永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

タイガー・ジェット・シンにカメラを壊された件。

twitterで #フォロワーの8割が経験したことないこと というハッシュタグを見つけた。

仕事柄、いろんなことを経験してきているが、真っ先に浮かんだのは、“インドの猛虎”である。

この時点でピン!と来た方は間違いなく昭和生まれ(笑)かよほどのマニア。

“インドの猛虎”とは、“燃える闘魂”アントニオ猪木と因縁の抗争を繰り広げた、タイガー・ジェット・シンである。

編集プロダクションに勤務していた1990年代、週刊誌のコンテンツは芸能と事件、政治、ギャンブル、風俗、そして、プロレスだった。

当時、プロレスは辛うじて深夜枠で放映されていて、多くのファンに支えられていた。

新日本と全日本の2大メジャー団体のほか、大仁田厚率いるFMWやスペル・デルフィン率いる大阪プロレス、ザ・グレート・サスケ率いるみちのくプロレスなど、数多くの団体がシノギを削っていた。

東海エリアで開催される試合はよく取材へ行った。当時はデジタルではなく、ISO1600のポジフィルムかISO400のポジフィルムを増感して使っていたと思う。
2台のカメラにそれぞれ50mmと28mmの単焦点レンズを付けて撮影していた。リングに両肘をついて、下からあおるような形でカメラを構えるのである。

その際、ストロボがメーカー純正だと、ストロボの発光部にロープがあたって、光が遮られてしまうので、本体を左右に90度倒して使うことができるサンパックというメーカーのストロボを使っていた。

余談だが、このストロボに外部電源を繋ぐと、チャージがムチャクチャ早くなり、連写にも十分対応できる。そのため、ニュースカメラマンも突撃取材の際によく使っていた。

戦争カメラマンの不肖・宮嶋さんは、このストロボを装着したカメラを持って被写体に向かって「オラ!オラ!」と言いながら撮影していたという。そんなことから、このストロボのことを「オラオラストロボ」と呼んでいる。

おっと、話が逸れた。私もオラオラストロボと50mm F1.4のレンズを付けたカメラをメインにプロレスの撮影に行ったのだった。

たしか、その団体はケンドー・ナガサキが代表を努めていたNOW(ネットワーク・オブ・レスリング)だった。当時はそこでタイガー・ジェット・シン(以下、シン)が抗争を繰り広げていたのでる。対戦カードは維新力VSシンだったと思う。

プロレスファンならご存知かと思うが、シンは登場してもすぐリングには上がらない。客席に乱入して客を恐怖のどん底に叩き落してからようやく試合開始となるのだ。

この日もシンは客席で大暴れ。チビッコたちはビビりまくって、すでに涙目。プロレス会場でよく見かけるヤンキーも顔がひきつっている。シンの暴れっぷりはどんどんエスカレート。パイプ椅子を掴み、なんと、私をめがけて投げてきたのである。

椅子がまるでフリスビーのように回転しながら飛んでくる。危ない!と思い、腰を右に90度回転させた。すると、左肩にぶら下げていたカメラにパイプ椅子が直撃した。50mm F1.4のいちばん手前のレンズ、つまり、前玉が粉々に砕け散ったのだった。

ショックが大きかったせいか、その後の記憶がほとんどない。たしか当時、シンは盟友の上田馬之助と仲間割れしていて、リング上でシンが維新力をボコボコにしているところに上田馬之助が乱入してメチャクチャ盛り上がっていたことは何となく覚えている。

レンズの前玉を粉々にしたシンは弁償するどころか謝罪の言葉もなかった。まぁ、私もそんなものは求めていないがし、それがヒールというものだろう。

しかし、試合終了後にNOWの関係者に呼び出された。シンの控室に連れて行かれて、

「シンが写真を撮らせてやると言っています」と言われた。

私はサーベルを噛んでいる、いかにもシンっぽい写真を撮ることができた。同じ編プロで働くプロレスマニアの先輩によると、シンはカメラを向けられると壊すというのがお約束らしく、カメラマンに写真を撮らせるのは極めて珍しいということだった。

ちなみに粉々になったレンズは、キヤノンのプロサービスへ持ち込んで修理した。当時は1割負担だったので、7000円くらいで済んだと思う。

タイガー・ジェット・シンにカメラを壊された。これはあまり経験できないことだろう。