永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

ゲスト講師。

今日は、ゲスト講師として大阪府高槻市にある関西大学高槻キャンパスで総合情報学部の学生に向けて講義をさせていただいた。

講義は13時から。学校には11時に到着し、招いてくださった編集者で関西大学特任教授の亀松太郎さんと教室の下見と打ち合わせ。

その後、学食にて昼食。私が選んだのは、十勝豚丼とうどんのセット。

ここのところ、覆面取材で毎日同じものばかり食べていたから、やたらと美味しく感じる(笑)。

私に与えられたのは2コマ。1コマ目は、「スマホカメラの撮影・加工」。感染予防対策で学生たちの机にはPCとモニターが置かれ、それを見ながら授業を進める。

カメラの構え方から始まり、構図の作り方やアプリを使って加工の仕方などを1時間半みっちりとレクチャーした。

10分間の休憩を挟んで2コマ目。テーマは、「フリーランスの仕事論」。私は私の人生をいたってフツーの、ごくありふれたものだと思っていたが、亀松さんが言うには違うらしい。

私がどんないきさつでフリーランスとなり、どんなことを考えているのかを話した。

あ、2コマ目の講義は、対面ではなくオンライン。70名の学生たちがPCの画面を通じて受講してくれた。

最後の質疑応答は、いろんな質問が飛び出した。ドキッとしたのは、

「いちばん辛かったのはいつですか?」という質問。

30代の頃、レギュラー仕事のほぼすべてを失ったときも辛かったが、やはり50歳になる直前がいちばん辛かった。

あれほど「お前は何者か」、「お前は何がやりたいのか?」と自問自答していたにもかかわらず、すっかり現状に満足している自分を見つけてしまったのだ。

満足したら堕ちていくしかない。私はそういうタイプなのだ。才能がない分、人よりも体を動かして、汗を流してナンボなのである。

金儲け云々は関係なく、もう一度、カメラマンとして、ライターとして生き直そうと決意したのが50歳になる直前だった。

20代の、しかも20代前半の学生ならば、何度でも生き直すことができる。何度でもチャレンジすることができる。私のようなおっさんでも生き直そうとしているのだから、若い彼らができないわけがない。

どうか、自分の力を限定せず、やってみたいことに挑戦してほしい。

講義が終わり、亀松さんと向かったのは、京都市北区紫野の大徳寺からほど近い『中華のサカイ本店』。ここは20年以上前に『週刊アサヒ芸能』の取材で訪れたことがあり、いつかまた行きたいと思っていたのだ。

ここの名物は「冷めん」。タレの中に辛子が入っているオトナの味。これ!これが食べたかったのだ。『週刊アサヒ芸能』の「冷やし中華特集」で取材したのである。

冷めんだけでは物足りないと思い、炒飯も注文。冷めんとの相性も最高だった。

亀松さん、このたびはありがとうございました。また私でお役に立てるのであれば、いつでもオファーをください♪