永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

取材者の矜持。

5、6年前になるかな。かなり前の話になる。ある店へ親子丼を食べに行ったことを当時やっていたFacebookに載せたことがあった。

その店の親子丼は、どの店よりも美味しくて、私のお気に入りだった。しかし、たまたまその日は、いつもよりも卵のとろみ加減が今ひとつだった。それも正直に書いた。

すると、その翌日に料理長から電話があり、

「調理プロセスをあらためて見直して、調理担当のスタッフにしっかりと指導をしておきました」と、言われた。

いやいや、そんなつもりで写真と文章をFacebookに載せたわけではない。まさかそんな大ごとになるとは思わなかった。

しかし、逆の立場になって考えてみると、飲食店にとってメディア関係者の言葉、というか影響力は大きいのである。

私はスゴイ存在なのだ!どうだ!?まいったか!と言いたいのではない。そこは絶対に誤解しないでほしい。

だからこそ、ライターもカメラマンも「取材させていただく」、「撮影させていただく」という謙虚さが必要なのである。

客に扮して訪れた店の食レポを書くとき、美味しかったことよりも、そうでなかった、つまり、不味かったことを書くほうが難しい。それこそ、謙虚さが必要だ。

決して上から目線にならず、客目線で書く。その店を訪れた一人の客として、もっと店の評判をよくしたいがために悪口ではなく、論拠を示した上できちんと批判をする。そんなことを私は心がけている。

人は周りからチヤホヤされるとオノレの立ち位置を見失う。偉くなったような気がして、何をやっても、何を言っても、何を書いても許されると勘違いしてしまう。

そうならないためには飲食店に対して、貸し借りを絶対につくらないこと。貸し借りとは、タダ飯やタダ酒のこと。そりゃタダ飯やタダ酒はたしかに美味しかろう。気分もよかろう。

SNSにおけるインフルエンサーやアンバサダーは、どんどんやればよい。ガンガンに儲けて周りからチヤホヤされればよい。それが仕事なんだから。

しかし、ライターは立場も役割もまったく違う。にもかかわらず、同業者の中には

「ブログやSNSに載せることを条件に、タダで高級ホテルに泊まらせてもらっている」と、ドヤ顔で語った大馬鹿者もいる。

その時点で読者の代弁者としてのライターの役割を放棄している。本人は自身のことを特別な存在であると勘違いしているようだが、ホテルの広報のアルバイトですらない。私に言わせりゃ奴隷だ。

自分の思ったことや感じたことを自由に書く、というライターにとって唯一にして最大の武器を奪われたのだから。そんな奴隷野郎が書いたウンコ記事をいったい誰が読むというのか。

自由に生きたくて、自由に書きたくて、自由に撮りたくて、私は今の仕事を選んだ。自ら不自由になるようなことはしない。