永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

「プロ」の仕事。

私は写真を撮り、文章を書くことを生業としている。別の言い方をすれば、写真の「プロ」であり、文章の「プロ」である。

「プロ」の定義は、いろんな人がいろんなことを言っているが、それで食っている、つまり生業として成立しているということだと思う。

異論があるだろうが、重要なのはそこではない。生業として成立させるには、クライアントがお金を払うだけの技術を身につけているかが大前提となる。

カメラマンの場合、カメラを使いこなして写真を撮る技術だけではない。そんなもの、私よりも上手いアマチュアは山ほどいる。

では、プロとアマチュアの技術の差はどこにあるのだろうか。

商品や人物の魅力をより引き出すための環境、つまり、照明の技術も必要となる。むしろ、それがアマチュアとの違いなのだ。

照明をセッティングするには時間がかかる。メインの照明がどの角度からどのように入ってくるかがわかっていなければならないし、料理を撮影する場合、器に照明が映り込んで反射することもある。

光の質がかたかったり、やわらかかったりすることもある。そのたびに微調整をしながらライティングを決めていく。やはり、時間がかかる。

その時間は無駄かというと決してそうではない。微調整をするごとにベストへ近づいていくのだから。

ライティングの設営や微調整を料理に例えると、「プロ」ならではの秘伝のレシピである。それを抜きに「プロ」が料理を作ったとしても、それのどこに価値があるのだろうか。

それと同様に、「プロ」のカメラマンとしては、アマチュアでも撮ることができる写真は撮りたくない。ラーメン屋の店主にインスタントラーメンを作れと言っているようなものだ。実際、最近のミラーレスカメラは誰でもキレイな写真を摂ることができるし。

しかし、世の中には「プロ」に対してクオリティよりも量を求める人もいる。せっかくお金を払うのだから、1枚でも多く撮ってもらう、という考え方のようだ。

その気持ちもわからないことはない。が、量を求めるのであれば、知り合いにカメラ好きがいれば頼めばよいし、どうしても「プロ」にこだわりたいのであれば、インスタによくいる自称「プロ」にオファーを出せばよい。

質より量という仕事は、発注する側もされる側も、ユーザーも誰一人として得をしない。そんな仕事はやってられない。