永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

学生たちに何を伝えるか。

今日は名古屋駅の近くにある会社の会議室でスイーツの撮影。その前に、名古屋駅構内にある『名古屋驛麺通り』に復活オープンしたばかりの『和歌山らーめん きのかわ軒』でラーメンで腹ごしらえ。

正直、和歌山ラーメンの豚骨臭が苦手だったが、ここはまったく感じなかった。ヘンな話、和歌山で食べたときよりも美味しかった。

30年以上前になるだろうか。当時のご当地ラーメンブームは、和歌山ラーメンが牽引していた。今では多くの店が採用している豚骨醤油のスープが当時は珍しく、全国を席巻したのだ。

今は同じ豚骨醤油でも多種多様にアレンジされていて、逆に和歌山ラーメンのようなど真ん中の豚骨醤油が逆に新しく思えてしまう。やはり、ブームは巡るのだ。

さて、今日の撮影はものの1時間で終わったが、ずっと原稿書きが続いていたので、気分転換にはぴったりだった。撮影した枚数も少なかったので、帰宅後チャチャッと現像してクライアントに送信。これで一仕事完了。

明日は、関西大学総合情報学部の講義。内容はいつもと同じスマホカメラ撮影のワークショップと、「フリーランスの仕事論」をテーマにした講演の2本立て。

撮影のワークショップは何ら問題はないが、少し迷っているのが講演。フリーランスを取り巻く環境もここ数年で大きく変わっているし、私自身もフリーランスになることに諸手を挙げて賛成できるかと問われると言葉に詰まってしまう。

何しろ、今は1文字0.2円のライターや1コイン(500円)のカメラマンがいるほどフリーランスの裾野がめちゃくちゃ広がっているのだ。おいそれとフリーランスを奨励することはできない。

ただ、私を含めてフリーランスでしか生きていけない者もいると思う。少数派だと思うけどね。フリーランスとは金を稼ぐためのスタイルという一面もあるけど、生き方であることを強調したい。

それともう一つ伝えたいことがある。先日、ある経営者を取材したとき、自分の仕事の社会的意義という話になった。これはサラリーマンだろうが、フリーランスだろうが考えねばならないことである。

その仕事に社会的意義がなければ、必ず息詰まる。なぜなら、社会的意義がないということは、極論を言えばこの世に必要とされていないことを意味するからだ。

私は自身のキャッチフレーズの通り、「撮ル、書ク、喋ル。デ、世界ヲ明ルク。」が社会的意義だと思っている。もう少し的を絞ると、食文化や食にかかわる人たちの思いの発信。これで“世界ヲ明ルク”したいと大マジメに考えている。