永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

幸せな時間。

家族写真の撮影が終わった。400枚以上は撮ったんじゃないかな。↑私だけポーズをとっているのは、スマホでシャッターを切っているため、それっぽく見えないように誤魔化しているのだ。

4人の集合写真も撮ったし、私と息子2人、女房と息子2人のスリーショットも撮った。女房をセンターに、その両サイドに長男と次男を立たせた。そのままフツーに撮っても面白くないので、息子たちへ女房の肩に手をのせるように指示を出した。

何枚かシャッターを切った後、ふと、ファインダーから視線を女房の方にやると、顔を紅潮させている。ファインダーから目を離して、直接確認すると、涙を流している。きっと、撮っている私と同じ気持ちだったと思う。

長男も次男も成長した。生まれて、私と女房の顔を見てニッコリと笑って、立って、歩いて、喋って、保育園に入って……。ついこの前のことのように思っていたが、すっかり大人になった。それを私も女房も実感していたのだ。

私と息子2人のスリーショットの撮影は、センターの私の右側に長男、左側に次男。2人の肩に手をのばして、抱き寄せるようにして撮った。そのとき、懐かしい感覚に陥った。それは、まだ幼かった息子たちをハグしたときと同じだったのである。

腕や手に伝わってくる何ともいえない温もりで心が満たされていく。あー、この感覚、懐かしい。2人ともすっかり大人になってしまったけど、何歳になろうが私にとっては子供なのだ。

私が良い父親だったかどうかはわからない。良い父親になろうと思ったこともない。っていうか、良い父親って何だよ。知らんがな。ただ、私は、私がどれだけロクデナシでも息子たちの父親であるという事実から逃れることができない。ずっと、そう思ってきた。

息子たちは私を父親にしてくれたのだ。自分の命よりも、女房の命よりも大切なものがあると教えてくれたのも息子たちだった。

息子たちを撮って、撮られて、この幸せな時間がずっと続けばよいのにと思った。今度家族揃って写真を撮るのはいつになるだろうか。