あまり信じてもらえないかもしれないが、
30代の頃、自分の性格について悩んでいた時期があった。
なんて自分は自己中心的なんだろうと。
なぜ自分は人を赦してやることができないんだろうと。
人からそこを突かれると、
烈火の如く怒り狂い、
その人を「敵」と見なした。
まさに、負のスパイラル。
ますます、自己嫌悪に陥った。
そして、自分に足りないのは、
愛と赦しであると悟った。
今も足りているとは思っていない。
自分がこの世に生を受けて、
死ぬまでに学んでいくべきこと。
いわば、オノレの人生における一大テーマだと思っている。
ただ、年を重ねてきて、わかってきたこともある。
一つは、人の数だけ受け止め方があるということ。
例えば、昨日のブログで関西大学での講義について書いたが、
私の話を学生たちはどう受け止めたのか。
それぞれだと思うんですよ。
前は、違った。
「伝える」ことを生業としている以上、
こちらの意図をきちんと伝えたいと思っていた。
そんなことは不可能なのに、真剣にそう思っていた。
人は自分の都合の良いように解釈するし、
ときには改ざんもする。
故意にではなく、無意識に。
それを私はわかっていなかったのだ。
今はむしろ、いろんな受け止め方がある方が
良いとさえ思っている。
そんなことから、前よりも人を赦せるようになった。
ただ単に年をとっただけかもしれないが。
それと、もう一つ。
人を赦すだけでなく、
自分自身を赦すことも大切だということ。
自分を甘やかすのではない。赦すのだ。
このニュアンスの違い、わかってほしい。
自分が自身のことをどんなにキライでも、
つき合っていかなくてはならないのだ。
だから、赦してやる。
リセットすることはできないが、
新たな一歩を踏み出せると思うんだ。