永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

日常の美。

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「最後にご主人の写真も2、3枚撮らせてください」と、私は取材終わりにいつもお店のご主人のポートレートを撮らせていただいている。

「えっ!?じゃ、新しい割烹着に着替えるわ」と、慌てて取りに行くご主人を私は制止する。割烹着についた一つ一つの染みもまた私にとってはステキに見えるので、そのままでよいのだ。

ごくありふれた日常の、ありのままの姿。それがステキでカッコイイ人に私はレンズを向けたい。誰だって、キレイな服を着て、髪をセットして、メイクまですれば、そこそこ「絵」になる。しかし、それは作られた、かりそめの美しさであって、その人自身の美しさではない。

もちろん、モデルやタレント、役者となれば話は別だ。彼らは自身の美しさを表現するのが仕事。そのためにストイックな日々を送っているのだと思う。やはり、一般人では太刀打ちできないだろう。

でも、私は市井の人にレンズを向けたい。市井の人ほどステキでカッコイイ人はいないとさえ思っている。ときとして、ポーズさえ不要。立っているだけでよい。そのままでよい。その人からにじみ出る生命力というか、美しさ、存在感といったものをカメラに収めたい。

そんな人々と接していると、自分もまた日常を美しく生きたいと強く願うようになった。そのためには、一日をのんべんだらりと暮らすのではなく、この一日はもう二度と戻ってこないとオノレ自身に言い聞かせて懸命に生きるのである。

命を使うのである。幸いにも命はどれだけ使っても減ることはない。むしろ、使えば使うほど力が増す。懸命に生きている様が、生命力がにじみ出ることで美しさとなる。

そう信じて、今日も私は現場でレンズを向け、仕事場でPCのキーボードを叩く。

 

※写真は愛知県豊橋市『中華定食 弥栄』の店主、佐藤要さん。この写真、気に入っているものの、紹介した『Yahoo!ライフマガジン』で使えなかったので、このブログに掲載した。佐藤さん、ありがとうございました!↓記事はコチラ

lifemagazine.yahoo.co.jp

前向き。

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高校時代、大好きだった彼女にフラれて打ちひしがれているときに、ある先輩がこんなアドバイスをしてくれた。

「彼女のこと、大好きだったんだろ?じゃ、次に誰かと付き合うときはもっと大好きになればいい。その次はもっともっと大好きに……っていう風に。人は恋をするたびに成長していくんだよ」と。

今思えば、なんてすばらしいアドバイスなんだ(笑)。その先輩は私よりも3歳年上だったから、当時20歳(!)。スゲエな。恋愛マスターじゃねぇか(笑)。

しかし、私はあまりのショックで、もうこれ以上の恋はできないと思っていたために、そのアドバイスを素直に受け入れることができなかった。が、次に恋をした相手と私は7年間の交際を経て結婚することになる。これは大好きだった彼女にフラれたおかげであり、意味があったといえる。

高校時代の失恋話まで晒して(笑)、いったい私は何が言いたいのか。

それは、一見、マイナスと思えるようなことが起こったとしても、その受け止め方次第でプラスに変えることができるということ。

では、どのように受け止めればよいのか。

昨日会った友人がこんなことを言っていた。

「新型コロナウィルスの影響で仕事が全部キャンセルになっちゃって、今月はプータロー!でも、文句を言っても仕方がないから、仕事がない間は自分が喜べることを探す」と。

ものすごく前向きなのである。ポジティブを通り越している。突き抜けている。この、底抜けの明るさがあれば、どんな困難も必ず乗り越えられるだろう。その姿勢こそが、新型コロナウィルスの感染拡大をただの災難で終わらせるのではなく、意味のあるものにするのだ。

私も見習わなければならない。

喜び。

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昨日のブログで、

「 人は喜ぶことを糧に生きているのだ」

と書いた。

 

では、「喜び」とは何か。

 

例えば、新しい服やバッグを買う。

それも喜びには違いない。

 

例えば、好きな人と一緒に過ごす。

それもまた、喜びであろう。

 

しかし、同じ喜びでも、

それらに勝る喜びもある。

 

人が喜んでくれたときの喜びだ。

 

私が撮った写真で人が喜んでくださる。

私が書いた文章で人が喜んでくださる。

私が喋った話で人が喜んでくれる。

 

だから、私は仕事をしている。

 

利益は、お金は、

どれだけの人を喜ばせたのかの目安。

 

…………。

まだまだ、

喜んでいる人が少ないんだな、私は(笑)。

 

自分は誰も喜ばせていない。

そう考える人もいるかもしれない。

 

それは絶対にあり得ない。

 

あなたがいるだけで、

あなたが存在するだけで、

喜んでいる人が必ずいる。

 

もしも、

喜ばせる相手がいなかったら、

病気や貧困、災害、戦争などの

過酷な状況の中で

生きている人たちに思いを寄せる。

 

以前、ブログにも書いた

同慈同悲(どうじどうひ)」の心だ。

 

新型コロナウィルスの対策が

後手後手となっている政府を

批判したい気持ちも解る。

 

でも、私は

感染によって亡くなった人と家族、

懸命にウィルスと闘っている人に

思いを寄せる人でありたい。

 

相手に伝わるかどうかは関係ない。

 

その思いが、

ステキな世の中を作り、

結果的に多くの人を

喜ばせることができるのだから。

負のエネルギーと新型コロナウィルス。

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ブログを書く、この時間。

わずか30分くらいのひとときだが、

すごく、すごく尊い時間だと思っている。

 

今日の出来事ではなく、

今日、自分が何を考えたのかを振り返る。

自分自身と対峙する時間。

 

そりゃ、辛いことや、苦しいこと、

悲しいことばかりが心に浮かんで

泣きたくなるようなことだってある。

 

そんな中から、

たった一つでもよいから、

肯定できることを探す。

 

朝、きちんと起きることができたとか、

昼寝をせずに仕事することができたとか、

どんな、ちっぽけなことでもいい。

 

人は、苦しみや悲しみを

バネにすることができる。

負のエネルギーはときとして

大きな力を生み出すこともある。

 

でも、長続きはしない。

 

「アイツを見返してやる」

という思いで頑張って、

結果を出しても、

なぜか心の底から喜べない。

 

やはり、

人は喜ぶことを糧に生きているのだ。

 

だから、

このブログには極力、

マイナスな感情は書かない。

 

新型コロナウィルスの感染拡大で

イベントや式典の中止が相次ぎ、

今、世の中全体が閉塞感に包まれている。

 

マスクやトイレットペーパーを

買い占めて転売するヤカラとか

腹の立つ話も耳にする。

 

そりゃ、嘆きたくもなるし、

文句の一つも言いたくなる。

 

でも、こんなときだからこそ、

善い部分を探す。

そして、ほんの少しだけでいいから

周りの人のことを思いやる。

 

そんな人が一人でも増えたら

世の中はもっとステキになるんじゃないかと。

 

新型コロナウィルスは病気なんだけど、

人々がいかに愛や善意を引き出すのか。

それを試されている気がするんだよなぁ。

 

みんな、頑張ろう!

自由な時間。5

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その昔、愛知県下の中学校、高校では管理教育が行われていた。私なんかは、そのど真ん中の世代。校則でがんじがらめ。地元の進学校、N春高校に入る者が「勝ち組」とする風潮があった。

当時の担任の先生は、それを公然と批判した。

「ウチの学校からN春高校に行く生徒の数はあらかじめ決まってるんだ。ウチの学校もその数を増やしたがっている。そんなのおかしいだろ!?」と内部事情を暴露した。

また、当時の成績のつけ方は相対評価。つまり、学年で成績が5と評価される生徒の人数があらかじめ決まっているというもの。先生は私たちに通知表を手渡すとき、相対評価の仕組みを説明した上で、

「今回の成績に納得しない者は、なぜこの評価になったのか直接教科担任に聞いてみろ」と言った。

中学3年の2学期、私は死に物狂いで勉強した。当時の受験科目は国語と英語と数学の三教科。数学は最初から諦めていたので、国語と英語で点を取るしかない。とくに国語は少しだけ自信があった。にもかかわらず、2学期の成績はキープどころか下がってしまったのだ。担任の先生の言った通り、教科担任にその理由を尋ねた。

国語の教科担任は、タレントの柴田理恵に似た、中年の女性教師だった。

「先生、なぜ僕は1学期から成績が下がったんですか?テストの点数は上がったのに納得できません」と、言うと、彼女はしどろもどろになった。そして、こう言った。

「あと少しで合格するという子に、ナガヤ君の成績をあげたの」と。

冗談じゃない。じゃ、オレはどうなるんだ。当然のことながら私は猛抗議したが、マトを得ないようなことしか言わなかった。それを担任の先生に報告すると、

「学校が大丈夫と太鼓判を押したら、試験で白紙答案を提出しない限りは合格するんだ。受験勉強なんてセレモニーなんだよ。ナガヤは成績が少し下がったくらいでも大丈夫だと判断して、その分を合格ギリギリの人間にまわしたんだよ」と教えてくれた。

中学生ながら、その国語教師はバカじゃないかと思った。そこまでしてN春高校に進む人数を増やしたいのかと心底呆れた。

私が自由を求めてB高校へ進学したのは、中学3年のときの担任の先生から影響を受けたのは間違いない。実際、高校時代は自由を思う存分堪能した。26歳のときには、さらなる自由を求めて会社を辞めた。

自由とは、好き勝手に生きることだけではない。心が解放された状態にあることを指すと思っている。とはいえ、フリーという自由この上ない立場でありながら、未だ自由を感じていない。家族を養っていかねばならないから?いや、そんなことは考えたこともない。カメラマン、ライターとして、いや、私自身、自分の生き方そのものに歯痒さを感じているからだろう。

「お前はこうあるべきだ!」という内なる声に素直に従うことこそが、自由への近道だと思っている。

父。

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昨日は、父の命日。

 

亡くなったのは8年前。

私が42歳のとき。

 

父が42歳のとき、

私が生まれた。

 

今でこそ、

40歳を過ぎて

父親になることは

珍しくはない。

 

しかし、

当時はレアケース。

 

家に遊びに来た友達が父を見て、

「ナガヤの父さんって、

お爺ちゃんだな」

と言われるのが

死ぬほど恥ずかしかった。

 

父が亡くなったとき、

今の自分に

生まれたばかりの子供がいることを

想像してみた。

 

そんなの、

愛おしいに決まってる。

 

そう思った瞬間、

記憶の中に埋もれていた

父の手の温もりや

父の膝の上の感触が

蘇ってきた。

 

たしかに、

私は父に愛されていたのだ。

 

父とサシで食事へ行ったのは、

生涯でたったの一回。

それも、私の仕事絡み。

 

でも、

嬉しそうに寿司を

頬張る父を

私は一生忘れない。

 

私は息子たちと

あと何回、

サシでメシが食えるだろう。

 

父もそんなことを

考えていたかもしれない。

 

親父、ありがとう。

 

※写真は'07年に自宅で撮影したもの。一緒に写っている長男は当時小学校3年生。

今。

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私がフリーとなった'95年、出版業界ではバブルのピークを迎えていた。26歳の駆け出しの私が何とか食べていけたのもそんな背景もあったからだと思う。

当時愛読していた『宝島』と『SPA!』、『週刊プレイボーイ』の仕事がしたいと思っていた。実際に編集部を訪ね、プランを送り続けた結果、3誌すべてに写真と記事を掲載することができた。

とくに『宝島』は2000年に週刊化するまで、ジャンルを問わず本当に数多くの仕事をいただいた。グルメ取材の楽しさを知ったのも『宝島』だった。20代後半から30代前半の私の代表的な仕事と言っても過言ではない。

ただ、今思えば、カメラマンとして、ライターとして、それらの雑誌で仕事をすることはステイタス、というか箔が付くと思っていたフシがある。

しかし、今は雑誌名よりも、何をテーマに取材・撮影をするのかという方が大切だと思っている。所詮、雑誌名は肩書きに過ぎないのだ。もちろん、仕事をしてみたいと思う雑誌は沢山あるが、もう、私の専門ではないテーマはできない。専門分野であるグルメ取材で勝負できるのであれば、どんどんやっていきたい。

同業者の中には、過去、それも出版バブル期の仕事の楽しさが忘れられないのか、今でもその思い出を語る人がいる。ギャラは今よりも高かったし、経費も青天井だったので、そりゃ楽しかろう。

しかし、あの頃に戻りたいとは思わない。いや、仕事に限らず、高校時代も、学生時代も楽しかったが、戻りたいとは思わない。そう思った瞬間、今ではなく、過去を生きていることになるからだ。

人の魅力というか、その人の持つ力というのは、過去の栄光によって作られることもある。でも、それはごく少数。オリンピックのメダリストくらいのものだろう。大半の人の場合は、今何をしているか、そして、何を考えているかによって醸し出されるものだと思う。

私は今を全力で生きたい。今の自分が好きだと胸を張って言える自分でありたい。