永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

Tokyo 2019.11.21

東京出張2日目。

 

今日は完全オフと決めていた。

 

思いつくままに電車に乗って、

映画を観たり、

チャーラーを食べたり、

レトロな喫茶店でお茶したり、

中古カメラ店へ行ったり、

ライターの大西ちゃんに会ったり。

 

歩き疲れたけど、束の間のオフを楽しんだ。

 

ってことで、今回も写真ブログをお届けします。

 

東京出張でお世話になった皆様、ありがとうございました。

 

 

MONOCHROME

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COLOR

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Tokyo 2019.11.20.

昨日から東京出張。

昼過ぎに西荻窪で取材。

その後、赤坂プリンスクラシックハウスにて、

東洋経済オンラインレギュラー執筆者感謝の夕べに出席。

写真を沢山撮ったので、以下に載せようと思う。

モノクロとカラーを撮りわけてみた。

それぞれの伝わり方の違いを楽しんでください。

明日はまったく予定を入れていない。

東京の街を歩きながら写真を撮ろうと思っている。

 

MONOCHROME

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COLOR

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北京飯の旅。プロローグ

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北京飯、と聞いて読者様は何を想像するだろうか?愛知県民であれば、「あー、アレね!」となるが、県外にお住まいの方はさっぱりわからないだろう。

中国の首都、北京で食べられているものではなく、安城市内にある中華料理店『北京本店』で生まれ、今や安城市のソウルフードといわれるご飯ものメニューである。

pekinhan.love

誕生したのは、半世紀以上前。『北京本店』の創業者が賄いで玉子料理を作ろうとしたところ、誤って別のタレを玉子の上にこぼしてしまった。捨ててしまうのももったいないと思い、食べてみたところ思いのほか美味しく、それがヒントとなり、北京飯が誕生した。

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北京飯の特徴は、ふわトロの玉子と豚肉の唐揚げがご飯の上にのること。三代目店主の杉浦充俊さんは玉子や豚肉、米など使用する食材を愛知県産にこだわり、「究極の北京飯」としてブラッシュアップさせた。

北京飯は杉浦充俊さんの兄、杉浦正崇さんが刈谷市で営むラーメン店『半熟堂』でも食べられる。

tukemenshaikki.com

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つまり、この2人が北京飯の伝承者なのである。例えるならば、正崇さんがラオウで充俊さんがケンシロウといったところか。

しかし、東京の『ラーメン二郎』に“二郎インスパイア系”があるように、愛知県内には“北京飯インスパイア系”ともいうべきメニューがあるのだ。心の狭い私なら、

「誰に許可をとってんだ!ゴルァ!」と怒り狂った挙げ句、訴訟も辞さない。しかし、“最強兄弟”の2人は、

「どんどんやればいいですよ♡それで安城が、三河が、愛知県が盛り上がればそんなに嬉しいことはないです」と、どこまでも太っ腹。

そこで、このブログで「北京飯の旅。」と題して、今、愛知県内に広がりつつある北京飯インスパイア系を不定期に紹介していこうと思っている。ただし、大半の店は三河エリアにあるので、「チャーラーの旅。」よりも不定期になるのは間違いない。気長に待っていただければと思う。

実は先日、ある町で北京飯インスパイア系を食べてきたので予告編として写真だけ載せる。

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いかがだろうか?北京飯とソックリであろう。レポートはまた後日。お楽しみに!

後輩のM.K君に捧ぐ。

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本日のブログを後輩のM.K君に捧げます。

私がカメラを向け、ペンを走らせる人、つまり、取材で出会う人々は皆、一様にして泥臭い人が多い。すごくオシャレでスマートな店で美しく着飾ったセレブたちをもてなすような華やかな世界にいても、やはり泥臭い。

それはなぜだろうと考えたとき……。えっ!?「類は友を呼ぶって」?うっさいわ(笑)!オレだってなぁ、何も泥臭く生きようと思っているわけではないんだ。結果的に泥臭くなってしまうのだ。

皆、生きるのに真剣なのだ。本気なのだ。決して他人に依存したり、頼ったりはしない。いくら調子が良くても、常に崖っぷち。きっと、そういう心境でいるように自分を追い込んでいるのだろう。

真剣に、そして、本気で生きるようとすると、なりふりなんて構っていられない。周りが自分のことをどう思おうが関係ない。そもそも、誰も助けてはくれない。学歴や肩書きなんてもっと関係ない。

オノレ自身に自問自答を繰り返し、それこそ、泥水を啜る覚悟で物事を断行する。自分自身の生きる力、生きようとする力を信じるしかないのだ。

そこに決して悲壮感はない。むしろ、それをエネルギーに替えているようにも見える。きっと、そんな姿が人々の琴線に触れるのである。そして、1人、2人と運命をともにする協力者が集まってくる。

そう考えると、崖っぷちどころか、どん底の状態こそがチャンスなのではあるまいか。なりふり構わず、死に物狂いで這い上がった時、環境はもちろん、運命さえも変えることができるのだ。

生き方を解く公式はおろか、ヒントさえも、ましてや模範解答なんてものも存在しない。オノレ自身が心の底から納得するか否かでしかない。

「お前は今のままでよいのか!?」と、自問自答を繰り返すしかない。皆、いや、少なくともオレは今のままでは納得しないから、足掻く。カッコ悪くても、足掻く。年甲斐もなく、足掻く。

ひょっとしたら、足掻いたまま人生の幕を閉じるかもしれない。でも、人の顔色ばかりうかがったり、SNSで頑張っているポーズをしたりして、自分を殺しながら生きるよりは100,000,000倍マシだと思っている。

熱情。

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私が文章を書くときにいちばん心がけているのが、読みやすさ。ボキャブラリーが少ない上に文学的な表現もできないので、逆にそれしかないのである。

本当に、ライターとしてのセンスや才能のなさはオノレがいちばんわかっているし、23歳のときに編プロで文章を書き始めたときから変わってないと思っている。上手くなるための努力も怠っているというか、そもそも、そんなに上手くなりたいとも思ってはいない。

まぁ、私は作家ではなく、雑文書きにすぎないんだから、読めて意味が伝わればイイのである。と、自分自身に言い訳してみる。いや、言い訳するしかない。ヘタで悪かったな。このヤロー!いかん、逆ギレしてしまった。

そんな中、最近、いろんな人から私の書いた文章についてご意見をいただく。あっ、クレームではない。どちらかというと、有り難いご意見。

「ナガヤさんの文章は“熱”や“温かさ”を感じる」とか、「読んだ後にとてもあったかい気持ちになる」、「ナガヤさんが書いた文章だ!って、すぐわかる」というもの。

何度も言うが、私は取材相手から聞いた話を読みやすく書いているだけである。自分ならではの言い回しというか、文章のタッチみたいなものは、ライターの仕事をしてから一度も意識したことがない。でも、そう感じてくださっている方がいる。小っ恥ずかしいけど、嬉しい。

 ただ、ひとつだけ言わせてほしい。グルメ取材の場合、私は店のコンセプトや特徴よりも、メニューの味よりも、調理法よりも、その他諸々のこだわりよりも、何よりも私が興味を引くのは、「人」なのである。

その人がこれまでどんな人生を歩み、どんなことを考えているのか。店や料理はそのほんの一端であり、いくら逆立ちしても、その人が持つ魅力には敵わないのだ。私が四半世紀以上もこの仕事を続けてこられたのも、周りに取材したいと思う人が沢山いるからである。

“熱”や“温かさ”、読後の“あったかい気持ち”を感じるというのは、私の文章力からではない。主人公である取材相手がもともと纏っているものなのである。それを取材という行為で引き出し、紡いでいくのが私の役割であり、仕事なのだ。

だから、私は自らを「取材屋」と名乗っている。小っ恥ずかしいけど、嬉しかったのは、文章を認めていただいたからではなく、取材力を評価していただいたと思ったからだ。美味しい料理の出発点がこだわり食材の仕入れにあるように、人の心を打つ記事の出発点は情報を仕入れる取材にあると私は思っている。

自由な時間。2

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高校では写真部に入部した。見学したときにオタクっぽい先輩もいなかったし、カワイイ女子の先輩もいた。文化祭で作品展を開催したり、撮影旅行へ行ったりと楽しそうに見えた。何よりも、将来はカメラマンになろうと思っていたからにほかならない。

しかし、結論から言うと、高校の写真部でカメラマンになるための撮影の技術や知識など得たものは、なかった(笑)。その代わり、いろんなことを経験させていただいたおかげで人として学ぶものは多かった。

正式に入部した初日、部室へ行くと、

「じゃ、新入部員の歓迎会へ行くから」と、3年生の先輩、それも1年留年して生徒会長をしていた先輩の家に行った。で、いきなり酒盛り(笑)。ポテトチップスやカラムーチョをアテにメロンフィズやバイオレットフィズを思いっきり飲んだ。いや、飲まされた。

酔っ払った先輩は完全に目が据わっていた。スクッと立ち上がり、何か喋ろうとした瞬間、リバース(笑)。何となく、そこまでは覚えているが、先輩はどうなったのか、自分がそこからどうやって帰ったのか今も覚えていない。

スタートからこんな感じなので、写真部は撮影や現像よりもダベることが活動のメインだった。現像に使う薬品を温める電熱コンロでお湯を沸かしてコーヒーを淹れたり、カップ麺を食べたりして過ごした。とても退屈で部活の時間がとても長く感じたが、今思えば、あの、まったりとした時間は何ものにも代え難いひとときだった。

写真部の部室はたまり場になっていて、生徒会や水泳部の先輩が頻繁に遊びに来た。とくに水泳部の先輩、T山さんとウマが合い、結婚式にも呼んでもらった。今もFacebookで繋がっている。

T山さんは指定校推薦で受験に挑むも、見事に不合格。「絶対に受かるから」と余裕ぶっかまして勉強をまったくしていなかったが、一般入試までの3ヶ月間で脇目も振らずに猛勉強して見事にリベンジを果たした。

その後、T山さんはどういうわけか、勉強に目覚めてしまい、大学では語学留学をして、卒業後は税理士の資格を取った。そして、今は税理士として活躍している。私も確定申告前に相談にのってもらったりしている。3ヶ月間の猛勉強が人生を変えてしまったのだ。

私もそうだったが、B高校出身者は高校でさんざん遊んだので卒業後はあまりハメを外さなくなる。大学なり専門学校へ入学するなり遊び倒す、いわゆる“大学デビュー”の同級生を冷めた目で見てしまうのだ。だから、あれだけメチャクチャなことをやっていた同級生たちは皆、真面目に働いている。何事もなかったかのように。

本当の赦し。

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赦すということは、本当に難しい。

心の奥底で憎む気持ちや恨む気持ちが少しでもあったら、それは「赦し」ではなく、「妥協」になってしまう。

また、相手を憎むことを「忘れる」ことは大切であるが、ネガティブな部分を見ないようにしているだけなのだから、それも「赦す」ことにはならないと思う。

では、本当の「赦し」とは何だろうか。

ある人からこんな話を聞いた。

その人の娘さんが中学校のときにひょんなことからいじめに遭い、不登校になってしまった。卒業後もいじめを恐れて高校も定時制に入学した。

そこですばらしい友達と先生と出会ったおかげで立ち直り、充実した高校生活を送ることができた。猛勉強をして有名私立短大へ入学することもできた。就職も志望した企業のすべてから内定をもらった。

いちばん最初に内定を出した企業に就職して、そこでもすばらしい上司や同僚に恵まれた。地方の営業所に配属されたが、仕事ぶりが認められて、本社勤務となった。

入社して3年目を迎えたとき、四大卒の新入社員が入社してきた。なんと、その中に中学時代に自分をいじめた同級生がいた。すごく心が乱れたが、新入社員の歓迎会のときに彼女は加害者である同級生に

「中学のときは迷惑をかけてごめんね」と、謝ったという。彼女はまったく悪くない。むしろ謝るのはいじめた方である。それでも彼女は謝った。

謝られた同級生はというと、あれから10年近く経っていたが、自分がいじめたことで彼女が不登校になってしまったことをずっと悔やみ、自分自身を責めていたのだった。

就職が決まり、中学時代にいじめていた同級生が同じ会社にいることを知った。逆に罵声を浴びせられ、いじめられるかもしれないと思うと、生きた心地がしなかった。ところが、彼女の口から出たのは謝罪の言葉だったのだ。

その場で泣き崩れて、互いに抱き合って泣いた。その日から2人は親友になった。結婚式にも出てくれて、心から祝ってくれた。今でもその関係は続いているという。

なぜ、彼女はまったく悪くないのに謝ったのか。

これは私の想像だが、いじめに遭って心に傷を負い、不登校になった。そりゃ憎む気持ちや恨む気持ちもあっただろう。しかし、それからの人生が違った。

「中学時代にいじめに遭わなければ、高校や大学、就職先でこんなすばらしい出会いはなかった」と、憎しみから感謝の気持ちへ変わったのだ。

本当の「赦し」とは、相手に感謝することではないだろうか。

そりゃ並大抵のことではない。世間の常識からすると完全に逸脱している。だからこそ、「赦す」ということは、オノレの人生を懸けるべき価値があるのだ。