永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

「寂しい」という感情。

少し前にTver.でドキュメンタリー番組の『ザ・ノンフィクション』を見た。関東ローカルゆえに私が暮らす東海エリアでは放映していないため、Tver.でお気に入り登録をしているのだ。

私が見たのは、「今晩 泊めてください~ボクと知らない誰かのおうち~」。ナレーションに、あのちゃんが挑戦して話題になった回だ。

夜な夜な街角に立って「今夜泊めてください」と書かれたボードを掲げていて、毎日他人の家を泊まり歩いているシュラフ石井さんという32歳の男性が物語の主人公である。

彼は泊めてくれた人のことを「家主さん」と呼び、夕食をご馳走になったり、話し相手になったりしていて、そんな生活を4年間も続けているという。

私が気になったのは、シュラフ石井さんよりもむしろ、家に泊めてくれる「家主さん」の方だった。「家主さん」は独身男性だけではなく、自分の母親くらい年の離れた女性だったり、20代の若い女性だったりとさまざま。

ボードを掲げるシュラフ石井さんに声を掛けたのは好奇心からだろうが、私は彼ら、彼女らの心の奥底にある寂しさを感じた。

今、私は家族と一緒に暮らしているから寂しさを感じることはないが、例えば、仮に私が独身で、友人や知り合いもいない土地で仕事をしていたとしたら、1日中誰とも話さないことだってある。そうなると、やっぱり寂しい。シュラフ石井さんが私の住む街に立っていたら声を掛けてしまうかもしれない。

ひと昔前であれば、職場の同僚がそのままプライベートでも友人となることが多かっただろうが、関東で一人暮らしをしている次男に話を聞くと、そうではないらしい。

会社は売り上げを伸ばすために必死だし、同僚はいわば友人ではなくライバルという関係になる。そのため心を開くことなんてできないという。何とも生き辛い世の中になったものだ。

その寂しさを埋めるために、人はいろんなことをする。男性であれば、キャバクラへ行くのもそうかもしれないし、いい歳をしてアイドルを応援するのも、家庭を顧みずに仕事をするのも寂しいという感情を忘れたいがためなのかもしれない。

それらすべてが悪いといっているわけではない。それで寂しさが埋まるのであれば、どんどんやればよい。でも、はたして埋まるのだろうか。寂しいという感情を抱いている以上、一時的に埋まることはあっても、根本的には解決できないのではないか。

ならば、寂しさを感じない生き方をすればよいのだろうが、それは可能なのだろうか。私にはわからない。