映画『福田村事件』は、見た直後よりも後からジワジワといろんな感情が押し寄せてくる作品である。こんな気持ちになったのは、学生のときに見た『ゆきゆきて、神軍』以来だ。
この映画は、日本人の悪い部分がこれでもかとばかりに描かれていて、私の友人は「ムカついて寝られなかった」と話した。
彼が腹を立てていたのは、映画で描かれた日本人の姿ではなく、日本人のメンタリティが昔も今も変わらないことに対してだった。
今もなおネット上では中国や韓国に汚い言葉を吐く者もいる。彼らは日本のことを世界屈指の経済大国だと思っているのだろうか。今や所得も技術も中国や韓国に追い抜かれているというのに。
私はというと、もしも、あの時代のあの場所に居合わせたら、はたして私はどういう行動をとっただろうか。そんなことを考えていた。
「朝鮮人だ」と決めつけられた行商人たちを私は殺す勇気がないと思っているが、それはあくまでも平時でのこと。相手が自分のことを殺すかもしれないという恐怖に駆られたら、どうなってしまうのか自分でもよくわからない。
一方、「身元がわかるまで待て」と、村長は今にも行商人たちに襲いかかろうとしている村人を止めた。しかし、結果的に止めることができなかった。刑事罰は受けないにしろ、同罪ではないのか。
少し前の私は、こんな日本を、日本人を貶めるような作品は見るべきではないと思っていた。しかし、今は違う。日本人の悪い部分と向き合うことは、同じ過ちを繰り返さないことにつながると思うのだ。
SNSのプロフィールにオノレのことを恥ずかしげもなく「愛国者」と書いている人にこそ、『福田村事件』を見てほしい。
※写真は、今日の昼にお気に入りの喫茶店へ行ったときに撮影した1枚。青空とカングーの黄色がとても「映え」ていた。