永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

みんなが儲かる仕組み。

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「儲かる仕組み」というコトバに違和感、いや、嫌悪感を覚えてしまうのは私だけだろうか。

10年以上前の話になるが、広告制作会社で働いていた頃の同僚と会う機会があった。知り合った当時はお互いに20代。デザイナーだった彼は、3年も経たないうちに大きなデザイン事務所に移り、その後フリーとなった。仕事も順調そうで、待ち合わせ場所には見たこともない外車に乗ってやってきた。

「儲けようと思ったら、自分が動いていたらダメなんだ。“儲かる仕組み”を作って、誰かにやってもらう。それがいちばんだよ」と、語った。

彼はもともと上昇志向が強かった。デザイナーとして、さらに上をめざしていると思っていただけに、そのコトバに私はショックを受けた。安く請け負うライターを探しているようだったので、ネット上には1文字1円~2円で書いているライターがいることを教えると、彼は大変喜んでいた。

安く仕入れて、高く売る。これは商売の基本であるし、資本主義とはそういうものだ。でも、「儲かる仕組み」を語る人の下には、安い値段でコキ使われている人がいると思うといたたまれなくなる。

そりゃ「儲かる仕組み」を作った人だって、人が遊んでいるときも、家族と過ごしているときも脇目も振らず仕事に打ち込んできたと思う。それは、わかってんだってば。

では、使われる側は、努力していないのか。そりゃしていない人もいるだろうよ。「儲かる仕組み」を作った人と同じように、それこそ血の滲むような努力をしている人も必ずいるということもわかってほしいんだ。

努力の先にあるのは、必ずしも人を使う側に立つことだけではないのである。だから、「儲かる仕組み」というコトバには、どうしても引っかかってしまうのだ。

これから書くのは私のイメージね。1文字1円、2円のライターに発注する人は、文章の内容やクオリティよりも、文字数を埋めること、すなわち利益のみを優先にしてはいないか。

「儲かる仕組み」は誰のためのものか。言うまでもなく、仕組みを考えた本人だろう。そうなると、もはや使われる側は人ではなく、コマ。大げさかもしれないが、そんな疑念さえも抱いてしまうのだ。

人よりも努力したのなら、苦労したのなら、「みんなが儲かる仕組み」を作れないものだろうか。理想論だと笑われるかもしれないが、大マジメにそんなことを考えている。

 

※写真は、名古屋市昭和区『炭焼き うな富士』の「ひつまぶし」のお取り寄せ。昨日、Web版『おとなの週末』で紹介させていただきました。