永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

雑文。

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年の瀬になると、いろんな思いが胸中に去来する。今年もまだ残り3日あるので、振り返るのは早いかもしれないけど、どうしても振り返ってしまう。そして、来年こそは大きく飛躍しようとか思ってしまう。令和元年の大晦日と令和2年の元旦と比べても、ほぼ変わらない永谷正樹なのに。でも、何事も区切りを付けるというのは大切なことだと思う。そもそも目に見えるものに永遠なものはない。って、少し、いや、だいぶ酔ってるな、オレ。今日は、あっ、昨夜は焼酎を飲んだので、まとまりのない文章を書いているのは重々承知している。本来であれば、事前にブログを書いてから出かけるところを今日はそれをサボったオレが悪いのだ。とはいえ、ありのままのオレを知って欲しいという気持ちもあったりする。改行するのも面倒くさいから、読みにくかろうがこのまま頭に浮かんだことをダラダラと書く。1年に1回くらいそんなことがあってもいいじゃないか。ガマンしてくれ。人間は複雑にできているのだ。おっとっと、話を戻そう。今年を振り返って、少しだけ、ほんの少ーしだけ感じていることがある。それは歳を重ねるのもわるくはないなって。前は50歳になるのが本当にイヤだった。当の本人は自分の年齢をまったく自覚していないのに、むしろ若手と思っているのに、周りの人はそう思ってくれないことが自分の中で受け容れられなかった。でも、50歳になったからこそ、わかったことや感じたこと、経験したこと、善いことも悪いこともすべてひっくるめて本当に尊いことなんだな。このブログで、「今と同じくらいのペースとクオリティを保って仕事ができるのは、あと10年」って書いてきたけど、それは違うと思いはじめてきた。っていうか、そんなことは自分で決めなくてもいいんじゃないかなって。私としては、60歳になっても、70歳になっても写真を撮ったり、文章を書いたりしていたい。別にそれが仕事として成立しなくてもいい。オレがオレであるために、写真と文章は必要なのだ。それに、50歳の自分にしか、51歳の自分にしか、60歳、70歳の自分にしか撮れない写真や書けない文章だってあるだろう。そう思うと、ワクワクしてくる。なんか、内容にまとまりがまったくないな。さすがに眠たくなってきた。今日はこれまで。