永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

川柳まさ裕さん。

昨日だったかな。ちょっと用事があって、私の先輩でニュースカメラマンの川柳まさ裕さんに電話をした。電話に出るなり、

「おーっ!ご無沙汰してます」と、聞き慣れた元気の良い声が聞こえて安心した。

Facebookをやめてから、川柳さんの近況はまったくわからなかった。ここ1、2年で体調を崩して、入退院を繰り返していることを去年の年末に人づてに聞いていた。

今年1月に開いたカメラマンやライター仲間の新年会には能登半島地震の取材から直接駆けつけていたが、その直前まで入院していたらしい。

川柳さんと私は同じ編集プロダクションの出身。私が勤めていた頃にはすでにフリーになっていて、『FRIDAY』や『週刊現代』などの仕事を精力的にこなしていた。

当時の『おとなの週末』のデスクが『週刊現代』出身ということで、グルメ取材を始めたばかりの私を紹介してくれたのも川柳さんだった。ちなみにそのデスクが後に『おとなの週末』編集長となる金城良幸さんで、彼も私にとっては大恩人の一人である。

おっと、話が逸れた。能登半島地震から2ヶ月が経ち、被災地である輪島市や珠洲市の現況について報道するメディアはほとんどなくなった。これは新潟や熊本のときもそうだったが、やはりテレビは視聴率が取れないと取材クルーは撤退する。そういうものなのだ。

東日本大震災の報道が長く続いたのは、大手メディアがある東京に東北出身者が多いことと、原発による放射能汚染は首都圏にも大きな影響を及ぼしていたからだろう。

川柳さんは東日本大震災の取材もしている。たしか震災が起こった翌日か翌々日には被災地に行っていたと思う。2週間ほど取材をして帰宅してから、何を思ったのか地元の市会議員選挙に立候補し、当選した。今もニュースカメラマンの傍ら市会議員としての職務も果たしている。

今月は議会があるらしく、取材先の能登半島から戻っているということだった。被災地の人々の声を聞き、それを地元の災害対策に繋げている。

「被災地に行きもしないで震災を語るヤツがいるけどさぁ」と川柳さん。それが国政の政治家であることはすぐに分かった。震災直後、人命救助の妨げになるという理由で「被災地には行かないように」とSNSで拡散したことで、人手を借りたくてもできないことが多々あったらしい。

「政治家が行かなくてどうすんだ!」と川柳さんは憤慨する。そりゃそうだ。
「オレはこれからもずっと能登半島を取材し続ける」とも。

金沢の『ゴーゴーカレー』が被災者に毎日200食のカレーを無償提供しているなど地元の外食チェーンの奮闘ぶりも川柳さんから聞いた。グルメライターである私は、街や道路がある程度復旧してからでなければ役に立たないが、復興に協力したいと思う。

川柳さん、くれぐれも身体に気をつけて、川柳さんでなければできない取材をしてください。応援しています。

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↑川柳まさ裕さん渾身の能登半島地震のルポはこちらから読むことができます。