永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

名物社長。

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昨日、福田ちづるさんと話していて、「名物社長がいなくなった」という話題になった。

かつて、名古屋エリアには面白い社長が沢山いて、名古屋ローカルの番組に引っ張りだこだった。ネタに困ったら、アノ社長、みたいな。

私も数え切れないほど取材した。とくにお世話になったのは、三重県伊勢市の『丸二ホテル 伊勢の郷』の西口社長と、名古屋・池下の『よし川』グループの吉川幸枝社長。そして、名古屋・清水口の『ウェディング美宝堂』の野々垣敬専務。

西口社長は、10年以上前に亡くなり、お葬式にも参列させていただいた。ジョッキに入った生ビールに伊勢海老をブッ刺した「伊勢エビール」や、パフェにエビやカニ、帆立などをトッピングした「海鮮パフェ」などバカなメニューを西口社長や側近の亀田さんと大笑いしながら取材した。

取材先だった『丸二ホテル 伊勢の郷』は、西口社長の死後、倒産して廃墟になっているらしい。会社の経営は、西口社長のバイタリティで成り立っていたのだろう。

吉川社長は、伝説の素人参加番組『マネーの虎』に出演していた。全身にきらびやかな宝石を身に纏い、“歩く100億円”と呼ばれていた。取材は吉川社長が経営する日本料理店やイタリアンレストランだけではなく、愛用している財布やトイレへのこだわりなど(どんな取材だ・笑)社長自身のプライベートについても話を聞いた。

また、専門学校や大学の講師をしていたときには、インタビュー取材の授業にもご協力いただいた。しかも、ノーギャラで。取材終了後、

「大人になったら、また訪ねてきなさい。ご飯くらいご馳走してあげるから」と、学生たちにやさしい眼差しで語ったのが忘れられない。

『よし川』のHPを見ると、「2020年1月15日より、よし川ビレッジは再開発に入ります。」と、あった。どうやらリニューアルするようだ。耐震の問題もあったのだと思う。ちなみに吉川社長は1935年生まれの御年86歳。年は重ねたがパワーは健在だと思う。100歳を過ぎても陣頭指揮を執るに違いない。

最後は、野々垣専務。名古屋エリア在住の方であれば、野々垣専務の身に何が起こったのかはお分かりだろう。被害を受けた方もいるので、どうしても発言は慎重にならざるを得ないが、私は本当によくしていただいた。

始まりは、『美宝堂』が毎年売り出す福袋の取材だった。毎年取材へ行くうちに顔を覚えられて、いろいろなネタを提供してくれるようになった。

拙著『大名古屋大観光』では、ページを大きく割いて『美宝堂』をあらゆる角度から紹介した。ちなみにトップ画像は拙著に掲載された『美宝堂』のVIPルームである。野々垣専務は拙著の出版をとても喜び、100冊ほど買ってくださった。

私が写真展を開催したときには、奥様と一緒に足を運んでくださった。お祝いの花までいただいた。そこには「名古屋の奇才 永谷正樹様へ」と書かれていた。

今、野々垣専務はどこで何をしてらっしゃるのだろうか。またお目にかかって話をしてみたい。名物社長がいたということは、平成という時代がそれだけのんびりとした世の中だったのかもしれない。

かつて出版業界にも名物編集長や名物編集者、名物記者がいた。私は名古屋の名物ライターにはなりたくない。こんなちっぽけな街の名物になって何が嬉しいのか。