永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

ひとり飯のススメ。(9)

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一時期、担々麺にハマっていたことがあった。そのきっかけとなったのが、15年近く前に初めて食べた『想吃担担面(シャンツーダンダンミェン)』の「汁無し担担麺」。店は名古屋駅周辺のほか、栄や赤池、岐阜羽島にもあるが、新幹線地下街『エスカ』内にあるエスカ店が一号店だったと思う。

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15年前、担々麺といえば、汁ありしかなかった。しかも、担々麺と謳っていながら、胡麻味噌ラーメンだった利、台湾ラーメンに使うピリ辛の台湾ミンチと担々麺の肉味噌と共用しているのか、やたらとニンニクがきいた担々麺に遭遇したこともあった。

そもそも、初めて担々麺を食べたのは、専門学校を出て就職したばかりの頃。当時、名古屋駅前にあった都ホテル内の四川料理店『四川』の担々麺だった。これが本当に美味しかった。芝麻醤の風味とラー油の刺激のバランスが秀逸だったのだ。

都ホテルが名古屋から撤退してから、もう、あの担々麺は食べられないと思っていた。が、『想吃担担面』の「汁有り担担麺」を食べて衝撃を受けた。で、さらに「汁無し担担麺」を食べたら、あまりの美味しさにズブズブにハマった。

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まず、食べる前によーく混ぜる。器の底に芝麻醤とラー油が溜まっているので、それらが麺にまんべんなく絡むまでよーく混ぜる。

「汁無し担担麺」は平打ち麺を使用している。名古屋にある店だから、きしめんを意識している。だから、これは誰が何と言おうが名古屋めしなのだ!などという暴論は私は1ミリも支持しない。

きしめんに代表される平打ち麺は、味噌煮込みうどんやカレーうどんなど濃厚な味わいのつゆによく合う。そのポテンシャルの高さは紛れもなく日本一であると思っているが、汁無し担々麺の場合、タレによく絡むから平打ち麺を使っているだけの話だ。実際、愛知県以外の店で汁無し担々麺に平打ち麺を使っていることは多々ある。

麺と具材、タレを混ぜ終わったら、ワシワシと食べる。麺にはしっかりとしたコシがあり、その食感とクリーミーでコクのある芝麻醤がベストマッチなのだ。ラー油にもこだわっていて、辛みだけではなく複数の香辛料を組み合わせた複雑な味わい。これがまたクセになるのだ。

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麺を食べ終わってからが、ここの汁無し担々麺の真骨頂。汁無しも汁有りも担々麺には無料でご飯が付く。器に残った肉味噌とネギをご飯にのせて坦々飯にして〆るのだ。

しかも、ご飯は麦とともに炊き上げてあり、パラパラの食感。これがまた汁無し担々麺の具材とよく合うのである。もう、この坦々飯が食いたいがために汁無し担々麺を注文していると言っても過言ではない。

昔と比べて、今は美味しい担々麺を食べさせてくれる店が増えた。が、麺と具材、芝麻醤とラー油のバランスが秀逸な担々麺は意外と少ない。美味しい担々麺が食べたい!と思ったら、私は『想吃担担面』一択となる。

冷凍チャーハン論。

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写真は、セブンイレブンで買った冷凍の『すみれチャーハン』。原稿の〆切が集中する月末は、集中力が途切れてしまうので昼食は外で摂らず、もっぱら家メシ。とはいえ、いちいち作るのも面倒くさいので、インスタントで済ましている。

これはセブンイレブンへ行ったときに、たまたま見つけた。味の素やニチレイなど大手メーカーのチャーハンも食べたことがあるが、全然納得がいかなかった。だから、この商品もまったく期待していなかった。

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これがパッケージ。載っている写真はかなり旨そうに見える。名古屋住まいなのでよくわからないが、『すみれ』は札幌を代表するラーメン店らしい。ここはチャーハンも有名なのだろうか。

いずれにしても、札幌でしか食べられなかったものがこうしてコンビニで簡単に購入できることが素晴らしい。今はコロナ禍で旅行どころか外出そのものを控えているだけにより実感する。

ひょっとすると、これからの飲食店が生き残っていくには、店内での飲食とテイクアウトのほか、味を再現した商品を開発して通販事業を展開するのも一つの方法かもしれない。コンビニとのタイアップはほとんど儲けにならないという話も聞いたことがあるので。

イマドキの冷凍チャーハンは、袋のままレンチンができる。フォークで袋に数カ所穴を開けて、裏面を上にレンジへIN。パッケージに記載された時間を設定するだけ。

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これが完成した『すみれチャーハン』。緑色の物体はグリーンピース。それ以外に青系の色がないのがやや寂しい。でも、肝心なのは味だ。

スプーンですくってひと口食べてみる。食感はしっとりもしているが、どちらかといえばパラパラ系。そんな食感とともに、チャーシューの旨味やいろいろな調味料が混ざり合った複雑な味わいが広がる。

実店舗の味を知らないので、どれだけ味を再現できているのかはわからないが、私が作ったチャーハンなんぞとは比べ物にならない。巷の冷食チャーハンよりも絶対に旨い。ヘタをすると、そこいらの中華屋よりも美味しいかもしれない。

ただ、何かが足りないと思った。それは何なのかと考えたとき、一つの結論に達した。それは、チャーハンを食べるときのシチュエーションである。例えば、中華料理店独特の、食欲をそそられる匂いだったり、店主が中華鍋を振る音や食材を炒めたり、揚げたりする音。それがないのである。

チャーハンではなく、スイーツだったら、物足りなさは感じないと思う。冷凍チャーハンは、ライブを収録したCDに似ている。やはり、ライブの醍醐味は参加、すなわちその場に居ること。チャーハンは舌だけではなく、耳や目から楽しむものでもあるのだ。

狭量。

ライターという仕事柄、いろんな人と会って話をする。その際、相手の考えや生きざまなどを理解することに努める。たとえそれが私の考え方と違っていたとしても。そもそも、まったく同じ考え方を持つことなんてあり得ない。赤の他人同士は言うまでもなく、家族でさえも考え方が違っていて当たり前。10人いたら、10通りの考え方があるのだ。

「価値観が同じ」というのも、100%まったく同じということではなく、相手のほんの一部分に共感し合っているということ。と、こう書くと、「ナガヤは冷めている」とか「ナガヤは冷たい人間だ」、「ナガヤなんて死ねばいいのに」と思われるかもしれない(笑)。

いや、私の人格は別として、人それぞれに考え方が違うから、すばらしいのだ。考え方が違うから、理解し合おうとする。理解し合えなかったとしても、それぞれの考えを尊重し合う。そこに価値があるのだ。

ところが、多くの人々が幸福に生きることを使命としているはずの政治や宗教の方がむしろ狭量な考え方をしているように思う。

それを最も端的に表しているのが、安倍首相と彼を熱狂的に支持している人たちではないか。3年前、東京都議選の応援演説で「帰れ!」、「辞めろ!」コールを浴びた安倍首相(当時)は「こんな人たちに皆さん、負けるわけには行かない」と言い放った。

ニュースでそれを見たとき、私は言葉を失った。政治家は国民の話を聞くのが仕事のはずなのに、堂々と国民の分断を煽っているのである。しかも、一国の指導者が。

さらに、その翌年、札幌での参議院選挙の応援演説中にヤジを飛ばした男性と、プラカードを掲げようとした年配の女性がそれぞれ警察官に排除された。この日、少なくとも9名は同じ理由で排除されたという。

youtu.be

この問題をHBC(北海道放送)は『ヤジと民主主義』というドキュメンタリー番組を制作して、世に問いかけている。46分と長いが、是非、見ていただきたい。

この動画を見たとき、背筋が凍えた。日本はいつから独裁国家になったのかと思った。「ヤジを飛ばしたのだから、プラカードを掲げたのだから排除されるのは当たり前」という意見もあるだろう。しかし、ヤジを飛ばすこともプラカードを掲げることも違法ではない。

実際、「なぜ、彼らを排除したのか」と説明を求める弁護士団体や市民に対して、道警は「ヤジの排除は適切だった」としかコメントをしていない。安倍政権の継承を掲げている菅首相や閣僚もバカのひとつ覚えの如く、「コメントを差し控える」を連発している。政治への不信感は強まる一方である。

断っておくが、ここで触れているのは、安倍前首相や菅首相の政策を批判しているのではない。民主主義で最も大切な「言論の自由」に対して、国家が圧力をかけているのではないかとの疑問を呈しているのであり、思想の右や左は関係ない。

安倍前首相や菅首相を批判しただけで「左翼だ!」、「売国奴だ!」とレッテルを貼る彼らの支持者もまた狭量な考え方をしていると思う。

それは宗教も同じで、ずいぶんと前になるが、ある雑誌の依頼で某県にある某宗教団体の墓地の撮影に行ったことがある。

墓地へ行くまでの狭い道の両側には壁があり、某宗教団体と敵対する宗教団体が互いに誹謗中傷し合うビラが大量に貼られていた。中には「◯◯へ入ると地獄へ落ちる」などとおよそ宗教とは思えない過激なものもあった。

「◯◯へ入ると地獄へ落ちる」とは言い換えれば、「脱会しなければ救われない」、「◯◯に異を唱えるウチに入会しなければ救われない」ということになる。これはもう、狭量どころか増上慢の極み以外の何ものでもない。

そもそも、墓地を利用しているのは、その某宗教団体の信徒である。私が信徒だったら、その道を通るたびに嫌な思いをする。と、いうか、その状況がそのまま地獄ではないのか。でも、たぶん、中にいる信徒は、それぞれの正義を信じているから、中傷ビラに共感したりするのだろう。そこに宗教の怖さがある。

私自身、生きていく上で信仰心を持つことは大切であると思っている。が、狭量な教えに基づいて徒に危機感や不安を煽って入会、脱会をさせる行為は最低最悪だ。

ひとり飯のススメ。(8)

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昔ながらの中華そばが好きだ。五十路のおっさんにとって、豚骨や醤油豚骨はキツイ。どうしても、食後に胃がもたれてしまう。

だから、遠方へ出張するときは中華そばの美味しい店を探している。外出のついでに探した店に行くというのも「ひとり飯」の楽しさだろう。

写真の中華そばは、先月、岐阜県恵那市へ出張したときに食べた一杯。地元では有名だと思われる『あきん亭』の「あきん麺」。見ての通り、分厚いチャーシューが4切れも入っている。

多治見や可児など岐阜県の東濃エリアには、このテの中華そばを食べさせてくれる店が多いような気がする。以前、東濃在住の友人、奥村真史さん

「東濃エリアはとにかく保守的なんですよ。とくにラーメンはそれが顕著で、つけ麺やまぜそばの店すら少ないんです」と、話してくれた。

そういえば、愛知県一宮市もその傾向はあるかもしれない。東濃と比べて人口が多いので、つけ麺の店もあるにはあるが、昔ながらの中華そばの店は幅広い世代に支持されているもんなぁ。

おっと、『あきん亭』に話を戻そう。地元でも『あきん亭』といえば、分厚いチャーシューが有名だろう。地元ではない私もそれを目当てに店へ足を運んだのだから。

たまたま通りかかった店で、私はチャーシュー麺やチャーシュー丼を注文しないことにしている。分厚いチャーシューは角煮のようなトロトロの食感が醍醐味である。

ところが、煮込む時間が短かったのか、噛みきれないほどかたくて、味もまったく染みていないチャーシューがのる店が多々あった。

その点、『あきん亭』のチャーシューは、口の中に入れたらバラバラにほぐれてしまうほどやわらかい。しかも、チャーシューを盛り付ける際に、赤身が多いものと適度に脂身が入ったものをバランスよく選んでいる。この心配りも重要なのだ。

チャーシューといえば、数年前から低温調理したものも見かけるようになった。誰も言わないので、あえて言わせてもらおう。あれ、いったいナニが美味しいのか私にはさっぱりわからない。

そりゃ、やわらかいし、肉本来の旨味はある。それ以上でもそれ以下でもない。チャーシューはラーメンの具材の一つにすぎないが、チャーシューが旨いラーメンを食べさせてくれる店はだいたい流行っている。チャーシューの美味しさは、タレの味と肉の旨み、食感で決まるのだ。

「低温調理のチャーシューは、インスタ映えするんですよ。インスタで人気となった店のマネをしているだけです」と、あるラーメン店のオーナーが話してくれたことがあった。美味しいことと、インスタ映えすることは必ずしも一致するわけではないのである。

足底腱膜炎。

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一昨日、昼食を食べに行こうと思い、玄関を出た瞬間に左足のかかとに激痛が走った。この痛みは初めてではなく、長時間立ちっぱなしだったり、歩き続けると同じような痛みを感じていた。

しかし、ここまで激しい痛みはなかった。痛みを堪えながら車に乗って、近くの喫茶店で食事を済ませた。本当はそのまま喫茶店で仕事をするつもりでいたが、あまりの痛さに集中できないと思い、早々に帰宅した。

かかとに体重がかかったときがいちばん痛く、まともに歩くことすらできない。それでも〆切が迫っている原稿を何とか書き上げた。

いつもはお風呂に浸かりながら、足の指や足首のストレッチをすると痛みが和らぐ。そして、しっかりと寝ると痛みは消える。一昨日は普段よりもゆっくりとお湯に浸かって、身体が温かいまま床に就いた。

ところが、痛みは消えるどころか強くなっていた。何しろ、痛みで目が覚めてしまったのだ。起き上がろうとしても、左足に少しでも体重がかかると激痛が走る。階段の手すりにしっかりと掴まりながら3階の寝室から2階のリビングへ何とか移動することができた。

普段は着替えてすぐにコーヒーを入れるのだが、昨日はガスファンヒーターの前にしゃがみ込んでしまった。来週は取材や撮影が入っていないものの、このままずっと痛みが引かなかったらどうしようと不安になってきた。いや、それよりも今のこの痛みをなんとかしたいと思い、病院へ行くことにした。

朝イチだったので、15分くらいで案内された。診察後にレントゲンを撮り終えると、再び名前を呼ばれた。医師はレントゲン写真を見ながら

「かかとから土踏まずに“足底腱膜”という膜がありまして、そこが炎症を起こしていると考えられます。足底腱膜炎(そくていけんまくえん)といって、マラソン選手に多いのですが、加齢も原因になります」と説明をしてくれた。

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痛みをとるには、私がそれまでやっていたストレッチくらいしかなく、自然に治癒するのを待つしかないという。痛みがひどい場合は、足の形に合わせたサポーターを作ってくれるというので、それをお願いした。来週、また病院へ行かねばならない。

帰宅後も痛くてPCに向かう気力も無くなってしまった。昼食を食べてからは睡魔に襲われて、仕事場のソファで1時間ほど眠った。目が覚めると、あれほど痛かったのがウソのように痛みは和らいでいるではないか。

体重をかけると少し痛むものの、わりと普通に歩けるようになった。原稿書きの遅れを取り戻そうと、15時くらいから集中して書きまくり、何とかこの日のノルマはクリアすることができた。

年をとると、身体のあちこちにガタがくる。それはわかっていた。でも、この年でくるとは思わなかった。いや、目を逸らしていただけかもしれない。老いと共存していかねばならないのだ。

ひとり飯のススメ。(7)

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ブログのアクセス数が下降しまくっている。ブログの記事を毎日24時を目安に更新しているのは、24時間公開していれば、それなりのアクセスはあると思ってのこと。1時間に10人来てくれれば、240人になるし。

ところが、最近では200人を切ることもしばしば。200人を「危険水域」と見ているので、危機感を抱いている。とはいえ、アクセス数を上げんがためにタイトルや内容を考えるのはまっぴら御免。誰にも、何にも縛られることなく、自由に、好きなことを書くのがこのブログの役割である。

まぁ、それだけまだ私の知名度が低いのだろう。読みたくなるような記事を書けば、アクセス数は自ずと増えてくるのだ。そう思っている。

さて、今日も「ひとり飯のススメ」。今回紹介するのは、このブログでこれまで幾度となく取り上げてきた『長命うどん 藤島店』の「うどん」の中華ミックス。別名“う中”。その名の通り、一つの丼の中にうどんと中華そばが入っている。「一粒で二度美味しい」アーモンドグリコ(←懐かしい!)と同様に、「一杯で二度美味しい」のが、このう中である。

あ、知らない方のために書いておくが、つゆは和風だし、名古屋の場合はムロアジがベースのだしにたまり醤油を加えたものになる。早い話がうどんのつゆである。と、なると、中華麺との相性が気になるだろう。私もそう思っていた。

これが抜群に合うのである。とくにコショウをドバドバかけて食べるのが旨い。天ぷらをのせて、つゆに油が染み出すと、もっと旨い。私はいつも大きなかき揚げをトッピングしている。たまに天ぷらを2つも3つも丼にぶち込んで食っている客を見かけるが、つゆが油クドくなりすぎて食べられたものではない。私のような五十路のおっさんは、麺類にのせる天ぷらは1種類が基本だ。

それと、ご覧の通り、う中は、丼の中で中華そばゾーンとうどんゾーンがキレイに分かれている。その様を初めて見た方はどちらから、どうやって食べようかと戸惑いがち。当初、私は伸びやすい中華そばから食べて、飽きてきたところでうどんへとシフトしていく、というパターンだった。で、食べているうちに中華そばとうどんが混ざり合っていくので、最終的にはミックスで食べ終わる、みたいな。

しかし、ある日、そんな食べ方に疑問を感じるようになった。って、本当にどうでもイイ話だな(笑)。でも、ちょっと大真面目に書いてみる。そもそも、う中は異なる2種類の麺を同時に食べられるのがウリのはず。ゆえに、最初から中華そばとうどんを一緒に食べた方が旨いと思ったのだ。

中華そばゾーンとうどんゾーンの境目に箸を入れて、2種類の麺をすくい上げる。そして、一気にすすり込む。うん、うどんのモチモチ感と中華そばのしっかりとしたコシが口の中で一体となる。これがう中の醍醐味である。皆様もお試しアレ。

トレンドとカルチャー。

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またまた、告知から。

『Yahoo!ライフマガジン』にて、名古屋・栄3丁目『寿司と串とわたくし』を紹介させていただきました。

lifemagazine.yahoo.co.jp

取材にご協力いただきました皆様、ありがとうございました。

さて、ここからが本題。

食には、流行がある。ブームをいち早く取り入れて、数多くの客で賑わっている店もある。ブームはいつか去るものであり、リスクも伴う。それでも店をオープンさせるのは本当にスゴイと思う。

ゴメン。正直、そういう店に私はあまり魅力を感じない。その店で出されるのは料理ではなく、商品のような気がするのだ。このニュアンス、わかるかなぁ。

流行のグルメはニュースになるから、取材することもある。そんなときは、「トレンドを記録する」ということに意義を見出している。

例えば、一昨年に大ブームとなったタピオカドリンク。アレ、原価率が低い上に、ほとんど設備も要らないから、お祭りやイベントの屋台でも売っていた。ミルクティーの部分は「午後の紅茶」で(笑)、値段は一杯500円。ボロ儲けである。

タピオカドリンクを売っていた人は、タピオカドリンクをどのように考えているのだろう。おそらく、大半は「これでガッツリと儲けよう」と、店を始めたのだと思う。

中にはタピオカドリンクに魅せられて、他店とはひと味もふた味も違うものを研究に研究を重ねたメニューを出している店もあるだろう。ブームが去っても生き残っているのはそういう店なのだ。

タピオカドリンクの店を始めた人は、ブームが一過性であることも納得していて、ブームが終わるまでにどれだけ稼ぐことができるのかがポイントだったと思う。そうなると、やはりタピオカドリンクは単なる商品になってしまう。

逆に私が魅力を感じるのは、自分が作る料理をまるで自分の子供のように愛している人であり、そんな料理を出している店である。商売としてやっているわけだから、その料理を売って利益を出すのは当たり前である。でも、それが第一ではない。

その料理を作りたい、それを食べてお客さんに喜んでもらいたいと、店を営んでいる人もいる。さらには、その思いを何代にもわたって受け継いでいる人もいる。時代を先読みして、短期間でガッツリと儲かる店をつくる人よりも、50年、100年と続くような店をつくろうとしている人の方がはるかにカッコイイ。

時代で移り変わるのがトレンドであり、カルチャーは時代に育てられる。私は雑誌やWebメディアを通じてカルチャーを育てたい。そこにカメラマン、ライターとしての使命があると思っている。