永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

晩秋。

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あっという間に秋が終わり、冬の足音が聞こえてきた。

年末に向けて、バタバタといろんなところから仕事のオファーが来て、12月中旬くらいまでスケジュールが埋まってきた。とてもありがたい。編集部の皆様、クライアントの皆様、ありがとうございます。おかげで無事に年を越せそうです。

ただ、忙しくなると、すぐに調子にのってしまうのが私の悪いクセ(笑)。仕事のオファーはいつ来なくなるかもしれないし、レギュラーの仕事だって永遠ではない。

コンスタントに仕事が入っているときこそ、オノレ自身を見つめ直し、「これでよいのか!?」と自問自答すべきなのだ。って、面倒くせぇヤツだなぁ、私は。

何も考えず、時の流れに身を任せて、のほほーんと暮らすことができたら、どれだけラクだろうと思う。でも、できないから仕方がない。

あえて苦難の道を選んでいる、と思われるかもしれない。それは違う。これからの自分はいかに生きるべきかをわかっているのに、それを見ないようにしていたのだ。

できていないこともわかっているし、それを認める勇気がなかった。できていないことをできているように取り繕っていた。50歳を目前にそれは止めよう、本気で生きようと決めた。

私ができていることはたった一つ。なりたいと思っていたカメラマンになっただけ。今はデジタル一眼を買ったばかりの人がカメラマンを名乗れる時代だから、そんなものは屁の突っ張りにもならない。

肝心なのは、カメラマンとしてどんな作品を遺すか。大量に消費される情報としての写真ではなく、私という人間を体現した一枚。それが撮れるなら、明日死んでもいい。

 

豚あみ焼き弁当。

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数ヶ月前から仕事でほぼ毎月、静岡に行っている。まだ、静岡駅界隈は探検していないが、決まって立ち寄る店がある。それが静岡市葵区両替町にある『静岡弁当』だ。

www.shizuokabento.com

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ここの「豚あみ焼き弁当」が悶絶するほど旨いのである。弁当とはいっても、おかずは豚のあみ焼きのみ。

初めて見たときは、やや物足りなさを感じた。しかし、実際に食べてみると、まったく印象が変わった。

豚のあみ焼きとタレが染みたご飯。この組み合わせは、まさにテッパン。これ以外に何も要らないのである。

味の決め手は、やはりタレ。うなぎの蒲焼きのタレに似た甘辛い味付けが後を引く。

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あまりの美味しさに「つゆだく」で食べたいところだが、豚のあみ焼きの下にはほとんどタレがかかっていない。容器の底の方にタレご飯が入っているのだ。

つまり、たれのかかったご飯の上に白米、その上に豚のあみの焼き、と、層になっているのである。食べながら実に計算されていると思った。

仮にご飯全体にタレがかかった「つゆだく」だったら、クドくて途中で飽きてしまうだろう。それだけ豚のあみ焼きがご飯のおかずとしてのポテンシャルが高いのだ。

それと、もう一つ。豚あみ焼き弁当を語るとき、避けて通れないのが別売りのコールスローサラダ。見ての通り、タダのキャベツの千切りだが、必ず買うことをお勧めしたい。

もちろん、箸休めに食べても旨いのだが、私オススメの食べ方を伝授しよう。

添付のドレッシング(これがまた美味しいのよ・笑)を全体にまんべんなくかけて、少し時間をおく。その間、豚あみ焼きとご飯を楽しむ。

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半分くらい食べたところでキャベツに味が馴染んでいることを確認したら、容器から豚のあみ焼きを一枚取り出して、コールスローサラダを巻いて食すのだ。

甘辛いタレの味と、肉その物の味、キャベツのシャキシャキ感、ドレッシングの酸味が口の中で一つになるのである。これがもう……これがもう……ほんっ……とーーーに旨いのだ!ターボがかかったようにご飯がすすみ、あっと言う間に平らげてしまった。

豚あみ焼き弁当は、私の中でベスト3に入る弁当であることは間違いない。強いて一つだけ要望を言わせていただくとしたら、そのボリューム。

やや物足りないのである。かといって、弁当2つは多すぎて食べきれない。だから、ちょうどよいサイズ感、例えば、1.5倍の大盛があればいいのに、と思った。

『静岡弁当』さん、ご検討のほどよろしくお願いいたします(笑)。

責任が伴う遊び。

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ある人から「ナガヤさん、『仕事休みたい』って言わないですよね」と、言われた。肉体的に疲れたときなんかは休憩したいとは思うが、オフにしたいとは思わない。実際、完オフは年に数えるくらいしかとっていない。

フリーになったばかりの頃は、オンとオフを切り替えることで仕事もプライベートも充実するものだと思っていた。しかし、30代前半くらいのときに、それはムリだと諦めた。

サラリーマンの場合、労働時間は1日8時間と決まっている。言い換えれば、仕事は9時~17時までに終えねばならない。もちろん、そこから残業もあるだろうが。

私の場合、午前中にモチベーションが上がらなくて、何もしないまま昼になってしまうことはしょっちゅう。昼食を食べた後に睡魔に襲われてソファで横になったら寝落ちして気がついたら15時。それでもFacebookやtwitterに逃避したりしてエンジンがかかるのは16時半、なんてことはザラにある。まぁ、威張って言うことではないが(笑)。

で、16時半スタートで原稿を書き始めると、ひと段落つくのは夜、というか夜中。サラリーマンなら家族団欒だったり、テレビを見たり、晩酌したり、と、完全にプライベートの時間だ。15時までサボっている自分が悪いのである。

そりゃ決められた時間内に仕事を終えることができたら、それに越したことはない。しかし、原稿を書くという作業はそうはいかないのである。いや、世の中には朝から始めて夕方にはきっちりと終わらせるライターさんもいるだろう。そんな方からすれば、

「チッ!使えねぇヤツだな。死ねばいいのに」と、罵られても仕方がない。

でも、私にとってはオンとオフをボーダーレスにする方がラクなのだ。そもそも、いや、これは怒られるかもしれないが、私自身、取材へ行くのも、写真を撮るのも、遊びだと思っているフシがある。

写真を撮ることはもともと好きなので、それは完全に遊び。取材も、ときには初対面だというのに、さんざんバカ話をすることもある。それも完全に遊び。いや、遊びだと言い切ってしまうのも語弊があるな。「責任が伴う遊び」とでもしておこう。

ただ、原稿書きだけは、まだ遊びと捉えられない。あ、このブログは遊びだと思っているんだけどね。それだけでも進歩したと思っている。ブログを書く感覚で仕事の原稿も書けるようになれば、そんなに楽しいことはないんだけどなぁ。

フリーノックダウン。

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ふと、「フリーノックダウン」

というフレーズが心に浮かんだ。

 

ボクシングは同じラウンド内で3回ダウンしたら、

ノックアウト負けになる。

 

しかも、1ラウンドはたったの3分。

12ラウンドまでしかない。

 

でも、人生はフリーノックダウン。

 

テンカウント内に立ち上がらなくてもよい上に

ラウンドは無限に続く。

 

倒れても、倒れても、

何度でも立ち上がればよい。

 

レフェリーストップもない。

試合続行を決めるのは、オノレ自身。

勝敗を決めるのも、オノレ自身。

 

だから、絶対に敗北を認めない。

勝つまでやる。

 

倒れても、倒れても、

何度でも立ち上がればいいんだ。

大切な人の死。

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今回のブログは、私の大切な友人、F.C.さんに捧げます。

 

50歳を過ぎると、結婚式よりも

通夜・告別式に参列する機会が多くなる。

 

私は43歳のときに父と母を相次いで亡くした。

 

年老いただけでなく、

病に冒されて元気がなくなっていく父母の姿を

見るのが忍びなかった。

 

だから、一つ屋根に暮らしていても、

入院してからも、

あまり父母と話さなくなった。

これではいけないと思いながらも。

 

長い間、2人ともほとんど寝たきりになっていたので、

覚悟はしていたつもりだったものの、

失ってみると、やはりショックは大きかった。

 

もっと話がしたかった。

もっとこうすれば良かった。

 

後悔の念が後から後から押し寄せた。

 

でも、

亡くなってからの方が

父と母の存在を

身近に感じるようになったのもまた事実。

 

瞼を閉じて、父母を思うと、

弱々しい姿ではなく、

元気だった頃の笑顔が浮かんでくる。

 

そのたびに

「ありがとう」と、手を合わせる。

心の中の父母はますます笑顔になる。

 

私はこう考える。

 

父母と私が出会ったのは、偶然ではない。

何かしらの縁、血縁という目に見えるものだけではない。

日本人は血縁を重視するが、

そんなものは大したことはない。

血縁を超えた、もっと大きな力によって生まれた縁。

 

神がつくった縁と考えてもよい。

だから、今世だけの出会いであるはずがない。

と、いうことは、

これから先、必ず会えると確信している。

 

ひょっとすると、父と母は、

息子たちの子ども、

つまり、私にとっては孫として

生まれてくるかもしれない。

 

今世で会うことができなかったら、

来世で必ず会える。

 

そう考えると、

悲しみよりも楽しみの方が勝る。

 

肝心なのは、

父母に見護られている中で、

自分はどう生きるのか。

 

私は、できるだけ、

できるだけ、

人を憎まず、恨まず、

生きていきたい。

 

自由な時間。3

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人生でいちばん勉強したのは、大学受験のとき、というのがデフォルトだと思う。しかし、私は写真専門学校だったので面接のみ。しかも、実際に入学すると、同級生には高校すら卒業していない者もいたりして、カメラマンは学歴不問であることを実感した。

私が人生でいちばん勉強したのは、高校受験の前。中学3年生のときのクラスは、10人近くが名古屋市内の「学校群」と呼ばれる進学校にすすむ、秀才が揃っていた。

私はというと、成績は中の下。公立高校にギリギリ行けるかどうかのボーダーだったと記憶している。私立高校は入学金や授業料も高い。親に負担をかけさせたくないという思いから、必死こいて勉強した。そのおかげで最後の学年末テストではクラスで10位になった。3学期の学年末テストでイイ点を取っても成績には関係ないんだけどね。

高校受験は無事に合格。一生懸命に勉強して入ったのは愛知県の北尾張でも有数のバカ高、B高校。入学してからは、とにかく、まぁ、勉強はしなかった。そもそも高校で勉強をした記憶がまったくない。高校3年間を合わせても6時間(笑)くらいしか勉強しなかったのではと思う。

教科書は学校の机の中に入れっぱなしだし、ノートは全教科共通(笑)。いかに勉強しなかったのかがお分かりになるだろう。って、威張って言うことでもないが。

それでも、中間や期末のテスト前には遊んでいてはいけないような雰囲気にはなる。それをもっとも感じるのは、学校の近くにある文房具店。なんと、店の前には30人くらいの行列ができるのだ。えっ? 参考書を買い求める学生が殺到!? まさか(笑)。

北尾張でも1、2を争うバカ高ではあったが、クラスにはマジメに勉強をしている者もわずかではあったがいた。その同級生からノートを借りて、文房具店でコピーを取るのだ。店の前の行列はコピー機の順番待ちだったのである(笑)。

コピーを取った時点で、何となく勉強したような気分になるから不思議(笑)。ってことで、私のテスト勉強は終わり。当然、成績は急降下の一途を辿った。とくに2年生のときは本当にヒドイものだった。数学で0点をとったのも2年のときだ。

今思えば、恥ずべきことであるのは間違いない。しかし、当時は逆に誇らしく思った。0点なんてとろうと思ってもなかなかとれないし、オレはそれだけ勉強しなかったんだぞ!みたいな。

この数学と物理、化学が最後まで足を引っ張り、2年から3年に進級する際に留年しかけた。留年から逃れるには、補充授業を休まずに出席することと進級試験をクリアせねばならなかった。

私としては、留年しても構わないと思っていた。1学年下に彼女がいたから、同級生になれる、くらいにしか受け止めていなかった。ところが、彼女は絶対に進級してほしいという。そりゃそうだ。自分の彼氏が留年したなんてカッコ悪すぎるもんな。

仕方がないので進級に向けて勉強することにした。とはいっても、学校側としても留年者を出したくはない。先生からは、進級試験では補充授業でやったことがそのまま出ることを事前に知らされていた。だから、それだけを必死で覚えて何とかクリアすることができた。

そんなギリギリ進級できたバカが、大人になって専門学校や大学で講師を務めることになるのだから、人生は本当に何が起こるかわからない(笑)。人によっては勉強ができないことが拭いきれないコンプレックスになることもあるだろう。しかし、私は一度も負い目と思ったことがない。息子たちに「勉強しろ」と一度も言ったことがない。勉強に向いていなければ、それ以外の部分を頑張ればよいのだ。

お友達価格。

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私のようなカメラマンやライターに限らず、すべての経営者、個人事業主の皆様、

「お友達価格でオネガイ♡」と言い寄ってくるヤカラとは、縁を切ろう。

そんなもん、友達でも何でもない。本当の友達なら、友達の商売繁盛を願うはず。

写真やコピー、デザインなど目に見えないスキルを生業としている人たちからそのような話を耳にする。

「お友達価格でオネガイ♡」という言い分を飲食店に当てはめると、そーゆーヤカラがいかに無茶を言っているのかがわかると思う。

「お友達だから飲み代はご馳走して♡」とは、いくら何でも言わないだろう。でも、技術を売る仕事をしている人には言う。

仕入れが要らないから?バカは休み休み言え。現在のスキルを身につけるために学校へ行ったり、本を買ったりする。カメラマンの場合、カメラやレンズ、照明機材、パソコンなども買う。

何百万、ヘタをしたら金額的に何千万も、時間的にも何年間、何十年間も自分自身に投資しているのだ。たぶん、それをまったく分かっちゃいない。

逆に言えば、1コイン撮影をしている「なんちゃってカメラマン」や1文字1円で仕事を請ける「自称ライター」は、オノレのスキルのなさを宣言しているにほかならない。

料理に例えるなら、料理が趣味の素人が仲間内に材料代だけもらって自宅でパーティーを開いているようなものだろう。そんなもん、あきらかに商売ではない。

このように、お金のやりとりを料理や飲食店に当てはめると、本当にわかりやすい。

だいぶ以前の話になるが、あるレストランを運営する会社の広報担当から撮影のオファーをいただいたときの話。撮影内容はアラカルトのみ数カットで予算は2万円。しかも、場所は自宅から車で高速を使って約1時間。

フツーなら断るところだが、別の店に取材でお世話になったここと、私のブログも読んでいたことから、引き受けることにした。

ところが、現場に着くと、広報担当から聞かされていないコース料理やランチの集合写真やイメージ写真を店の料理長から要求された。予定していた時間を大幅にオーバーして撮影をこなした。

当然、それは別途請求になると思い、広報担当に連絡をすると、

「2万円以上は払えない」の一点張り。それに対して私は、

「わかりました。あなたのお店では、客がビールやワインをガンガンに追加注文しても、予算内でやってくれるんですね?」と言ってやった。広報担当は何も反論できなかった。

でも、私はその会社から1円ももらわなかった。あれだけの撮影を2万円でやったという実績を残したくはなかったのだ。それだったら、いっそのこと「お友達価格」でタダの方がマシだと思ったのだ。「友達」になった直後に絶交したけど(笑)。フン!おととい来やがれ!ってんだ!

「お友達価格」を持ち出してもよいのは、仕事を依頼する側ではなく、請ける側ではないかと私は思う。