永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

思いつくままに。

ライターもカメラマンもフリーになって数年という人がSNSで「ライター(カメラマン)になるには」などのノウハウを公開しています。

スゴイと思います。私なんぞ28年もやっているのに、人様に教えられるようなことはなーんにもありません。自分が食っていくだけで精一杯なので。

しかも、皆、ポジティブで品行方正で優秀。専門学校すらろくに卒業もしていない私には、彼らがキラキラと輝いて見えます。とてもではないですが、社会不適合者である私は敵うわけがありません。

今も昔も、この国は、どこかへ就職することを教育のゴールに設定しているように思えます。考えてみると、教育に投資した分、税金という形で回収しなくちゃならないわけで、当たり前といえば当たり前です。

しかし、組織の歯車の一つとなって能力を発揮する者もいれば、それが苦手の者もいます。どこかしらの組織に所属することがゴールですから、それ以外の道へ進むというのは、どうしても陽のあたる場所ではない感じがします。

いや、それが嫌だと言っているわけではないんですよ。自ら選んだ道なんだし。フリーのライターやカメラマンなんてのはそういう存在なんです。

「違う!」とおっしゃる方は試しに銀行へお金を借りに行ってみてください。SNSのプロフィールに誇らしげに書いてある月収を提示しても、フリーランスというだけで難色を示します。

残念ながら、それだけ社会的な信用がないのです。われわれは。でも、今さら生き方は変えられません。あ、フリーランスというのは、仕事の業態という意味合いもありますが、私は生き方だと思っています。

そして、ライターは文章で、カメラマンは写真で何かを「伝える」のが仕事ですが、最近ではネットで拾った文章をコピペしたり、Chat  GPTで作成した文章をそのまま納品したりするライターもいるようです。

それは「伝える」ことよりも「効率」を優先したからでしょう。「伝える」のも人間なら、「伝えられる」のも人間なのです。ライターもカメラマンも仕事の道具は完全にデジタル化されていますが、仕事そのものはアナログの極みなのです。

人の心を動かす文章や写真のその前には、心が動かされている書き手や撮り手がいるのです。私はそれを味わいたいがためにフリーランスという生き方を選びました。

何だか取り留めのない話になりましたが、思いつくままに書いてみました。

※写真は先日、福井へ行ったときに高速のSAで見つけた「ぴよりんガチャ」。ノーマルぴよりんを狙うも出てきたのは抹茶ぴよりん。