永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

私は、渥美仁規という料理人を一生忘れない。

f:id:nagoya-meshi:20190118191229j:plain

私が名古屋エリアの取材・撮影を担当している『おとなの週末』(講談社ビーシー)は、読者目線によるグルメガイドがテーマ。取材する前に客として店へ行き、本当に美味しかった店を取材するのである。

もちろん、取材のために用意していただいた料理の代金も払う。メディアと店の間に貸し借りの関係を作らないためだ。

これまで私は『おとなの週末』の取材で多くの料理人と出会った。ほとんどの方は取材に対して好意的だった。が、彼は違った。アポを取るために電話をしたときに...
「お前らに料理の何がわかるんだ!」と、かなりの剣幕でまくし立てられたのだ。

10年以上前の話なので私も若かったので、その一言にキレてしまった。そして、取材はもうどうでもよいから、どんな気持ちで取材をしているかを伝えるために店へと乗り込んだ。

店の扉を開けると、奥の方に彼はいた。私の顔を見るなり、
「いやぁ、電話では申し訳なかった!こうやって来てくれたことであなたの気持ちは十分伝わったから」と素直に詫びた。私は振り上げた拳の行き場に困ったが、取材を断った理由を聞くことにした。

当時、『おとなの週末』で紹介する料理は、ディナーコースで5000円以内と上限が決まっていて、私は彼の店のいちばん安いコースを取材したいと思っていた。ところが、そのコースの需要はほとんどなく、8000円以上のコースが圧倒的に人気だった。つまり、店のクラスと媒体が合わなかったのである。

ほかの媒体で必ず取材に来ることと、私がカメラマン、フードライターとして、もっと成長したとき、必ず客として食べに行くことを約束した。その日から、私たちは親友になった。

その約束通り、予算の設定がない『STORY』や『那古野』の取材に協力していただいた。客層と読者層がまったく異なるリクルート『メシ通』の取材も「永谷さんから頼まれたら断れないよ」と言って受けてくださった。

店もテーブル席をなくして、カウンター席だけに改装した。カウンターの向こう側で調理する彼の姿は、さながら舞台俳優のようだった。一つ一つの所作がとても格好良く、いつまでも見ていられた。きっと、店を訪れる客も同じことを感じていただろう。

また、彼は名古屋で活躍する料理人たちが一堂に会し、親睦を深める「名古屋の料理界を熱くする会」も主催していた。料理人でも何でもない私にも声をかけてくださった。そして、料理人の仲間たちに「彼が変態カメラマンの永谷さん」と紹介してくれた。

2015年に開催された会には200人以上もの料理人や飲食関係者が集まった。私が「いやぁ、大盛況でよかったですね!」と話しかけると、彼は私を思いきりハグして、「ありがとう!本当にみんなのおかげだよ!」と耳元で囁いた。本当に嬉しそうだった。

彼は和洋中のジャンルを問わず、料理人たちと幅広く交流されていたので、取材先が見つからないときに相談することもあった。自分には何の利益にもならないのに彼はいろんな店を教えてくれた。

私が取材した店が雑誌に掲載されると、その店へも足を運んでくれた。それもB級グルメのような安い店へ。とにかく「美味しいもの」への探究心は半端なものではなかった。料理もフレンチのはずなのに、ほとんど和食の手法を用いたものもあった。店には日本酒も用意していた。私が料理のこだわりについてたずねると、
「旨けりゃいいんだよ」とひと言。あの人懐っこい笑顔が忘れられない。

仁さん、なんで?いくら何でも早すぎるよ!
まだ、オレが客として食べに行くという約束を果たしてないじゃん!
50歳の誕生日が来たら食べに行こうと思っていたのに。

私は、渥美仁規という料理人を一生忘れない。

仁さん、ありがとうございました。

心よりご冥福を祈らせていただきます。