもりはまったくない。バカなことばかりやってきたからこそ、今の自分があるのだ。しかし、これは年をとったという証拠だろう。もっと写真や文章が上手くなりたい、人の心を豊かにする文章を書きたいと思うようになった。

それと、私はグルメを取材するにしても、料理にどんな食材や調味料が使われているとか、調理法がどうだとか、それこそ、ミシュランの星の数なんてものは正直言ってあまり興味がない。それよりも、作った人のこと。どんな人生を歩めば、こんな美味しい料理を作ることができるのかが気になって仕方がない。

人が、好きなのだ。特定の国や人を差別するレイシストや、幼い子どもを虐待で死なせたバカ親、弱者を切り捨てる無能な政治家の姿を目の当たりにすると、同じ人間とは思えず、心底うんざりする。それでも、やはり人が好きなのだ。

若い頃は、オレがこの世の中を変えてやる!と、真剣に思っていた。今もその気持ちは変わっていないが、それよりも写真や文章で人の心を豊かにしたい。

まもなく年が明ける。来年は私の写真と文章が一人でも多くの人の目に触れるべく、数多くのメディアで仕事をしていきたい。それが人の心を豊かにして、世の中を明るくすると信じて。

ブログ読者の皆様、本年も大変お世話になりました。苦しいときも悲しいときも読者の皆様がいるおかげで書き続けることができました。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

※写真は、令和元年の取材・撮影納めに写した一枚。年賀状の実物は近日中にブログでも公開します。お楽しみに♪

心地良い時間。

f:id:nagoya-meshi:20191230005225j:plain

昨夜は、旧友たちと忘年会。いやぁ、旨い料理をアテに日本酒を楽しんだ。ってことで、昨夜と同様に酔ったままブログを書く(笑)。

会場は、以前に『DANRO』などでも紹介した名古屋駅太閤通口からすぐの『寿司と酒 十六夜(いざよい)』。

danro.asahi.com

iza-yoi.jp

以下にいただいた料理の写真を載せる。あ、注文したのは、おまかせの「瑠璃」(4480円)ね。

f:id:nagoya-meshi:20191230010320j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010415j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010427j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010440j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010453j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010506j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010522j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010533j:plain

f:id:nagoya-meshi:20191230010548j:plain

相変わらず、どの料理も旨い。これで4480円は絶対にお得。

集まったメンバーの中には、10代の頃からつき合いのあるヤツもいた。どれだけ自分を取り繕ってもすぐにバレる間柄。だから誰一人として自分を偽らない。

皆、社会人として、それぞれのフィールドで責任のある立場で活躍をしていることだろう。でも、顔を合わせた途端、おっさんたちは少年に、青年に戻った(笑)。

『男はつらいよ』の寅さんの「よぉ、相変わらずバカか?」というセリフが思い浮かんだ。何十年経っていても、相変わらずバカ。愛すべきバカ。

とても心地良い時間を過ごした。

いつもより文字数が少ないが、その分写真を沢山載せたので許してほしい。

雑文。

f:id:nagoya-meshi:20191229012837j:image

年の瀬になると、いろんな思いが胸中に去来する。今年もまだ残り3日あるので、振り返るのは早いかもしれないけど、どうしても振り返ってしまう。そして、来年こそは大きく飛躍しようとか思ってしまう。令和元年の大晦日と令和2年の元旦と比べても、ほぼ変わらない永谷正樹なのに。でも、何事も区切りを付けるというのは大切なことだと思う。そもそも目に見えるものに永遠なものはない。って、少し、いや、だいぶ酔ってるな、オレ。今日は、あっ、昨夜は焼酎を飲んだので、まとまりのない文章を書いているのは重々承知している。本来であれば、事前にブログを書いてから出かけるところを今日はそれをサボったオレが悪いのだ。とはいえ、ありのままのオレを知って欲しいという気持ちもあったりする。改行するのも面倒くさいから、読みにくかろうがこのまま頭に浮かんだことをダラダラと書く。1年に1回くらいそんなことがあってもいいじゃないか。ガマンしてくれ。人間は複雑にできているのだ。おっとっと、話を戻そう。今年を振り返って、少しだけ、ほんの少ーしだけ感じていることがある。それは歳を重ねるのもわるくはないなって。前は50歳になるのが本当にイヤだった。当の本人は自分の年齢をまったく自覚していないのに、むしろ若手と思っているのに、周りの人はそう思ってくれないことが自分の中で受け容れられなかった。でも、50歳になったからこそ、わかったことや感じたこと、経験したこと、善いことも悪いこともすべてひっくるめて本当に尊いことなんだな。このブログで、「今と同じくらいのペースとクオリティを保って仕事ができるのは、あと10年」って書いてきたけど、それは違うと思いはじめてきた。っていうか、そんなことは自分で決めなくてもいいんじゃないかなって。私としては、60歳になっても、70歳になっても写真を撮ったり、文章を書いたりしていたい。別にそれが仕事として成立しなくてもいい。オレがオレであるために、写真と文章は必要なのだ。それに、50歳の自分にしか、51歳の自分にしか、60歳、70歳の自分にしか撮れない写真や書けない文章だってあるだろう。そう思うと、ワクワクしてくる。なんか、内容にまとまりがまったくないな。さすがに眠たくなってきた。今日はこれまで。

取材の、醍醐味。

f:id:nagoya-meshi:20191228001802j:image

取材先でウレシイことがあった。

取材の途中で話が何度も脱線し、ときには悩み事相談になってしまったものの、1時間半ほどしっかりと話を聞き、頭の中で記事の構成も何となく出来上がった。

「だいたい、これくらいお話を聞けば記事は書けますので」と、私。

取材相手は、

「えっ! フツーに話していただけじゃないですか!?」と、驚いた顔をしていた。

自分で言うのもアレだが(照)、これってスゴくない(笑)?

「フツーに話していた」ということは、リラックスして話ができたということだろう。

つまり、聞き手である私が話を引き出すことができたのである。

プロとして当たり前っちゃぁ当たり前。でも、ウレシイ。

「ホンネを引き出す取材術」というタイトルで講演やセミナーでもやってみようか。商売っ気を出してみたが、私もホンネを引き出そうと意識して取材しているわけではなく、フツーに話しているだけなので取材術でも何でもない。だから人に教えようがない(笑)。

写真を撮ることと同じくらい取材するのが好き。それもあって、私は自らを“取材屋”と名乗っている。だから、取材こそがメインの業務なのだ。

取材とは、その人の人生を覗き見る行為だと思っている。ときには一緒に笑って、泣いて、怒る。山もなく、谷もなく平凡な人生しか送っていない私であるが、その人が主演を務める人生ドラマの脚本家になったような気分が味わえる。それが取材の醍醐味だ。年の瀬にあらためて気がついた。

心の支え。

f:id:nagoya-meshi:20191227000753j:image

あなたの「心の支え」は何ですか?

と、聞かれたらどう答えるだろうか。

 

大切な人だったり、

愛する家族だったり、

信仰している宗教だったり、

人格形成に影響を与えた一冊の本だったり、

没頭できる趣味だったりするだろう。

 

人によっては他にもあるかもしれない。

 

女房に聞いてみた。

「心の支えは、あなた♡」

という答えを期待して。

 

ところが、

女房の心の支えは

夫である私ではなかった(笑)。

 

女房の心の支えは、子ども。

やはり、母親の愛というのは偉大なのだ。

 

でも、考えてみたら、

私の心の支えも女房ではないかもしれない。

 

そりゃ女房は大切な存在であることは間違いない。

でも、心の支えとはちょっと違う。

 

「支え」ということは、

大げさに言うと、

それなしでは立っていられないということだ。

 

だから、家族というのはありだろう。

愛する家族に自分は支えられているってことで。

 

私の心の支えは、

やはり、仕事だ。

 

つまらないヤツだと

笑いたきゃ笑うがいいさ。

 

人生を懸けるほどやり甲斐のある仕事。

これがなかったら、

私は間違いなく立っていられない。

 

心の支えだからこそ、

死ぬまで写真を撮っていたいし、

文章を書いていたい。

年賀状。

f:id:nagoya-meshi:20191225230241p:plain

年賀状を作った。

毎年、今年の目標というか、生き方の指針を書くようにしている。以前は、過去のことをいっさい忘れて(見なかったことにして)希望だけを書いていた。今思えば、オレって何ておめでたいヤツなんだろうと思う。

でも、年賀状に書いたことは、ほとんど実現した。「テレビに出る!」と書いたら本当に出られたし、「あらゆるメディアで仕事をする!」と書いたら雑誌やネット以外に講演のオファーをいただいたりした。

あ、ポイントは「テレビに出たい!」ではなくて「テレビに出る!」と自分の中で希望をすでに実現させていることだ。あと、重要なのはそのさまをアリアリと妄想する。まぁ、若かったんだろうな。勢いだけで仕事ができたというか。

昨年、50歳を目前にしてから、やたらと過去を振り返るようになった。それは年賀状を書くタイミングだけではなく、普段から。もう、人生の終わりが漠然とした形であっても見えているからだろう。だから、一分一秒たりとも無駄にしたくはない。

これは性格だと思う。振り返ってもいちいちクヨクヨしない。楽しかったことも、辛かったこともひっくるめて過去があるから今の自分があるのは間違いないから。肝心なことは過去に引きずられず、今を生きることだ。それは今も昔も変わっていない。

年を追うごとに年賀状を出す人が少なくなっているという。私も家族の年賀状は、次男が20歳か大学を卒業したらやめようかと思っている。でも、仕事の年賀状は、今年の目標を取引先や友人、知人に宣言することを意味しているから、これからもずっと出し続けていく。

※写真は、平成30年の年賀状。写真展開催も、単行本出版も、モテることも何一つ実現していない。情けないったらありゃしない。