永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

美しく枯れる。

昨日、今日の浜松での取材に同行した記者のOさん。昨夜、浜松餃子の店で一緒に夕食を摂り、あれこれ話をした。

Oさんは53歳で私と同世代。今年大学を卒業した息子さんが初任給で花瓶とお花をプレゼントしてくれたことをとても嬉しそうに話してくれた。

私の息子たちはすでにわが家を巣立っていることは読者の皆様もご存知だと思うが、きっと、Oさんもこれから体験するだろう。

さらにその先にあるのは、息子たちが結婚して子ども、私にとっては孫が生まれて……というストーリーが想像できる。確率的にそれは50代のうちに経験すると思う。

このまま老いていくだけだと思っていたけど、50代はいろいろあることを実感した。実際、30代や40代の頃は息子たちが巣立っていくことなんて想像すらしなかったもんな。

今日、浜松から帰宅してPCを見たら、Yahoo!ニュースで玉袋筋太郎さんのインタビュー記事が目に飛び込んできた。

www.jprime.jp

50代になって、ある日突然奥さんが出ていったり、認知症の母親を施設に預けたり、事務所から独立したことで相方の水道橋博士と疎遠になったりといろんな経験をしてきたことを赤裸々に語っていた。「せがれ夫妻に子どもが生まれて、おじいちゃんにもなった。50代っていろいろなことが起こる。でも、トラックの荷台と一緒でさ、積み込みすぎるとよくないんだよね。過積載のまま運転したら事故が起きるでしょ。だから、起こった出来事を一つひとつ整理して、背負いすぎないようにしていくことも大事だと思うんだよね」

50代になってマルチタスクが難しく感じるようになった。玉袋筋太郎さん、いや、玉さんと呼ばせていただこう。玉さんのおっしゃる通り、50代は過積載するのではなく、一つ一つときちんと向き合っていくのがよいのだ。

記事の中でいちばん共感できたのはこの言葉。

「若いころのように、ギラギラし続けるなんてできないもん。身の丈を知るっていうか、老木には老木の美しさがある。加齢臭を蘭奢待のように味わいあるものにしたいよね。俺は年をとっていくことが悪いことだと思わないんですよ。最新のEVカーにはなれないけどさ、だったらこっちはクラシックカーになってやろうじゃないかって」

50代となった私自身は、これまでどう生きてきたのかの結果。もちろん、未来はどんな風にでも変えていくことはできるが、玉さんのおっしゃるようにギラギラし続けることは難しいし、若い連中に負けないと思うこと自体がイタい奴に思えて仕方がない。

それならば、老木のように美しく枯れてやろうではないか。そう考えると、年をとるのも決して悪いことではない。

玉さんの著書『美しく枯れる。』を買って読んでみようと思う。