永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

名大生の知恵から生まれた「小倉トースト」

名古屋人は大のあんこ好き。バタートーストにたっぷりとあんこをのせた「小倉トースト」を朝から食べる。また、小倉あんとマーガリンをサンドした菓子パン「小倉&マーガリン」は、スーパーやコンビニの人気ランキングに常時入っているほどだ。

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↑「小倉&マーガリン」

なぜ、そんなにもあんこが好きなのかと県外の人からよく尋ねられる。その理由は東海地方の茶の湯文化が大きく関わっているらしい。東海地方では江戸時代末期頃から茶の湯が大流行し、抹茶を楽しむ習慣が市井の人々にまで広がったという。

尾張西部地方では、農家の人たちも作業の合間に野点で楽しんでいたそうで、携帯用の茶道具も多く見つかっている。その名残として、今でも和菓子を扱う店の数は全国でもトップクラスなのだ。

何でも、物資が不足していた終戦後でも、なぜか名古屋には砂糖が豊富にあり、あんこを使った和菓子も作られていたらしい。余談だが、米粉と砂糖を原材料とした「ういろう」も終戦後ほどなくして生まれたという。あくまでも仮説の域を出ないが、甘いものが身近にあったからこそ、独自のメニューが生まれたのだろう。

ちなみに「小倉トースト」が誕生したのは、1921(大正10)年頃。名古屋・栄の三越の隣にあった喫茶店『満(ま)つ葉』が発祥の店である。当時、バタートーストはハイカラな人気メニューだった。

今や流行を生み出し、流行に飛びつくのは女性だが、当時は男性だった。『満つ葉』には旧制八高(現・名古屋大学)の学生が大勢押しかけていたそうだ。ちょうど女性達が人気のパンケーキ店に行列をつくるように。店で働いていたオーナーの娘、西脇キミさんが評判の美人で、彼女目当てに通っていたという話も(笑)。

『満つ葉』のオーナー夫妻は大須で製餡業を営んでいたそうで、メニューには「ぜんざい」もあった。食べ盛りの学生たちはバタートーストとぜんざいを注文し、バタートーストをぜんざいに浸して食べていた。それを見た西脇キミさんがバタートーストにあんこを挟んでメニューに採り入れたというわけだ。

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矢場町の『満つ葉』跡地にあった喫茶『アリ』の「あんトースト」(2008年撮影)

『満つ葉』はその後、矢場町に移転。西脇キミさんは97歳で永眠し、店は'02年に閉店した。西脇キミさんから店を引き継いだ方が喫茶『アリ』を経営されていたが、今はブティックになっていて、その面影はない。

発祥の店が残っていないのは何とも寂しい限りだが、「小倉トースト」は名古屋の喫茶店で定番メニューになっている。最近では「小倉トースト」を模したサブレやラングドシャなどお土産物としても人気を集めている。