永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

契約書。3(完結編)

地元のwebメディアの仕事をするにあたって、契約書が送られてきた。そこには「著作権はすべてwebメディアに帰属する」とあった。

前回のブログと重複するが、著作権は記事を書き、写真を撮った者、つまり、私にあり、メディアは独占的使用権があるというのが一般的な考え方である。

さらに取材時や記事の公開後に取材先との間にトラブルが生じた場合「双方で解決する」と書かれていたのだ。

つまり、これは取材先との間にトラブルが生じた場合、その記事の著作権者ではないライター個人が責任をとるということを意味する。こんな馬鹿な話があるだろうか。

私自身、取材先とのトラブルは少ない方だと思っている。それは扱うジャンルが「食」だからだ。取材先はメディアで紹介してもらいたいと思っているし、私は紹介したいと思っている。双方の思惑が一致しているのだ。

とはいえ、相手がいる仕事だし、私がいくら気をつけていても、その相手が常識を持った人とは限らないわけで、これから先もトラブルはないと言いきることはできない。

にもかかわらず、契約書にサインして実際に執筆しているライターもいる。彼らはしっかり契約書を読み、納得しているのだろうか。

週刊誌のスキャンダル記事が裁判沙汰になることがある。訴えられるのは、ライター個人ではなく、出版社(雑誌編集部)である。

なぜなら、ライターが書いた記事をチェックして、誌面に載せる判断をしたのは編集部であるからだ。言い換えると、誌面に掲載されたすべての記事の責任は編集部にあるということになる。だからこそ、記者たちは自由に取材ができるのだ。

一方、地元のwebメディアは、記事のチェックはするし、紙面に載せる判断もする。でも、責任は取らない。そうなると、トラブルを起こすまいと取材相手に対して萎縮してしまう。結果、無味無臭の、面白くも何ともないメディアになる。こんな馬鹿な話があるだろうか。

運営会社の姿勢から感じるのは、覚悟のなさだ。責任をとるには覚悟がいる。その覚悟もないのにwebメディアを運営するのは甘すぎるし、運営サイドが現場で動くライターやカメラマンをどのように見ているのかも契約書から伝わってくる。

ハッキリ言って、ナメられているのだ。それはもうベロンベロンに。何度でも言ってやる。こんな馬鹿な話があるだろうか。

運営会社と私の間に入っている制作会社の法務担当の方と、この契約内容について何度も話をした。私に譲歩する意志がないとわかると、「双方で解決する」から「制作会社と取材担当者が協力して解決する」とする提案もしてくださった。

制作会社にとっては最大の譲歩であることは間違いない。逆に私ごときのためにそこまでしてくださったことが申し訳なく思えてきた。

話し合いが続く中、業を煮やした運営会社から制作会社に「ナガヤへの依頼を中止せよ」との連絡が入り、地元のwebメディアでの仕事は幻となった。

きっと、運営会社も制作会社も私のことを「面倒くさいヤツ」と思っただろう。でも、こんな私にも絶対に譲れないものがあるのだ。