永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

自由な時間。

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私の人格は、高校時代に形成されたと思っている。

私が通っていたのは、愛知県北尾張エリアでも有数のバカ高、B高校。高校受験の前、高校に願書を持っていったとき、フツーの高校生はほとんど見なかった。

パーマは当たり前、茶髪や金髪も多く、当時大人気だった「ビー・バップ・ハイスクール」をそのまま再現したような学校だった。こんな学校を志望したことを後悔しつつ、帰路についたことを今でも覚えている。

当時、愛知県の高校は管理教育が盛んだった。とくに新設校は校則が厳しいというウワサを聞いていた。B高校を選んだのは、担任の先生から「B高校は自由だぞ」と言われたからだった。

たしかに校則はあってないようなものだった。だからといって、ヤンキー化するのは方向性が間違っていると思うのだが(笑)。まぁ、今で言うと、“チャラい”ってことかもしれないな。でも、当時の私は絶対に影響されてはならないと心に誓ったのだった。

B高校の学生がヤンキー化していくのは1つのパターンがあった。あ、これは男子に限らず、女子も。1年生の夏休みくらいまでは、そこそこマジメに過ごすのだが、2学期が始まるとパーマをかけたり、髪を染めたりする。靴も白いスニーカーからカラフルなものになっていく。

私はローファーだったな。あっ!はい、はい、私も思いっきりB高校の校風に染まりましたとも(笑)。美容院に雑誌の切り抜きを持っていったのも、高校時代。男闘呼組の岡本健一になりたくて、生まれて初めてパーマをかけたのも高校時代(笑)。今思うと、フェロモン全開だったに違いない。

とにかく、私の高校時代は50年間生きてきた中でいちばん自由だった。そのときのエピソードもこのブログに残しておきたくなった。これから何回かに分けて書こうと思う。

タワゴト。

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タイトルに「なごやめし」とあるのに、グルメネタがまったく書かれてねぇ!

とくにこのブログを初めて訪れた方の中にはそう思ってらっしゃる方も多いだろう。しかも、日常の出来事もあまり書かれていない。書いてあるのは、私が考えたこと。ハタから見れば、おっさんのタワゴトだ。それは書いている私も十分に理解している。

今回は、それについて弁解しようと思う。

まず、グルメネタの件。料理人から話を聞き、彼が作った料理を撮影して、記事を書くのが私の仕事である。それをブログでやるとなると、仕事で書いた以上のクオリティを出せないのである。

毎日書くのだから、肩の力を抜いて取り組みたい。記事を更新するのを義務にしたくない。そんなことから、あえて本業のグルメネタはあまり書かない。どうかご理解いただきたい。

あ、もちろん、気が向いたら書く。そんなスタンスなので、逆にこのブログに登場する店やメニューは本当に私が美味しいと思っているということは伝えておきたい。

次に日常の出来事の件。これは根本的なことを言及せねばなるまい。

そもそも、50歳のおっさんがどんな日常を過ごしているか、気になるか?興味があるか?読みたいか?50歳の美魔女ならともかく、おっさんの日常に私自身が1ミリも興味がないのだ(笑)。んなもん、書けるか!って話である。まぁ、これも気まぐれに書くかもしれないけどね。

最後におっさんのタワゴトの件。実は毎日更新しているこのブログ、PCの前に座るまで何を書こうか決めていない。パッと思いついたことや心に浮かんだことを書いている。そのとき、そのときに考えたことを書き留めることに意義を感じているのである。

それは写真と似ている。例えば、家族で記念写真を撮る。何年後かにそれを見返したときに感じるものがあるだろう。当時の良いことも悪いことも思い出したり。写真には写らない、写っていない物語を1枚の写真から感じるのだ。それが写真の力だといえる。

文章でも同じことができないか。いや、文章ならば、写真よりも直接気持ちをぶつけることができる。それを何年後かに読み返したとき、カメラマンとして、ライターとして、男として、ひと回りもふた回りも成長できているかを確認したいのだ。

もちろん、文章を生業としている以上、読み手の存在を意識して書いているつもりである。これからも50歳のおっさんのタワゴトに耳を傾け、いや、読んでやってください。

負い目。

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実は私、女房にちょっとだけ負い目を感じている。

 

私と違って、女房は中学、高校と成績はトップクラス。

大学は英文科へ進み、卒業後は教師となった。

 

女房の同僚がそうだったように、

教師は職場結婚が多い。

 

女性教師は結婚しても仕事を続けるので、

夫婦揃って稼ぎまくり。

まぁ、大変な仕事であることは間違いないが。

 

多くの教師は

高級車を買ったり、豪邸に住んだりと

派手な生活はしないらしい。

 

その代わり、

子どもの教育にお金をかけたり、

毎年海外旅行に行ったりしているという。

 

私には1ミリも魅力を感じないが、

女房もそんな人生を送っていたのかもしれない。

 

しかし、幸か不幸か私と出会ってしまった。

 

「『お金がない』って言うなぁ!」と、私がキレて以来、

女房はお金のことを口に出さなくなったが、

きっと今もお金で苦労していると思う。

 

朝から晩までフルタイムで働き、

休みの日も家事に追われて、

いつも眠たそうにしている女房。

 

子供から手が離れたら、

一緒に旅行へ行きたいと言っていた

義母と義父、義姉も亡くなってしまった。

 

今も女房は義母たちを思い出しては泣く。

私も両親を亡くしているが、

私には想像もつかない寂しい思いをしているだろう。

そんな女房の心中を察すると、いたたまれなくなる。

 

私と出会って結婚したことと、

大切な人たちの死は関係ないかもしれない。

 

でも、お金の心配をしたり、

肉体的に疲労したりしなかったはずだ。

 

いったい、女房にとって幸せとは何なのか。

と、いうよりも、今、女房は幸せなのか。

 

私は怖くて訊くことができないし、

それを考えると、心が痛む。

 

ただ、一つ言えるのは、

私と結婚しなかったら、

あんなにカワイイ子供たちと出会うことはなかった。

経済的にも精神的にも

スリリングな(?)体験をすることもなかった。

そう自分に言い聞かせている。

愛されている実感。

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私には2人の息子がいる。

 

長男は今年22歳。次男は18歳。

2人ともすっかり大きくなった。

 

息子たちがまだ思春期真っ盛りだったときに、

聞いてみたことがある。

 

それは、

「お前たちはオレとお母、おじいちゃん、おばあちゃん、知多のおじいちゃん、おばあちゃん(女房の両親のことです)をはじめ、これまで多くの人たちに愛されてきたことを実感しているか?」

ということ。

 

この私の問いかけに、

長男も次男も首を縦に振った。

 

安堵した。

これから息子たちの人生に

何が起こっても絶対に大丈夫だと確信した。

 

自分は愛されている。

 

そう実感させるのが、

親の務めであり、

子供たちが

幸せな人生を築く礎となる、

と私は考える。

 

なかには、

「私は誰からも愛されていない」

という人もいるだろう。

 

でも、嘆くことはない。

 

自分の子どもを

愛すればよいのだ。

 

子どもがいなかったら、

妻を。夫を。

 

妻も夫もいなかったら、

自分にとって大切な人を。

 

ただ、愛する。

無条件に愛する。

 

それが幸福への第一歩。

 

愛する人は、愛される人でもあるのだ。 

愛と赦し。

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あまり信じてもらえないかもしれないが、

30代の頃、自分の性格について悩んでいた時期があった。

 

なんて自分は自己中心的なんだろうと。

なぜ自分は人を赦してやることができないんだろうと。

 

人からそこを突かれると、

烈火の如く怒り狂い、

その人を「敵」と見なした。

 

まさに、負のスパイラル。

ますます、自己嫌悪に陥った。

 

そして、自分に足りないのは、

愛と赦しであると悟った。

 

今も足りているとは思っていない。

自分がこの世に生を受けて、

死ぬまでに学んでいくべきこと。

いわば、オノレの人生における一大テーマだと思っている。

 

ただ、年を重ねてきて、わかってきたこともある。

 

一つは、人の数だけ受け止め方があるということ。

 

例えば、昨日のブログで関西大学での講義について書いたが、

私の話を学生たちはどう受け止めたのか。

 

それぞれだと思うんですよ。

 

前は、違った。

 

「伝える」ことを生業としている以上、

こちらの意図をきちんと伝えたいと思っていた。

 

そんなことは不可能なのに、真剣にそう思っていた。

 

人は自分の都合の良いように解釈するし、

ときには改ざんもする。

故意にではなく、無意識に。

 

それを私はわかっていなかったのだ。

 

今はむしろ、いろんな受け止め方がある方が

良いとさえ思っている。

 

そんなことから、前よりも人を赦せるようになった。

ただ単に年をとっただけかもしれないが。

 

それと、もう一つ。

人を赦すだけでなく、

自分自身を赦すことも大切だということ。

 

自分を甘やかすのではない。赦すのだ。

このニュアンスの違い、わかってほしい。

 

自分が自身のことをどんなにキライでも、

つき合っていかなくてはならないのだ。

だから、赦してやる。

 

リセットすることはできないが、

新たな一歩を踏み出せると思うんだ。

ゲスト講師。

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今年6月、大阪府高槻市にある関西大学総合情報学部で講義を行った。朝日新聞のウェブサイト『DANRO』編集長(当時)の亀松太郎さんが同大学で講師をしていて、ゲスト講師として呼んでくださったのだ。

nagoya-meshi.hateblo.jp

講義は2コマ(90分×2回、計180分)で1コマは、スマホカメラの撮影講座。もう1コマは、『永谷正樹、という仕事』と題した私の仕事論。

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思いのほか評判が良かったようで、今年の夏頃から「秋学期も是非お願いします」とオファーを受けていた。で、一昨日、再び関西大学へ向かった。前回と同様に、亀松さんと学食でランチを摂った後、講義開始。

前回はスマホカメラの撮影講座が先だったが、今回は順序が逆。100名くらいの学生を前に、私の仕事論について話した。

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私は写真専門学校や大学で講義をする際、「過去にこんなことをしてきたオレはスゴイだろー!?」ってことにならないように心がけている。まぁ、そんな人に誇れるようなことは何一つないのだが(笑)。

それよりは、現在進行形の話。50歳になって気がついたことや今夢中になっていることを話す。悩んでいることや凹んでいることも包み隠さず話す。その方が伝わるのだ。

私が彼らに伝えたかったことは、私自身がいつも自問自答している「お前は何者だ?」ということ。「関西大学総合情報学部○年の○○」という肩書きではない自分を見つけてほしいのだ。肩書き=アイデンティティーなんてクソつまらないではないか。

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1コマ目も2コマ目も皆、真剣に聞いていた。とくに2コマ目は、学生にとってはいちばん身近なスマホの写真だけに、とても楽しそうに写真を撮っていた。亀松さんに学生たちの感想を見せていただいたところ、概ね好評だった。

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講義を終えてから、京都・四条河原町にある日本酒バー『益や酒店』で打ち上げ。

masuya-saketen.com

亀松さんと日本酒をちびちび飲んでいると、店員さんが「ナガヤさんですよね?」と声を掛けられた。あれ?どこかでお目にかかったような……。

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Facebookとインスタで繋がっている竹村幹彦さんだった。5年ほど前に『週刊SPA!』の取材、たしかあれは「グルメマンガに出てきた店へ実際に食べに行く」という企画で当時はお好み焼き店で働いていた。

そんなサプライズもあり、ただでさえ旨いお酒と料理がより旨くなった。私も亀松さんもちょっと飲みすぎてしまい、帰りの新幹線でZZZ……。

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今回も貴重な経験をさせていただきました。亀松さん、ありがとうございました。

みんなと同じでないと安心できない病。

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こんな世の中だから、生き辛さを感じている人も多いと思う。

とくにこの国は、「みんなと同じでないと安心できない病」に冒されているので、自分がオカシイのでは?と考えてしまいがち。そこで無理矢理に周りと合わせようとするから、辛くなる。

会社勤め、その会社がトップダウン型の組織、いわゆるワンマン経営の会社であった場合、なおさらだろう。上司や部下と歩調を合わせなければ、秩序を乱す者というレッテルを貼られる。給与の査定にも響く。

結果、自分の考えを持たず、何でも「ハイ」と答える忠実なイエスマンが出世する。ったく、本当にくだらない。

しかし、これからの時代、トップダウン型の組織は淘汰されていくと私は思っている。なぜなら、トップが判断を見誤った場合、組織は総倒れになってしまうからだ。

しかも、周りは全員イエスマンだから自浄作用も働かない。皆、波風を立てないように、自分を殺して定年まで会社にしがみつこうと考えるているから、経営が傾いても経営陣が何とかしてくれるだろうと他人任せ。気がついた頃には倒産していた、というケースも十分あり得る。

おっと、話が逸れた。生き辛さの話だった。

このブログにも書いたことがあるが、私の長男は、5歳のときから昆虫に夢中だった。朝から晩まで虫、虫、虫だったので、小学校や中学校に入ったときに孤立したらどうしようかと心配したことがある。が、それは杞憂に終わった。

長男が周りに合わせたのかというと、そうではない。第一、そんな器用な人間ではない。どこまでも、本当にどこまでも、自分のペースを崩さなかったため、周りが長男に合わせるようになったのだ(笑)。長男の協調性のなさを心配した自分が恥ずかしくなった。

中途半端に人に合わせようとするから苦しいのだ。そもそも、周りの人は自分が思っているほど自分に興味があるわけでもない。親でもなければ子でもないんだから。って、私が言ったところで生き辛さが和らぐわけではないか。

「みんなと同じでないと安心できない病」を治療しようと思ったら、長男ではないが、「突き抜ける」しかない。流れに逆らうのではない。自ら波を立てて、自ら流れを作るのだ。私もそんな存在でありたいと思っている。