永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

効率は正義なのか。

私が生業としている写真や文章は、クリエイティブな仕事だと思うかもしれないが、私自身はそう思っていない。広告写真やコピーはそうかもしれないが。

なぜなら、写真にしろ、文章にしろ、私が第一としているのは、美しさとかセンスの良さよりも「伝える」ということだからだ。

取材時に現場で感じたことをどうやったら伝えることができるのか。そんなことばかりを考えているのである。

原稿を書く前に頭の中で大まかに構成を考える。しかし、その通りにいかない場合もある。むしろその方が多いかもしれない。

ときには書いている途中で原稿の前半部分と後半部分を入れ替えたりもする。その方が伝わると判断したら、いくら時間がかかろうとも躊躇なくやる。

昨日のブログにも書いたが、モノをつくるというのは、面倒くさいことの繰り返しなのである。ライターの仕事は本当に面倒くさいことばかり。

リサーチをして、それをまとめてプランを考える。それだけでも面倒くさいのに、ボツになることもある。そうなると完全に赤字である。

企画が通って、アポを取るのも面倒くさい。断られることもあるし、日程の調整もしなければならないし。取材先から「企画書を見せてください」と言われることもあって、そうなると作らなきゃいけないし。

本当に面倒くさいったらありゃしない。ギャラはその手数料だとも思っている。

同じライターでもwebライターの方からすれば、取材ライターというのは効率が悪いと思うだろう。その通りなんだけどね。しかも、webライターの皆様のように稼げないし。月収50万、100万なんて夢また夢だ。

しかし、である。効率を求めるあまり、「伝える」、「伝わる」ことが疎かになってはいないだろうか。現場に足を運ぶこともせず、原稿を書く際の資料はプレスリリースとなれば、情報は伝えることできるかもしれないが、それ以上のものは伝わらないだろう。

プレスリリースや公式HPには載っていないことを取材で見聞きするのだ。現場の雰囲気や現場にいる人たちの思いはやはり、取材に行かなければわからない。

AIが文章を書く時代がすぐそこまで来ている。そうなると、webライターは不要となる。これも効率を追求した結果だろう。つまり、自分で自分の首を絞めることになったのだ。

私が書くのは、血の通っている、息遣いが聞こえてくるような、私にしか書くことのできない文章らしい。AIよ、書けるものなら書いてみな。オレは負けないぜ♡