永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

取材の楽しさ。

20年ほど前の話。

名古屋市郊外のある店の記事を書き、内容を確認してもらうために店のご主人に記事を見せたところ、店の外観写真の下にあるキャプションを替えてほしいと言われた。

その店は名古屋駅前にも系列店があり、その情報を載せたいということだった。

私はその申し出を断った。系列店の情報を入れるのは、内容の流れから明らかに違和感があったからである。

ところが、ご主人は「載せろ」の一点張り。「アンタもわからん人だなぁ!」と、声を荒げる一面もあった。

「ご主人、これが広告であれば、私はご主人のおっしゃる通りにします。でも、この記事を書くにあたって金銭のやり取りは一切ないわけで、ご主人が主張されているのは編集権の侵害にあたります」と私が言うと、あれだけ饒舌だったご主人も黙り込んでしまった。

取材を広告と勘違いしている人はたまにいる。勘違いしていなくても、マウントを取りたがる人やキャスティングボードを握りたがる人、上から目線でくる人など、首を傾げたくなる人もいる。

本体は対等であるはずの関係を向こうから壊すようなことをされると、それまでアゲていたテンションが一気にサガる。間違いなく2回目の取材はない。こっちも人間なのだ。

取材の記事というのは、取材する側とされる側の関係性が反映されると思っている。初対面の上、わずか1時間半くらいの限られた時間の中でいかに多くのことを語ってもらうかが鍵となる。

記事や写真は、あらかじめひな形のようなものがあって、そこに落とし込むのではなく、とても人間臭い、アナログなやり取りの中で生まれる。プレスリリースを見て書く記事にはない温もりや熱量が伝わるのはそのためだ。