永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

生きざまと創造力。

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このブログの管理画面には、時間帯ごとのアクセス数が棒グラフで表示される。今日は朝の7時に61回のアクセスがあった。

時々、こういう現象が見られるが、この時間帯に61名もの方がこんな閑古鳥ブログを見に来てくださっているとは思えない。

きっと、1人の方が過去の記事まで遡って読んでくださっているのだろう。まぁ、それはそれでマニアックだとは思うが(笑)。

さて、今日は幸田町商工会にて、消防士がレシピを考案した「消防カレー」の撮影。盛り付けなどのスタイリングは、メニューを監修した料理研究家の長田絢さんが担当。

今回の撮影は会議室で行うと聞いていたので、トップライト(天井からの照明)を入れることができた。

店舗で撮影する場合、テーブルの間隔が狭かったり、十分な撮影スペースがなかったりするため、なかなかこのライティングはできないのである。

トップライトの有無でどのように写真が変わるのか。料理の表面にわずかな光沢ができるくらいで、おそらく、一般の方では気が付かないほどの小さな変化にすぎない。

しかし、撮る側にとっては、自己満足と言われようが、それがこだわりなのである。

前にも書いたと思うが、日々の現場の中で、いかに前回よりもよいものを作ることができるのかが大切なのである。

それはきっと、料理人も同じだと思う。昨日よりも今日、今日よりも明日と思って美味しいものを作っているのだ。

チェーン店ならともかく、毎日毎日同じレシピで作っていたら、仕事がツマラナイと思うし、日々の仕事の中にいかにクリエイティブな発想を持って取り組めるのかが人気を左右するのである。

取材の中でそういった話を聞くのが、何よりも楽しい。

その料理人の生きざまと創造力は、リンクしている。その事実に気がついている者は少ない。

やはり、主役は料理ではなく、人なのだ。

私はこれからも料理ではなく、料理人を取材する。

ちゃんと生きる。

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京都へ行ってきた。

 

今回の旅の目的は、

亡き父と母、子供の供養。

 

いわば、慰霊の旅。

 

手を合わせて、

心の中で親父、お袋、子供とたくさん話をした。

 

その中で、ふと、心に浮かんだのは、

「ちゃんと生きる」ということ。

 

これを3人からのメッセージと受け止めて、

これから、ちゃんと生きる。

 

親父、お袋、そして、わが子よ、

また来年、会いに行くね。

 

以下、時系列ごとに写真を載せておく。

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明日は、京都へ。

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今日は、名駅の某所でX'masケーキなどの撮影。もう、そんな季節なのだ。10月だというのにTシャツ1枚で過ごせる日が続いているが、これから寒くなるんだろうなぁ。

例年、というか、コロナ前までは、この季節はX'masケーキと合わせて某新年会のコース料理の撮影も多かった。しかし、コロナの感染拡大で需要はまったくなくなってしまった。居酒屋から賑やかな声が聞こえてくる日は来るのだろうか。

さて、明日10/5は、プライベートで京都。亡くなった両親と私たち夫婦の間に生まれるはずだった子供の供養に行く。早いもので、両親が亡くなって9年、子供を流産して18年が経つ。本当にあっという間だ。

今、こうして幸せな日々を送ることができるのは、両親や子供がいつも見守ってくれているからだと思っている。10/5という日は、あらためて感謝の祈りを捧げる日と決めていて、毎年欠かさず京都へ足を運んでいる。

同時に、自分自身を見つめ直す時間にもなる。両親や子供に思いを巡らせながら、いろんなことを考えていると、必ず良きアイデアが生まれるのである。きっとそれは、見守ってくれている両親や子供が与えてくれているものなのだろう。本当にありがたい。

せっかく京都へ行くので、美味しいものも食べたい。帰りには温泉も寄りたい。ってことで、明日は心身ともにリフレッシュしてきます。

ご飯は、定食の命。

今日は、三重県四日市市へ。出張での楽しみは、やはり、メシ。朝イチから撮影して、終わったのは正午近く。あらかじめ食べログでリサーチしておいた店へと向かった。

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それは、四日市市南部、鈴鹿市との境にある『パンダ食堂』。もうね、評価云々ではなく、店名に惚れた(笑)。だってさ、パンダだよ。パンダ。昭和の香りがして、何となく美味しいものを出しそうじゃん。店に入ったのは、13時をまわった頃。にもかかわらず、店内はほぼ満席。どうやら人気店のようだ。

メニューは、和洋の定食をはじめ、カレーやラーメン、うどんなど、かなりの種類。選ぶのに迷ってしまった。中華そばと焼めしの、いわゆるチャーラーも考えたが、名古屋人ゆえに「エビフライ定食」に決定。

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小ぶりなのが4、5本と思っていたら、実際、目の前に運ばれたのが、これ。写真から伝わりにくいかもしれないが、巨大なのが2本、ドーンと鎮座している。エビフライは大きいほどヨシとする名古屋人としてはたまらーんっ(笑)!!

ボリューム満点のサラダといい、付け合せのポテトサラダやナポリタンといい、完璧。エビフライは、衣がサクサクで身はプリップリの食感。やや火が入りすぎかもしれないが、そんなの大した問題ではない。

いちばん驚いたのは、ご飯の美味しさ。ご飯だけ茶碗一杯食いたいくらいのクオリティ。ぶっちゃけ、おかずが多少イマイチだったとしても、このご飯なら十分にカバーできる。定食はご飯も重要なのだ。

ご飯、うめぇ!!と心の中で叫びながら掻き込んでいたら、誰かが注文した焼めしを店員さんが運んでいた。これがまたムチャクチャ旨そうだったのよ。白米でこのレベルなので、焼めしにしたらどれだけ旨いんだ。次回は絶対に注文する。っていうか、この店を目的にまた四日市へ行きたい。

書けないとき。

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皆様は、仕事に今ひとつ集中できないときはどうするだろうか?

方法論はいろいろある。思いつくままに書き出してみる。

1.何とか集中できるように雑念を消す努力をする。

2.集中力のないまま、ダラダラと仕事をする。

3.今、取り組んでいるものとは別の仕事をする。

これくらいではなかろうか。

1.は、雑念を消そうと思っている時点で頭の中は雑念だらけなわけで(笑)、そんなことはできるわけがない。

2.は、文章を書いたり、写真を撮ったりする仕事の場合、いちばんやってはいけない。集中力の欠如がそのまま文章や写真のクオリティに繋がってしまうからだ。

では、3.はどうか。文章が書けないときに撮影の仕事ができれば気分転換になると思う。が、そんな都合よくはいかない。そもそも、原稿を書くと決めた日に撮影の仕事は入れないし。

と、なると、今、書き進めている原稿とは別の原稿を書けばよいということになる。いやいや、だから書けないんだってば(笑)。

仕事に今ひとつ集中できないとき、私は一切の作業をやめる。ネットを見たり、動画を見たり、カメラをいじったり。

その日は再びPCに向かわないこともある。もちろん、それは〆切までにゆとりがあるからこそできる。たぶん、心のどこかに「まだ、何とかなる」という思いがあるのだろう。

今日は、まさにそんな日。500文字以上使って言い訳を並べてみました(笑)。

ライティング。

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今日は、名古屋駅の駅ビル内にある鳥料理店でセットメニューやコース料理の集合写真撮影。

単品のメニューを撮影する場合、セッティングした照明のベストポジションに置くだけ。流れ作業的に撮影することができるが、セットやコースになるとそうはいかない。

料理が美味しそうに見えるアングルや構図を作り、かつ、縦横比3:2の四角形の中にバランスよく収めねばならない。もちろん、ライティングも変わる。

料理の並べ方やライティングなどはすべて自己流。並べ方は基本的に小さい器が手前。奥へ行くにしたがって大きくて背の高い器を並べていく。それは数をこなしていけば何とかなる。

何ともならないのは、ライティング。私はアシスタント経験がないので、ライティングのラの字も知らなかった。フリーになったばかりの頃は、料理に限らず、人物も見様見真似で照明機材を組んで撮影してきた。

ネットで見た照明の組み方を参考にして、現場ごとに少しずつライティングを変えながら撮影して、今に至っている。今がベストというわけではない。ベターと言ったところか。なぜなら、ライティングには正解がないからだ。

先日、写専同期の丸山を助っ人に会員制リゾートホテルの料理写真を撮影した。トップの写真がそれである。ライティングについては、私は大まかに指示を出すだけ。ほとんど丸山が照明を組んだ。さすがに何年もアシスタントとして働いていただけに、むちゃくちゃ詳しい。

今日の撮影では、現場が広かったこともあって、丸山が設営したライティングを参考にした。結果、とてもキレイに撮ることができた。やはり、他のカメラマンと組んで仕事をすると刺激が与えられる。11月もまた撮影が入りそうなので、また多くのことを学ばせてもらおう。

ブームと文化。

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今日は、名古屋駅構内のカフェでモーニングなどの撮影。

モーニングサービスという愛知県独自の喫茶文化が生まれたのは、昭和30年代前半の一宮市。その背景には、地場産業である繊維業の隆盛があった。

当時は景気が良く、繊維業を営む、いわゆる“はたやさん”たちは、商談や打ち合わせのために喫茶店を頻繁に利用していて、朝から来てくれる客にサービスとして、コーヒーにゆで卵とピーナツを付けたのがはじまりである。

文化というものは、その土地で暮らしている人達によって自然発生的に生まれるものである。モーニングの場合も、最初にゆで卵とピーナツを付けた店を他の店を模倣したと思うが、それ以前に、一宮のはたやさんたちは、喫茶店へ行くことが生活の中に入り込んでいたわけである。つまり、モーニングのニーズがあったのだ。

一方、「名古屋めし」と呼ばれる料理の大半は、天才的なセンスのある一人の料理人によって作られたものである。つまり、創作。それを他の店が模倣することで広がっていったのだ。

それはそれで面白いとは思うが、すごいのは、やはり最初に考えて、作り上げた人ということになる。もちろん、中には、オリジナルをじっくりと研究して、それ以上のものを作る人もいるだろうが、極めて稀だと思う。真似した方が手っ取り早いし。

とはいえ、ここまでネットが普及した情報過多の時代には、一時的なブームは起こっても、新しい文化は生まれないかもしれない。「名古屋めし」も20年近く前にブームがあった。全国的なブームはとっくに終わっているが、名古屋圏だけ今でも続いている。

ブームはいくら盛り上がっても、消費されたら消える運命にある。それを追いかけるライターやカメラマンも一蓮托生だ。願わくば、文化を守り、伝え、遺す役割をライター、カメラマンとして担ってみたい。それが私に課せられた使命ではないかと思っている。

モーニングを撮影しながら、ふと、そんなことを考えていた。